勇者歓迎舞踏会

 『ドラゴンも尾を丸くする』という慣用句がある。

 それは、獣人が非常に機嫌の良い時や、良い意味での驚きを覚えた時に自然と尻尾を上に巻き上げる様子から生まれたと言われる。ドラゴンでさえ尻尾を巻き上げて喜ぶほどの事柄や物との出会いを指して用いられる。

 ララミードやミュルカ、そして甘党のティルトにとって、それはドラゴンも尾を丸くするほどの衝撃的な出会いだったのだろう。


 勇者歓迎舞踏会に於いて、当然勇者一行は主賓になる。彼らはもちろん有名人であり世界的な希望となれば、一目見たい、言葉を交わしたいという者が殺到する。それを捌くのはケント達にとっても徐々に慣れてきた対応だ。


 ただ、このはちょっとした異変が起きてしまう。一人の貴婦人が、勇者一行の関心を買おうと小皿に盛られたモノリコートを手にして現れた事から始まった。

 その青い物体に女性二人は怖気を振るってしまう。しかし、二人の周りを囲む女性達に口々に勧められては拒めるものではない。恐る恐る齧った瞬間に彼女らは魅了され、まさにドラゴンも尾を丸くする状態に陥ってしまったのである。


 脱兎の如く甘味のテーブルに移動した二人はモノリコートの皿に繰り返し何度も手を伸ばし、それを用いたケーキなどの甘味にも舌鼓を打つ。最初こそ、その勢いに押されたティルトもご相伴に与かると、その容量の大きな体にどんどんモノリコートを詰め込んでいく。

 彼らを囲む客達は挨拶どころではなくなったのだが、誰も批判の目など向けない。彼らにもその気持ちが理解出来たからである。逆に、ホルツレインの名産品となる青い甘味を誇らしくさえ感じた。


「お気に召されましたか? ホルツレインでも人気の甘味ですのよ」

 三人がひと心地吐いた頃に声が掛かる。

「わたくし共でもなかなか手には入らなかったり致しますのよ。さすが勇者様方の歓迎の宴だけあって、王宮がふんだんに準備なされたようですけど」

「そんな貴重な物だったのですか!」


 醜態を見せてしまって恥ずかしげに頬を染めていたララミードは驚いてしまう。大量に買い込んでおかなくてはと考えていた彼女はその目論見が外れてしまうと落胆した。


「やっぱりお高価いんでしょうね? こんなに美味しいのであれば」

「いえいえ、多少の贅沢にはなるかもしれませんが、市井の者にも十分手が届く価格ですのよ。権利は王家の方々がお持ちになっているのですけれど、民にお心遣いをなさって決して高価にならないよう慮っていらっしゃられますから」

「陛下の治世を表しているようですね?」

 お為ごかしではないが、彼らの愛国心に配慮してカシジャナンが付け加えた。

「ええ、陛下のお優しい御心と、魔闘拳士様のお陰ですわ」

「え? 魔闘拳士?」

 思い掛けない名前が出てきてケント達は戸惑う。

「モノリコートを生み出してくださったのは魔闘拳士様ですもの。それを王家の方々がお買い取りになったのです」

「そんな経緯が?」

 吟遊詩人の詩の英雄は、武人だとばかり思っていた彼らは少し面食らってしまった。

「ナーフスの安定供給にも尽力なさっておいでですし」

 甘味のテーブルの一品であったモノリコートナーフスを指して貴婦人が加える。

「反転リングだって魔闘拳士様が開発なさってくださったのですよ」

 有力商人らしき人物が、それだけではないと言わんばかりに口添えしてきた。

「全く魔闘拳士さまさまですな」


 聞いてみると、先に挙がったモノリコートやナーフス、反転リングに収まらず、託児孤児院の仕組みを作り上げたのも彼だと言う。

 ケント達はますます混乱する。昨陽きのう味わった牛乳やスモークチーズも魔闘拳士が作っていると聞いたし、その元となるあの黒縞牛ストライプカウの牧場経営も彼の手によるものの筈だ。

