搾乳装置

 運搬担当の子供達を見送りつつ昼食を終えたカイ達だが、それで終わったのでは何ら問題は解決していない。作業法の改善が必要で、それはカイの頭には簡単に浮かんだ。


「チャム、真空斬エアスラッシュの記述を見せてもらっても良い?」


 欲しいのは風刃ウインドエッジのような空気断層ではなく、範囲的な真空である。それには真空斬エアスラッシュの魔法記述を分解したほうが手っ取り早い。チャムの知る、研究の粋を極めたような威力の高い記述魔法は、解析すれば応用範囲は広い。


「良いけど使えるかしら?」

「読み解いてみないと分からないけど、たぶん抜き取り出来ると思う」

 読み取った記述を分解解析していくとその構成が理解出来る。真空生成に分裂形成、放出制御と、案外明快に効率良く記述されていると分かった。

「すごいですねぇ。よく考えてありますぅ」

「これは一人が生み出したものじゃなさそうだね。全然癖が無い。色々な思想を組み合わせて実験を重ねて組み上げたのかな?」


 フィノような魔法士が魔法演算領域でやるような、結果のイメージから逆算するような構成とは違う、一風変わった作りをしている。それは手順と云うよりは、数学公式のような理路整然とした雰囲気を漂わせていた。


 真空生成魔法記述の抽出に成功した彼らは、器具の作製に移行する。そうは言ってもカイの指示通りに組み立て作業補助をするだけだが。

 まずは搾乳小屋の隅に、鋼材で塔を作る。その上に蓄魔器マジカルバッテリーで稼働する真空刻印が施されたステンレス製の一次吸乳槽を据え付けた。


 次に取り出されたのは、誰もが初めて見るような代物だ。白くて極めて弾力性の高いそれは、フィノの提案で試作を重ねてきて実用化に漕ぎ着けたシリコンゴムの塊である。

 変性魔法で岩石から金属ケイ素を抽出したら、やはり石炭から抽出された炭素と空気中の酸素を化合させて作り出した物。タブレットPCでそれを発見したフィノが熱心に研究して化合割合を編み出していた。

 未だこの世界で天然ゴムは見つからない。どうやらゴム系の素材が必要になる度に飛び蜥蜴フライングリザード狩りに駆り出されるのは敵わないと思ったのだろうか、彼女の必死さは目を瞠るものが有った。


 ともあれ、そのシリコンゴムでゴムホースを作っていく。内径4メック5cm弱の長いホースを作ると、梁を這わせて十二基ある搾乳台にそれぞれ垂らし、根元は一次吸乳槽に接続する。

 搾乳台側の先端は更に仕組みが必要だ。内径2メック2.4cmのホースに四分岐させて融合させると、硬質皮革素材で弱い分岐部分の保護を行う。細いホースの先にはコーン形状のステンレスを取り付け、その内側には特に柔らかく仕上げたシリコンゴムを厚めに張り付ける。


 カイが作っているのは、機械式搾乳装置の模倣品である。TV等で作業風景を目にした事はあれど、彼は実物の構造を知らないので、それっぽい機能を持たせた構造を組み上げた。

 吸入状態でコーン状のステンレス製端子部分を、黒縞牛ストライプカウの乳首に吸い付かせると、自動的に搾乳する装置の出来上がりである。手元のバルブで吸入の操作も出来るようになっている実用的な装置だ。


 次に手を付けるのは移送の仕組み。殺菌機のある作業小屋にも鋼材の塔を作り、その上にやはり真空刻印を施した二次吸乳槽を置くと、一次吸乳槽との間を送乳管で繋ぐ。

 吸乳槽内部は低圧化されているが、牛乳は重力に従い下に貯まる。一次吸乳槽の底と同じ高さに取り付けられた送乳管に流れた牛乳は二次吸乳槽に送られる。この時、両方の槽の内圧が同じであれば自動的に同じ高さまで牛乳が貯まる理屈になる。

