青髪との邂逅

 王家との夕食会の席。王宮の奥まった一室で、ホルツレイン王家の人々と勇者一行が食卓を囲んでいる。引き続き畏まった雰囲気を覚悟していたケント達だったが、そんな肩肘張った政治向きの話など欠片も無く、和やかな空気の中の食事が進んでいる。

 何しろ、まだ赤子である王太子家第三子の様子がその中心に在るのだ。チェイニーを抱いて自席に着いたエレノアが、そのままでは食事が出来ないので王孫姉弟が弟を引き受け、その間に母親に慌ただしく食事をしてもらうという、一般家庭では当然のような光景が展開されている。

 その様子を眺める国王アルバートの目尻も下がりっぱなしである。謁見の間のような政治の場ではそこを正念場と定めて気を引き締めているのだろうが、この食卓は本当に内々の席だと窺い知れた。


 その一室にノックの音が響く。誰かの入室でその雰囲気も壊れるかとケント達は懸念したが、そんな事にはならなかったのである。


「チャム様です」

 応対に出た王太子付きメイドのフランが問い掛けると、アルバートは頷いて返した。

 扉が開き、鮮烈な青がケント達の目を惹き付ける。類い稀なる美貌に薄く笑みを湛え、冴え渡るような美女が颯爽と入室してきた。

「あら、お客様も一緒だったの?」

 勇者一行を一瞥して、さりげなく口にする。


 その美しく澄んだ声は室内に良く通り、どこか艶のある声音が妙なる調べのように響いていく。

 一瞬呆気にとられた彼らは、目を惹き付けて止まないその挙動に注目した。全く飾りのない平服を纏っているが、こんな王宮の奥まで帯剣を許されているところを見ると、よほど信頼を得ている人物だと見て取れた。


「こんな場だし、挨拶は明陽あすにさせてもらうわね、勇者御一行様」

「ふむ、持ってきてくれたのか?」

「ええ、こんな夕方じゃうちで飲んでいる分しか残ってないもの。置いていくからご自由に」

 国王の問い掛けにそう返すと、チャムは保冷牛乳缶を一つその場に取り出して見せる。


(『倉庫持ち』? その上にあの軽装。何者なんだ?)

 観察していたカシジャナンの脳裏には疑問しか浮かばない。

 その傍ら、給仕達が慌ただしく動き始め、それぞれの前にグラスに注がれた牛乳が配されていく。


「これだ。うん、美味い。温めるのも良いが、冷たい牛乳とパンの組み合わせは絶妙よの」

 ケント達も手を伸ばして味わう。彼らも牛乳くらい飲んだ事は有るが、ひと味違うのは十分に分かった。


「あの……、カイ兄様のお加減は?」

 皆が牛乳に舌鼓を打つ中、一人機嫌が良くない様子を見せるセイナが尋ねた。

「もう、良いのよ。まだ本調子じゃないからベッドに縛り付けてあるだけ。明陽あすには普通にしてるわ」

「良かったです」

「心配しなくても病気って訳じゃないんだから。貴女も気を付けなさい。魔力はゆとりを見て使わないと……」

「ガチャン!」

 彼女の言葉を遮るように異音が鳴る。注目を浴びたのは勇者ケントだった。彼がポカンと口を開けてチャムを見つめたまま、右手に持っていたフォークを取り落としたのである。


(露骨に見惚れちゃってるじゃない。いい加減、選りすぐりの美女にも慣れてきたのかと思っていたけど、これはちょっと衝撃的だったか)

 その様子を顔を顰めて眺めるミュルカは、仕方ないかとも思う。それほどまでに思わせる美貌であった。


 当の本人もその様子を見てクスリと笑っている。彼女のほうはそんな反応にも慣れてしまっているのだろう。笑われたケントのほうは、自分がマナーに反する事をしたと気付いてあたふたとフォークを拾い上げていた。慌てふためく様子を更に笑われて真っ赤になってしまっている。


(あー、これはダメね。完全にいかれちゃったかも)

