牧場騒動記

 このは全力疾走持続訓練で、ホルムトの街壁周りを一周してきたカイ達。最後まで付いて来られた者はおらず、最初から騎乗状態だったフィノのイエローに、トゥリオのブラックが合流し、最後にチャムのブルーが追走する形になった。

 最後まで並走したパープルも舌を出して荒い息を吐いている。その横で深呼吸で息を整えたカイは、神々の領域第一段階ラグナブースター・シングルを解除して、十五倍身体強化状態から通常の五倍身体強化でクールダウンに身体を動かした。


 その後にパープルに騎乗して、ついでに黒縞牛ストライプカウ牧場の様子を窺いに行くと、そこで奇妙な光景に遭遇したのだ。


「どして?」

「何事?」


 口々に漏れるのは疑問の台詞である。

 そこには搾乳小屋に向かって整然と一列に並んでいる黒縞牛ストライプカウの姿がある。その全てが牝牛なのだから不思議な光景ではないと云えばそうなのだが、当番の院の子が列整理をしている姿が一人として見えない。

 その代りと云っては何だが、搾乳小屋と作業小屋の間を忙しげに行ったり来たりしている子供達の姿は大勢見られた。その手には搾乳済みの牛乳が入っているであろう蓋付き小型缶が有った。作業小屋には殺菌機が設置されているので、これも普通の光景と言ってしまえばそうなのだが、どう見てもてんやわんやの状態にしか見えなかった。


「あれー?」

「滅茶苦茶大変そうですぅ」

「汗だくじゃねえか」

 それはカイ達が想像していたのとはあまりにかけ離れた状況だった。


「誰か缶を運んで! もういっぱい!」

 搾乳小屋の中は、カイ達が入っていっても誰も気付かないほどに混乱していた。

「手が疲れたー! 代わってくれー!」

「新しい缶早くー!」

「ファンガが泣いてる! 宥めてあげてー!」

 全て子供の甲高い声なので切迫感に劣るが、駆け回る子が混沌の具合を助長している。声を掛けるのも憚られるが、確認しない訳にもいかない。

「これは、どういう事?」

「あ! カイお兄ちゃん、いらっしゃい!」

「え? カイ兄ちゃん? おはよう!」

「おはようございます! 今忙しいので後でー!」

 挨拶は欠かさない礼儀正しい子供達である。

 搾乳作業を交代したばかりでフラフラの男の子が一人、何とか応対に来てくれた。フィノに治癒キュアを受けながら彼は漏らす。

「兄ちゃん、こいつら、頭良すぎるんだよ。大変だよ」

「頭が良過ぎる?」


 彼曰く、それが起こり始めたのは、搾乳が常態化してきたここ三巡十八日くらいの事らしい。

 朝、当番の院の子供達がやって来て搾乳小屋に入ると、牝牛達が列を成してやって来て「モー!ウモー!」と作業を急かすのだという。もちろん手搾りなので、一頭当たりにそれなりに時間が掛かる。本来なら牝牛を搾乳小屋に誘導する担当だった子が、列から連れ出して解消しようとしてもまた集まって列を作ってしまうらしい。

 どうやら搾乳を受けると乳の張りが取れて楽になる事を学んだ牝牛達が、子供達に早く搾乳してくれとせがんでいるようだとの結論に達した。極めて短期間で習慣付けられてしまった訳である。

 院の子供達にしても黒縞牛を可愛がっているし、牝牛達の望んでいるようにしてあげたい。そうなると兎にも角にも搾乳作業を急がなければならないという結果になってしまったのだそうだ。