 二次吸乳槽の底からはシリコンホースが伸び、殺菌貯乳槽に注がれていく。これで搾乳から殺菌処理までが自動的に行われる装置の完成である。

 保冷缶へ注ぎ込む手作業だけが作業小屋で行われるようになった。


 カイの組み立て作業はまだ続く。扱うのは牛乳だ。気を使わねばならない点はある。それぞれの搾乳台の脇には、加熱刻印による焚き釜が設えられた。

 搾乳時は人肌ほどの温度に沸かされた湯が湛えられ、搾乳前の黒縞牛の乳房の拭き取りに用いられる。

 搾乳後は沸騰させ、その熱湯を搾乳装置に通して殺菌処理を行うようにする。これらによって、毎陽まいにち毎度の使用が可能になる仕掛けだ。


 子供達を集めて使い方の説明を始める。とは言え、餌やりや糞拾いに出ている子を除けば、皆が物珍しそうに付いて回ってはいたのだが。

 基本的に蓄魔器マジカルバッテリーを装填すれば作動が始まる。それほど複雑な操作など無い。幸い、もう夕方と言える時間ではあるし、若い一頭の牝牛に協力してもらい実践試験をしてみる事にする。


「実は僕も経験は無いから、様子を見ながらゆっくりやってみよう」


 まずはいつも通り牝牛の乳房を拭いて清潔にする。吸引状態にしたコーン状の搾乳端子に乳首を吸わさせると、スポンと填まって吸引搾乳が始まった。シリコンホースは幾分か透けているので、牛乳が吸われていくのが見える。

 待つ事一詩六分足らずと言うところでその勢いが弱まってきたように見えた。すぐにバルブを閉じると、搾乳端子を外す。


「どんな感じかな?」

「ちゅり。ちゅらるー?」

 牝牛の首を叩きながら問い掛けてみる。

「ンモー」

「問題無さそうだね」

 機嫌良さそうな鳴き声を上げる彼女の首筋を撫でながら、搾乳の済んだ乳房をもう一度拭いてあげている様子を眺めた。

「こんな感じで、ちょっと練習してみようか?」

 元気な返事が返ってくる上に、気配を察した牝牛達がまた列を作り始めていた。


「兄ちゃんが元気そうで良かった。負けたからガックリきているのかと思ってた」

 言い辛そうではあったが、一人の少年が切り出した。

「ん? 幻滅しちゃったかな?」

「そんな事無いよ! 兄ちゃんは、魔闘拳士は僕らの英雄なんだ、いつだって!」

 同調の声が方々から上がる。それは彼らの心からの言葉だった。


 今陽きょうとて、すごい装置を作り上げて彼らを苦難から救い上げてくれたのは魔闘拳士である。

 こんな状況だというのは彼は知らなかった筈なのに、ふらりとやって来てあっという間に、何でもない事のように解決してしまう。子供達から見れば英雄を飛び越えて、人知を超えた存在でもあるかのように感じてしまう。

 それでも魔闘拳士の地盤は武威であるのは分かるから不安にも感じてしまうのだ。


「僕は負けても何とも思ってないよ。無敵なんて面倒な称号は無理に欲しいとは思ってない」

 ぐるりと見回してから彼は続ける。

「強さなんて、みんなを含めた大切な人達を守れるだけ有れば満足なんだ。本当だよ?」

「そうなの?」

 それが最も難しいとは子供達は思っていない。いざとなれば、侵略軍だろうが有力貴族の魔の手だろうが、全てから守るという意味だ。生半可な事ではない。

「でも、みんなが悲しむなら、出来るだけ負けないようにしようかな?」

「うん! やっぱり僕らの英雄は最強のほうが格好良いや!」

 夕方の作業は皆の笑顔で終わる。


「お持ち帰りくださいね、大将」

 テレンキがずらりと並ぶ保冷缶を差して言う。

「え!?」

「さっき、モノリコート製造所の担当者がほくほく顔で大方持っていきましたが、まだまだ残ってますぜ」


 搾乳作業が順調になったら牛の出す乳の量も増えるのだという。牝牛が作り出す量が増加するらしいがそれは構わない。滞っているスモークチーズ生産に回せる人手も時間も取れるようになるのだから。しかし、目の前に並んでいる缶の数は馬鹿にならない。


「良いわよ。基金に差し入れしましょ」

「今夜はたっぷりシチューを作りましょうね」

「良いな、それ。腹減ってきたぜ」

「今夜辺りはロアンザさんの所に侯爵様も来るだろうから、お裾分けすれば良いか」

 ロアンザは、昼間は本邸で副代表の業務に勤しんでいるが、それ以外は完成した別邸で暮らし始めているから分ければいい。


 しばらくは美味しい牛乳には困らないで済みそうだった。

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