美しい涙

 最新版の王家番の大見出しを飾ったのも魔闘拳士の四文字だった。


【カロフォランカ商会本店の襲撃を行った暴虐の英雄『魔闘拳士』。金策に奔走か!?】


「当商会は魔闘拳士からの物的被害を補償させるべく、ルドウ基金に損害賠償請求を行った。魔闘拳士カイ・ルドウはそれに驚愕の反応を示した。そのような事態になるとは思わなかったのか金策に走り始めた。バーデン商会・クラッパス商会・モノリコート製造所など、自らの発明品に関わる各所を巡って無心をしたのだと思われる。無確認ではありながら、国王へも協力を要求したとの情報もあり、現在確認中。資産状態は問題無い筈のルドウ基金を擁しながらのこの行動。個人資産を減らしたくない貪欲さ故のものと考えられる」


 王家番を手にした市民は声をひそめて噂する。堕ちたる英雄の動向を。


   ◇      ◇      ◇


 訪問を告げる言葉に、ロアンザ・レフレゼンは少し意外な顔をする。

 異邦人の青年は今、醜聞スキャンダルの渦中にあり、彼女との接触は絶対に避けるべき時である。彼はそれが解らないほど愚鈍ではない。むしろ聡明である事を思えば、その行動にも意味が有るのだろうと考える。


「どうかしたの、カイ?」

 先陽せんじつ紹介された、王太子妃エレノアに勝るとも劣らない美人を伴ってやってきている。

「出掛けませんか? 心が弱っている時には一番の場所に案内して差し上げますよ?」

「元気はもらえるわね、間違いなく」

 チャムの勧めのまま、動き回れる装いを求められると、訳の解らないまま連れ出されたのだった。


 馬車に乗ったロアンザは城門を越えても堂々と姿を晒して騎鳥を駆る二人に舌を巻く。行く先々で市民達に視線を逸らされ、こそこそと陰口を叩かれているというのに、全く気にしている風が無い。何という胆力だろうか?

 背筋を伸ばしてセネル鳥せねるちょうに歩を任せ、朗らかな笑顔で時折り言葉を交わす二人を見ていると、ずっとそうしてきているのだろうと分かる。大都市の大通りだろうと、旅の街道上だろうと、魔獣の闊歩する森林帯の中だろうと、血生臭い戦場でさえ変わらず己が力を信じて進んできたし、これからも進み続けるだろう。


 自分にその強さの一部でもあれば現状を変えられたのかもしれないとロアンザは思う。グラウドへの愛が本物だと訴え続ければ彼はそこまで追い込まれる事は無かったのではないか?

 結果的に今はただ重荷にしかなれていない。あの人を支えたいと思った過去の自分を裏切っている。それが悲しくて仕方がなくて、彼女はそっと目元を拭った。


 辿り着いた先の施設からはワイワイと賑やかな声が漏れており、時々歓声も上がる。それらは全て子供達の声であり、ロアンザの沈んでいきそうな気持を引き戻そうとしているかのようだった。

 二人が背から降りるとセネル鳥は勝手に裏手に回っていった。良く知っている場所なのだろうと分かる。カイの手を借りて馬車を降りると、少し大きな真新しい扉が有った。ここまでくると彼女にもそこが何かは察している。彼が運営している託児孤児院だ。

 カイは笑み掛けて確認すると、扉を叩いた。


「やあ、こんにちは。みんな、元気かい?」

 屋内からワッと歓声が襲い掛かってきてロアンザはビクリとした。

「わー! カイ兄ちゃんだー!」

「いらっしゃい! お兄ちゃん!」

「チャムさんもいる!」

「チャム-!」


 十三、四くらいと思われる子から五、六歳に見える子まで育ち盛りの子供達が一斉に駆け寄ってきた。職員に抱きかかえられている小さな子も居て、もしかしたら赤ちゃんも居るのではないかとロアンザは思った。