 並べ上げると、魔闘拳士のやっている事は多岐に及び過ぎて本人が見えてこない。あまりにつかみ所の無さに呆れてしまうが、今宵会える予定なのでその時に訊いてみるしかないだろう。


 この時の彼らは、その見た目からして衝撃を与えて質問どころではなくなるとは思ってもいなかった。


   ◇      ◇      ◇


 多くの人々の挨拶に応じ、数々の贈り物を受けていた勇者一行だったが、流れてきたさざめきにその目を向ける。


「魔闘拳士様がいらっしゃったわ」

「お見えになると言う話は本当だったか」

「この機会に何とか顔繫ぎせねば」


 単純に会話の好機に喜ぶ者も居れば、後の利益の為に目の色を変える者も居る。どちらに属そうが関心の方向が一気に傾いたのは事実である。その関心の中にケント達のものが混ざっているのは言うまでもない。

 入り口付近に集っていた招待客の囲いを抜けてきた人影を確認したティルトは、隣のケントに肩を当てる。


(おい、あれなら何とか勝負になるぞ)

 そう囁いた彼に気付いたララミードは、その足を思いっきり踏んづけた。

(痛っ! 何だよ!)

(うるさいのよ! 余計な事して!)

 横で始まる言い合いを余所に、ケントはじっと注目する。

 燃え立つような赤い髪をした長躯の持ち主は、誰が見ても美形と呼べる容姿をしていた。素晴らしい筋肉の持ち主でもあり、所謂美丈夫であった。

(あれが魔闘拳士……。あの方を仲間にしている男)


 ケントは目付き鋭く睨み付ける。今のところどういう関係かは不明だが、普通なら信頼し合っての仲間だろう。まずは話して為人を確かめなければならない。

 もし、あの青髪の美貌がその見目だけを買われて囲われているだけなら救い出したいとケントは考えている。彼の頭の中では、既に魔闘拳士はその勇名を良い事に、美女を侍らせている悪人になりつつあるようだった。


 急にツカツカと歩み始めたケントに、仲間達は驚いて制止の声を掛けながら追随した。幼馴染だけあって彼の行動パターンはよく解っている。顔つきからして、このままでは真正面から衝突するつもりだと知れたからである。


「待て待て、ケント! 頼むからいきなり殴り掛かったりしないでくれよ。まずは話してみなければ」

「そんな事、俺だって解ってるさ」


 信用出来たものではない。思い込んだら一直線。カシジャナンにはその心の動きが手に取るように解ってしまう。

 仕方なくカシジャナンはミュルカとティルトとで目配せを交わす。もしもの時はどうにか取り押さえなければならない。こんな西方の双璧を形作る大国の王宮で讃えられている英雄に喧嘩を売ったとなれば、勇者の名は悪い意味で売れてしまうのは間違いない。それだけは絶対に阻止しなければならない事態だった。


 いつでも飛び掛かれる状態を維持したまま、ケント達は美丈夫の前まで進み出る。他の招待客達も、勇者一行と魔闘拳士一行の初対面に好奇の目を向けて止まない。


「初めましてだな。俺はケント。勇者をやらせてもらっているもんだ」

 少し前から気付いていたらしい相手が見下ろしてくる。幾分か彼のほうが背が高かったからだ。

「おう、済まねえ。こっちから挨拶に行くつもりだったんだが、御覧の通り囲まれちまってな。わざわざ来させちまったんだな」

 酷くぞんざいな口の利き方にララミードなどは眉を顰めるが、ケントはお構いなしで続ける。

「それくらい構わないさ。ちょっと話が有るから付き合ってくれよ、魔闘拳士」

 その言葉に相手は一瞬訝しげな顔をしたが、すぐに破顔して言ってくる。

「そりゃたぶん構わねえんだがよ、頼むからそいつは本人に言ってやってくれねえかな?」

「何だって!? 本人?」

「僕に御用でしょうか?」


 美丈夫の巨躯の陰から進み出た青年の黒髪に、ケント達は仰天するのだった。

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