見つめる密室
「黒幕はウェルトシルト卿だったか」
ソファーにどっかりと座り込んで大きな嘆息を吐く国王アルバート。
そこは政務大臣執務室。ここしばらくアセッドゴーン侯爵グラウドが起居している場所だ。
ベイスンが最高級の
「そのようですな」
「凝った手を使ったものだな?」
「
「ふむ。遅いというのはちと可哀想か? あれはなかなか本性を見せんからな。ただの武人と見てしまうだろう」
戦友にして被害者にして同胞である二人は苦い笑いを交わす。驚かされたり肝を冷やさせられたりを重ねてきた彼らは運命共同体のようなものだ。
「あれはどうしておる?」
「
「牛追い? あの申請書と関りがあると思ったほうが良いのだろう?」
「でしょうな。おそらく牧場でも開くのでしょう。許可が下りてすぐ職人を動かしておりましたからな」
「次は牧場か。院絡みであろうな」
執務室に籠ってなお、その情報網に陰りの無いグラウドに舌を巻く。彼に関しては、どれだけの手足をどこに潜ませているのかアルバートでも把握はしていない。
「まあ、あれが呑気にしているという事はまだ時ではないという事でしょう」
「だが、
国王が差し出したのは王家番だ。
【告発! どこまでも優遇されていたルドウ基金!】
「
税制での優遇を指摘されたカイ・ルドウはそれを認めるものの、迂遠な表現で公認のものであると主張。しかして、その表情を見ると追い詰められた感じがしたと言う。その他、納税上の手落ちまで指摘されると、発言内容や口調に荒々しさが表れてきたそうだ。
ウェルトシルト侯爵閣下が調べ上げたルドウ基金の収支に話が至ると顔は青ざめ、時に口汚く罵る姿まで見せたらしい。場が御前でなければ暴力に訴えていたかもしれないと同席者は語る。
そして、侯爵閣下の追及の声に敗北を察したのか、カイ・ルドウは一方的に王国補助金その他の拝受を拒絶すると、国王陛下への礼も送らず足早にその場を去ったとされる。
こうして市民の皆様が
その後、カイ・ルドウはホルムトから姿を消している。我ら王家番の追及を恐れての事だと思われる。しかし、我らは決して追及の手を緩めはしない。この件は、王宮とルドウ基金の癒着に端を発している。それを主導したのがカイ・ルドウなのか、不実なる政治家アセッドゴーン侯爵グラウド閣下なのかは判然としていないのだ。真実を突き止めるその
後は、最も高貴なる方々が関与していない事を祈るばかりである」
ギリリと音が鳴る。グラウドの手元を覗き込んでいたベイスンの口元からそれは漏れてきていた。烈火の如く怒り、食いしばった歯の間から抑えた嗚咽が漏れ、ほろほろと涙を流す姿は壮絶であった。
「どうして……、こんなにまで……、嘘を……、嘘を並べられるのですかっ! こんな事が許されて宜しいのですかっ!」
グラウドに背を摩られて自制を求められるが、彼の憤懣が収まる事はない。
「正直に言おう。取り締まる法が無い。これが虚言に満ちていると分かっていようと……」
アルバートがテーブル上の王家番をトントンと指で叩きつつ続ける。
「公式文書でない以上、停止を命じられる法が無いのだ。済まぬ。こういう事態に対すべき法の整備が、この国では進んでないのが事実なのだ」
それに対して警鐘を鳴らそうとカイは好きにやらせているのではないかと思いつつ、顎髭を扱くアルバート。
「余が一言の下に禁ずるのは難しくない。しかし、今それをやると民の不信感は王家に向けられるであろう。この策は、そこまで計算されているのだ。解ってくれ」
国王本人にそこまで言わせたらベイスンに継げる言葉など無い。
「取り乱しました事、どうかお許しください……」
「良い。敬愛する人物の窮状に、力を振るえぬ忍苦は耐え難いものだと余にも解る」
「それに、後悔するのは我々ではない」
グラウドは、慰めだけでなく当然のように言い切った。
「彼奴め、何を世に放ったか解っておらんのだ」
グラウドの言葉がすぐさま飲み込めずに眉根を寄せるベイスン。
「ホルツレイン経済はルドウ基金に乗っ取られるぞ」
「!」
「あれが本気になればそれくらいはやって退けるだろう。数々の新事業を打ち出し続け、その権利を一手に握っていれば、どの商会もカイの言う事を聞かねば立ち行かなくなっていく」
怖ろしき未来図が語られる。
「ですが、模倣産業はすぐに現れます。現に託児院はもうかなりの数が作られています」
「物品ではないものに関してはな。しかし、カイが本気で権利を守ろうとしている反転リングなどは模倣品が現れてはいまい? 特に魔法具等であれば、容易にやって見せるのだ。そして、便利な魔法具を与えられた者はそれを手放せなくなる。権利に支配されようと、抗えはしないのだ」
その先にあるのはカイによる経済の支配だと気付かされてしまう。
「無論、ホルツレインの目指す福祉国家への一石としてルドウ基金を作り上げたのは確かだ。しかし、それと同時にカイ・ルドウという革新的な人間を、経済的には国家の軛の下で縛り付ける為に基金の長に据え付けたのも本当。なのに、彼奴めはその綱を切ってしまいおった。もう、頼むべくはカイ本人の自制心しかない」
その辺りの思惑も、当人には読まれていただろうとは予想は付く。だが、敢えてその綱を切ろうとしなかったのは、彼のホルツレインに対する気遣いだったのだと思う。
「もし、経済を乗っ取られたとしたら、そう時を置かず王国の体制は骨抜きにされてしまう。保守派の連中が牛耳っていたとしても、有名無実な状態になっているだろう。当然だ。金が無ければ何も出来ないのに、その金を外部の者に握られているのだからな」
「でも、カイさんはそこまではしようとしないのでは?」
「あれはそれくらい平気でやるぞ?」
最も心を通わせているだろうグラウドがそう言うのでは抗弁できない。
「そして、その
「うむ、カイが院で行っている教育の一般化はその為の布石であろうな。民に政治を行える力を徐々に付けさせていくつもりだ。今はその人材を王国の国政に参画させる事で基盤を作り上げようとしている筈だ」
「それを……、お許しになるので?」
少年は信じられない思いで貴人を窺う。
「もし、それが時流ならば仕方あるまい。だが、とてつもなく時間の掛かる将来像であるのは間違いない。余も座して受け入れる気は無いぞ。王が良き治世を守れば民はそれで満足する筈である。目指すべきはそこであろう?」
「陛下の御慧眼、この身の及ぶところではございません」
ベイスンは、この思惑の綱引きに感服せざるを得ないのだった。
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