院の実情
幼い子供達はもうロアンザから離れなくなってしまった為、彼女にも掛けてもらって勉学の時間を続ける事になった。例によってカイが訪問すると講師は彼の役目になる。ふざけてチャムまで卓に着いているものだから失笑してしまう。
黒板を見ると今は、七、八歳の子までは四則演算を進めているが、それより上の子は連立方程式に手を付けている。四則演算の延長線上にあるそれは上の子達は普通に習得しており、桁数の多いものや複雑なものでより深い理解に及ぶ段階に入っていた。
「正確だよ、パスピエ。ちょっと捻った問題なのに凄いじゃないか?」
誉められるのを待っていたのか、得意げに胸を反らせて答えてくる。
「当たり前だよ。カイ兄ちゃんが居ない間、俺がどれだけ頑張っていたと思うんだよ?」
「悔しいけど、最近のパスピエには追い付けないんです、カイさん」
カイの誘導と発破で開眼したらしい彼は成長著しいとみえる。
「でも、単語覚えるの遅いよー。字、汚いし」
「うわ、ばらすなよ、お前ら! 黙ってりゃわかんないんだから!」
「こら、そういう事言っちゃダメだよ。得手不得手は有るんだから皆で教えあえばいいだろう?」
パスピエは頭の天頂を軽くコンコンとしながら言われれば黙ってしまう。
(しかし、ちゃんと教育すると、環境がこれでも上達は早いものだな。これは分数の四則演算や面積計算の
現状、ルドウ基金で使用する為にクラッパス商会から植物繊維紙を仕入れている。その為に仕入れ量を増やすか、もしかしたら伝手を使ってもらって版画印刷まで依頼したほうが早いかもしれない。積み木のような木製教材も図面を書いて作ってもらったほうがいいか?
カイは子供達に指導を進めながら、頭の奥でそんな事を考えていた。
すぐに昼時がやってきてしまう。豊富な資金力で増築を繰り返してきた託児孤児院には今や、勉学部屋と食堂、寝室とが分けて設置されていた。食堂に移動した彼らは皆で食事の準備をし、食卓に着く。
年長の子は当然のように年少の子達の世話をしつつの食事であり、しかもそれは院の子供も託児の子供も分け隔てなく行われている。年嵩の託児の子が、院の年少の子達の世話をしていたりもするのだ。それを見たロアンザは、院に預けた子供が行儀良くなったり、礼儀正しくなったりするのも当然だと思う。
職員に尋ねてみると、そういう風に指導しているのではなく、自然にそうなっていったのだと言う。年少の子達を世話する院の年長の子を見ている内に、託児の子も助け合うのが当たり前だと感じるようになったのではないだろうか?
そうやって社会生活を学んでいったこの子供達は将来、どんな大人に成長していくのだろう? ホルツレインの未来がここから生まれていっているように思えてしまった。
本来、大人や王国が作り上げなければならない仕組みが出来上がりつつある。その根本となる部分はカイが作ってくれた。
先に進めようと望むなら、それはこの国の人間がやらねばならないだろう。
「美味しいね、お母さん」
「ええ、美味しいわね。ずいぶんと手の込んだ料理を出すからびっくりしているわ。料理人まで居るのかしら?」
「ううん、これ、みんなで作っているんだよぅ」
「時間の掛かる料理は
年長の子が引き継いで教えてくれる。
「まあ、そんなに頑張っているの」
「いえ、ここでは自分で出来る事は自分でするのが当たり前なんです。その中で得意なものを見つけてそれの担当になっていくのが普通なので」
或る種、職業訓練のような事をやっているのだと分かる。得意な事を見つけて好きになれば、将来的にその道を目指していくのだろう。
それが自然発生的なものだとは思えない。カイが誘導したのかもしれない。彼女が知っている青年なら、それくらいの計画はして見せる。
「でもさ、最近託児の子少なくなってきているから、俺ら稼げていないじゃん。もう少し、素材を安いのにするとか、量を抑えるとかしたほうが良いんじゃないか?」
年長の女の子が多いほうを向いてパスピエが進言する。彼女達が料理班の中心メンバーなのだろう。
「それ、あたし達だって考えているから。先生達と相談して、託児の子の人数とか様子を見ながら調整するつもり」
「ちょっと待って。それを君達は考えなくていい」
真剣な顔つきになって討議が始まりそうなところで青年が制止に掛かる。
「今、院に供給される設備や生活用品、食材なんかはルドウ基金で管理している。そこには院から上がってくる収入を把握している担当の人の意見も反映されているし、基本的に基金には潤沢な資金が有るから倹約しようとかの考えは必要ない。強いて言うなら、今有る素材でどれだけ豪華な料理が作れるかとか、そっちの方向で頑張ってみてくれる?」
「でも、兄ちゃん、今大変じゃん」
これまで濁してきたが、子供達とて今ホルムトに蔓延している悪い噂は当然耳に入っていた。そこで白眼視されたカイが経済的に困窮して来るのではないかと彼らなりに気を遣っているのだ。
「そうだね。君達も色々聞いているでしょ? 何が本当かはここで僕が主張しても仕方ないし、判断は任せるよ。ただ、君達が僕を軽蔑したとしても、絶対に院の運営を止めたりはしないし、君達を放り出したりはしないから安心して。それだけは信じて欲しい」
「違うよ! 俺らはあんな噂信じてなんかいない! 奴ら、カイ兄ちゃんを知らないからあんな風に嘘ばっかり並べて書けるんだ!」
パスピエは悔しそうに握った拳を振り回しながら主張する。
「俺が嫌なのは兄ちゃんの手伝いが出来ないって事! それなら節約して兄ちゃんの負担を軽くするくらいしか思いつかなくって!」
「そうだったんだね?」
歯噛みする少年にカイは納得顔を見せる。
「それなら……、一つ試してみる?」
「俺は何だってやるよ」
パスピエは覚悟を表すが、収入を得る方策である以上確認しないで進める訳にはいかない。
「皆、
「はーい!」
見事に揃った応えに混じって「可愛い」とか「バリスって云うの」とか色々と補足が加えられる。
現在、ホルムトに建設された託児孤児院数は五十二。その全てで2、3羽の通常セネル、彼が聞いた報告では総数126羽が飼育されている。セイナから買い受けたセネル鳥達は問題無く幸せな暮らしをしているようだ。
「じゃあ、別の動物もお世話出来るかな?」
「はーい……、え!?」
予想外の提案に戸惑う。
「僕が考えているのは牧場運営だ。
「?」
「黒縞牛ねぇ。大人しいけど魔獣よ?」
黒縞牛というのは雷系牛魔獣。極めて穏和な性格をしており、繁殖力も高く主に肉牛として狩りの対象になっている。ホルツレイン南部に分布していて、ホルムト周辺は北限を越えていて生息していない。
しかし、それは気候条件的な北限ではなく、天敵になる大型肉食魔獣の生息数という意味での北限である。南大洋に近い涼しい地域は天敵が少なく、そちらに追いやられて繁殖しているに過ぎない。要するに、穏和であるが故に南部にしか分布出来ていないのである。
だが、着目したのは黒縞牛の肉ではない。カイは、乳牛として黒縞牛の飼育を提案したのである。
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