「勉学の時間ですよね? お邪魔して申し訳ありません」

 カイは職員達に頭を下げている。運営側の代表である彼がそんな事をするのが意外に感じられた。


 ロアンザは城壁外での彼の姿を知らない。会っていたのは大抵は自宅だったからで、夜会などの公的な場所で会った事は数えるほどしかない。

 親しいもの以外には慇懃な物言いをするのは知っているが、その適用範囲が市井の者にまで及んでいるとは思わなかった。だが、肩書も権威も求めないのだから、特に守るものなど無いのも解らなくもない。

 見合う振る舞いと云うものは、それで守るべきものがある人間にだけ必要なものだ。持たないものが見せる振る舞いなど誰の目にも滑稽としか映らない。カイはそれを知っているのだろう。


 

「お兄ちゃんのお姉さん?」

 子供達を落ち着かせたカイは、彼らにロアンザを紹介する。彼が、姉のような人だと紹介した所為で一人の女の子がそんな風に問い掛けてきた。

「どうなのかしら? カイがそう言ってくれるのならそうかもね」

「じゃあ、ジュリアのお姉さん!」

 その子は躊躇いも無くロアンザに抱き付いてきた。兄の姉は自分の姉という理屈なのだろうが、屈託の無いその行動は彼女を感動させる。

「ずるーい! ジュリアだけのお姉さんなのー?」

「あたしもお姉さん欲しー!」

 男の子は大人の、しかも高貴そうな女性に尻込みしているが、女の子達はあまり拘りが無いらしい。カイが連れてきた人であるが故に全面的に信用しているのかもしれない。

「ありがとう。でも、わたしはお姉さんって年齢じゃないわね。お母さんくらいかしら?」

「え?」


 一瞬にして空気が固まった。

 周囲に居る子供達が皆驚いた顔をしている。ロアンザは自分が何をしたのか解らずに戸惑いの渦中にある。何が彼らを固まらせてしまったのか、全然分からない。


「……お母さんで良いの?」

「え? ダメかしら? みんなのお母さんはわたしくらいじゃないの?」

 ジュリアが縋り付いて啜り泣き始めた。

「欲しい……。お母さん、欲しい……。お母さんになって!」

「あ……!」


 ロアンザはその時初めて理解した。彼らが本当に求めているのは親だという事を。着る物も食べる物も住む場所も生きる為には必要不可欠な物だ。それはカイが与えてくれたのだろう。しかし、それだけでは絶対に満たされないものがある。その一つを彼女は何気なく与えてしまったのだ。


「とんでもないご褒美をあげてしましましたね、ロアンザさん」

「それって後戻り出来ないわよ。取り消すなら今がギリギリのところだと思うわ」

 だが、ロアンザは肩を震わせているジュリアを振り払う事など絶対に出来ないと思った。しゃがんで小さな身体を抱き締めると優しく告げる。

「わたしで良いならお母さんって呼んでくれていいわ。どうかしら、ジュリア?」

「お母さん!」


 強く強く抱き付くと堪え切れない嗚咽がロアンザの耳を打つ。それがとても幸せだと感じてしまった。

 そして、周囲の涙を零し始めている子供達に向けて、両手をいっぱいに広げて応える。駆け寄った子供達にもみくちゃにされながらも、その温かさがもたらしてくれる多幸感は人生で初めて感じるようなもので、一度味わってしまうと絶対に忘れられない経験になりそうだった。


「わたし、みんなのお母さんになれるかしら?」

「無理を言ってごめんなさい。今陽きょうだけの事とは解っています。小さい子達には後で言って聞かせますので、この場だけはお願いできませんでしょうか?」


 最年長に近い一人の女の子がそんな事を言ってくる。しかし、その子さえも胸の内の期待に耐え切れないように涙を流しているのを見ると、ロアンザは彼らの心の渇きを実感してしまう。そして、一番欲しがっている言葉を与えずにはいられなかった。


「もし、あなた達が望むのなら、わたしはいつまでもお母さんでいたいと思うわ」


 その頬を濡らす涙を、カイはとても美しいと思った。

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