 ミュルカは年上の貫禄を見せて探りを入れてあげるべきか迷う。それはそれでララミードに申し訳ないかと思い、言い出しかねている内に状況は進行していっていた。


「これはサービス」

 チャムはそう言うと、白い布包みを取り出してテーブル上に置いた。

「うちに有ったスモークチーズよ。お客様が居るなら分けて差し上げるわ」

「料理長、頼む」


 国王の命を受けて、料理長が銀盆の上で包みを開ける。そこには少し黄色味掛かった乳白色の切り口を見せるチーズが、薄茶色の衣を纏って姿を現した。ふわりと香ばしい香りが室内に漂って、同席している者達の胃袋を刺激してしまう。

 小さな調理ナイフを取り出した料理長は、ひと欠け切り出すと口にする。その表情の変化は見ものだった。一瞬目を丸くすると、顔を仰向かせて目を瞑りゆっくりと咀嚼して十分に味わっている。


「これは素晴らしい……」


 王宮の料理長の太鼓判が押されたスモークチーズが切り分けられて小皿に盛り付けられ、配膳されていく。行き渡ると、アルバートがまず口にして溜息を洩らした。続いてそれぞれが味わうと、小さく感嘆の声を上げる者や嘆息を吐く者が連続する。


「言っておくけど、これは牧場の燻煙室が本格稼働し始めないと市場になんか出せないわよ」


 そう言いつつ、エレノアにも味わわせる為にチェイニーを抱き上げていたチャムは、幼い第三王孫の頬にキスしている。彼は「キャッキャ」と喜んで、その美貌をペタペタと撫で回していた。

 そして、その様子を蕩けた顔でじっと眺め続けている者も居る。更に、その勇者の様子を苛立たしげに眺めている公女の姿もあった。


(これは困った事になったわ)

 ミュルカは心の中で頭を抱えた。


「これほどの物なら売れると思うが、市場に流せるほど量産が出来んのか?」

 チェイニーを揺すり上げながら、チャムは無理とばかりに首を振る。

「そのつもりで計画していたのよ。設備を作ったり、試作したりね。でも、材料が足りないの、材料が」

「牛の数が足らんのか?」

 その国王の問いにも彼女は首を振った。


 曰く、院で消費する分は確保出来ているので問題は無い。思ったより収量は有って余剰分も出ている。その余剰分でチーズを作ろうと画策していたのに、毎陽まいにちモノリコート製造所の仕入れ担当がやって来ては、根こそぎ買い取っていくのだと言うのだ。

 モノリコート製造所は今後付き合っていかなくてはならない最優先の取引先である。現状、その要望に応えるのが精一杯であるらしい。

 一応練習がてら少量ずつ生産はしているらしいが、そのの担当の院の子が持ち帰るか、こうしてカイ達の自宅に届けられているだけである。とても市場に出せるような量ではない。


「その分を何とか我が厨房に出荷していただく訳には参りませんか?」

 料理長は、チーズの味に惚れ込んだのか懇願してくる。その切なげな顔を見ると無下には出来ない。

「そうねぇ。相談してみるわ。それでも十陽とうかに一度くらいだと思って」

「感謝します。カイ様にも宜しくお伝えください」

「解ったわ。そろそろ帰るわね。放っておくとあの人、起き出して色々やり始めちゃうから」

 チェイニーをエレノアに返し、会釈をしてフランが開けた扉をくぐっていった。


「こ、国王陛下! あの方は!?」

 呪縛を解かれたように、ケントが勢い込んでアルバートに尋ねる。

「チャムか。トレバ戦役など様々な功績有って自由にさせているが、身分としては平民の冒険者になるな」

「冒険者!?」

 その回答は勇者一行に動揺を与える。「まさか?」「どうして?」などと言葉になって漏れ出ていた。

「うむ、貴殿らとて名を聞いた事くらいは有ろう? あの、魔闘拳士の仲間の一人なのだ」

 それは彼らに大きな衝撃を与えたようである。声を揃えて驚嘆の声を上げた。


「魔闘拳士!?」

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