 それから毎朝は、搾乳小屋が彼らの戦場になってしまったというのが実情のようだった。


 カイはパンパンと大きく手を叩いて注目を集める。

「はい! みんな、一旦手を止めて聞いて!」

 全員の視線が集中したところで彼は本題に入る。

「今からの運搬作業は、僕とチャム、フィノがします。これから君達は乳搾りに集中して、こまめに交代すること。三人交代で乳搾りと補助担当と休憩でぐるぐる回してね」

「はい!」

「さあ、始めた!」


 当番の子達は思い思いに組になって作業に移った。カイはチャム達とバラバラに、それぞれ搾乳台を巡って一杯になった運搬缶を片っ端から『倉庫』に納めていく。

 駆け足で作業小屋に移動すると、階段を駆け上がり殺菌貯乳槽に缶の中身をどんどん空けていった。


 殺菌貯乳槽からは管が伸びていて、九十九折つづらおりになった後に処理済み貯乳槽に繋がっている。この九十九折り部分に加熱魔法刻印が為されていて、通過中に超高温殺菌された牛乳が処理済み貯乳槽に溜まっていく仕組みだ。これがカイが作った牛乳殺菌機である。


 入れ替わりに殺菌貯乳槽の前に立ったチャムが牛乳を移している間に、トゥリオに指示して管理人のテレンキと一緒に処理済み貯乳槽から保冷缶へ注入作業に回ってもらった。すぐさまカイは搾乳小屋に取って返して、空の運搬缶の配付と一杯の缶の格納に走り回る。

 これを延々と繰り返して、二百頭余りの牝牛の搾乳が済んだのは、一刻七二分が経った頃だった。


「やっぱり早いや」


 そう口にする、作業終わりでくたくたの子供達に混じって、搾りたての冷たい牛乳と軽食を口にする。いつもは後一刻七二分以上掛かって終了は昼前くらいになるらしい。

 そうしていると、それぞれの院の受け取り担当の子供がぽつりぽつりとセネル鳥せねるちょう台車に乗ってやってきた。


「ヤベ、カイ兄ちゃん」

 その内の一人が彼の姿を見るなり顔を顰める。

「それはどういう意味かな? パスピエ?」

「あー、そのさ……」

「君はこの状態をずっと前から知っていたんだね?」

「……うん」

 託児以外の収入源の提案者である彼は、牧場作業の中心人物でもある。この状態を知らない訳がない。

「修羅場じゃないか? 何で言わなかったんだい?」

「だって、カイ兄ちゃんに言ったら心配して止めちゃうか、他の人を入れるかしちゃうだろ? だから、作業班長達皆で話し合って決めたんだ。これはカイ兄ちゃんに教えないって。そうしないと、ちゃんと俺達で頑張って稼いでいるんだって思えなくなるからさ」


 この時ばかりは、いつもにこやかなカイの口がへの字になってしまっている。どうも怒らせてしまったらしいと、パスピエはがっくりと項垂れた。


「ごめんなさい」

「こういう時はきちんと言いなさい。そうじゃないと、この人、余計に心配しちゃうわよ?」

 チャムにそう指摘されたパスピエは、恐る恐るカイの顔を見上げると本当に申し訳無さそうな表情になった。

「はい、困った時は必ず相談します。すみませんでした」

「…………」

 何も言わずにパスピエの頭に手を置いたカイは、しゃがんで目線を合わせる。彼の表情も悲しさを湛えていて、それが更に少年を申し訳ない気持ちにさせた。

「僕は君達に大変な思いをさせたいんじゃないんだ。無理にお金を稼ごうとか思いこまなくて良いっていうのだけ忘れないで」

「うん」

「この牧場を作ったのだって、勉強になるからなんだよ。命の大切さとか、生き物を相手にする時の気持ちとか、仕事の大変さと大事さとか、たくさん学んで欲しい事が有るから始めたのさ。なのに、作業で頭がいっぱいになって、風のように陽々ひびが過ぎて行ってしまうんじゃ意味が無いんだよ。解ってくれるかな?」

 真意を語らねば響かないと考える。

「はい、ごめん、兄ちゃん」

「それくらいにしましょうね? ほら、運搬の子達もみんな集まって。牛乳飲んで一休みしてから帰ればいいわ」

 優しく手を引かれてグラスを渡された彼は、良く冷えた牛乳をひと口飲んで自然と言葉を漏らす。

「美味しい」

 そう言って振り向いた先にはカイの笑顔が有った。


 喜びに満たされたパスピエは、最近の牛達の様子を一生懸命カイに伝えるのだった。

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