失墜と誘導
珍しい事もあるものだとイルメイラは思った。引っ張って来なければルドウ基金本部に顔を出さない代表兼家主が、朝からやって来たのだ。
「おはようございます、代表。どうなさったのです?」
にこやかに挨拶を交わすと彼は告げてきた。
「しばらくは託児孤児院のほうからの収入は激減、もしかしたら無くなるかもしれません」
「例の件ですか? 既に多少は影響が出ております」
それは彼女にとっても想定範囲内の忠告であった。
院の運営そのものは、その程度で揺らぎはしない。現実問題として結構前から減収方向だったのだ。民間商会はこういった商機を逃すほど甘くはない。ホルムトには『託児院』と呼ばれる施設が増えてきていた。
職員が常駐して集めた子供達を預かり世話をする施設で、院の託児機能だけを分離させたものだ。当然、価格競争にも熱心で、院の価格設定よりは少し安価になっている。そうなればそちらに流れる客も多いのだが、院への託児を望む客も案外多かった。
託児院では職員が全ての子供の面倒を見なければならず、しかも不慣れな事も有って子供が勝手に家に帰ってしまうなどの問題が起こる場合も少なくなかった。
しかし、院では職員と共に子供達皆で預かった子達と行動する。隅々まで目が行き届くのだ。勉学の時間や内容も充実していて未だ追随は許していない上、子供達がそこで学ぶ行儀や作法、身に着ける社会性なども高い評価を受けたまま。
何より院の子供達と交友関係を結んだ子達が、そちらのほうを強く望んだのが大きい。そのお陰もあって、大きく顧客を奪われる事は無かった。
とは言え、魔闘拳士に関する悪い風聞が流れ始めれば、親も黙って子供の望んでいる通りには出来ないだろう。王家番は既にそのくらいの影響力は持っている。イルメイラもその点は十分に理解していた。
「院の運営を優先してください」
「優先順位は心得ております。王国への融資を控えさせていただきますので問題はございません」
王家番の問題に取り組む気が無いのなら融資は出せないと圧力を掛けるつもりなのだろう。
「無理を言いますがお願いします。上手くいかなければ時間が掛かるかもしれません」
「何をなさるおつもりなのです?」
まともには答えないだろうと思いつつイルメイラは訊いてみる。
「ちょっと掃除を」
◇ ◇ ◇
バーデン商会の店頭。朝の書類仕事を終えて、在庫の数を頭に浮かべつつ品揃えに目を走らせていた商会主オーリーは背後から声を掛けられる。
「お疲れ様です、オーリーさん」
その声は忘れる訳にはいかない声。忙しくなってからはそうそう会えなくなったものの、一時は旅を共にした相手である。
「よお、お二人さん。相変わらずつるんでんだな。
「二人共、里帰りです。丁度良いんですよ。今、僕の側に居ないほうが良いですからね」
「そりゃそうだよな。暴虐の英雄さんよ」
「何か買いに来てくれたのかよ?」
「いえ、冷やかしです」
「帰ってくれ」
二人してニヤニヤしながらの遣り取りである。
「あなた達、本当に仲良しよねぇ。妬けちゃうじゃない?」
「男の友情に水を差すもんじゃないぜ」
「分かっているわよ、碌な事にならないって」
三人は軽口の応酬を楽しんでいる。忙殺されているオーリーにとっては一服の清涼剤になっただろうか?
「売れ行きはどうです? 僕の発明品が不良在庫化しているんじゃないかと思っていたんですけど、姿が見えませんが?」
店頭の商品を眺めながらカイが問う。
「反転リングか? そんなもん、店先に並べられるほど余っている訳ないだろ? 何なら予約票見るか? ちょっとした辞書並だぜ?」
「商品に罪は無いって事ですか」
物流の要になりつつある反転リングに余剰分など出たりはしない様子だ。
「そういう事だ。モノリコートにしたってたまに店頭に並べられる時もあるが、開店と同時に一瞬で消えちまう」
モノリコートに関しては小売りであると同時に中卸し商でもあるバーデン商会であっても、数の確保は難しいと言う。
商品として取り扱う店員でさえ、
「問題無さそうですね?」
「心配すんな。やりたいようにやれ」
理解者であるオーリーはお見通しらしい。
◇ ◇ ◇
「新領の孤児院建設は進めても構わないのだね?」
ここはクラッパス商会の貴賓室。カイとチャムは当然のようにそこに案内されて苦笑いを浮かべる。
「ええ、反転リングが売れている内は資金的に問題が出る事は無さそうです。ご迷惑を掛ける事はまず無い筈ですよ?」
「それでは私の命がある内は安泰という意味ですな? では遠慮なく進めますぞ」
「それより僕をこんな場所に案内させるのはお勧め出来ません。繋がりが深いと思われれば商売に影響が出るかもしれませんよ?」
状況的には鳥羽口というところだ。対立の深化は否めない。
「商売は信用ですよ。カイ殿は私を信用した。私もカイ殿を信用した。それが莫大な利益を生んだ。貴殿は何一つ裏切りを働いている訳ではない。それどころか情勢を見て忠告に来てくださった。ならば何があろうと信じ続けるのが正解です。なに、少々の事で揺らぐような
「参ったな。これは重い。申し訳ありませんが、娘さんにも少し苦労を掛けてしまいそうです。どうかご容赦を」
「願ってもない。あれももう少し叩いて鍛えれば本物になりましょうぞ」
これにはさすがに二人も顔を見合わせて肩を竦める。
「これは手厳しい」
「あれが望んだ道です」
そう言ってムリュエルは大笑するのだった。
◇ ◇ ◇
「ごめんね、メイベル。少し時間が掛かりそうだよ」
昼下がりの時間帯。モノリコート製造所の一つを訪れると、ちょうどエランカの所に休憩中のお茶請けを運んできたメイベルにも出会えた。
現状、ベイスンはグラウドと一緒に王宮に詰めている。間違いなく彼女とは会えていないはず。ベイスンが自ら志願しての事だとは言え、彼らを引き裂くような結果になっているのは認めざるを得ない。
「それはカイさんが謝るような事じゃないです! みんなあの王家番が悪いんですから!」
憤懣やる方無いという口調でメイベルは言い立てる。
「あんな煽り文句を喜んで騒ぎ立てているような人達を見ていたら、情けなくって仕方がないです! 侯爵様は絶対に書かれているような方ではありません! カイさんの口添えがあったからって、助けを求めたわたし達にあんなに優しくしてくださって何不自由なく暮らさせてくださったんですよ。本当に夢のような暮らしでしたから」
「うん。でもホルムトの住人だって侯爵様の為人を知る人は少ないからね」
国王の懐刀と呼ばれていても、実際にどんな働きをしているかまでは伝わらない。グラウドがどれだけ粉骨砕身、王国に尽くしてきたかは解り難いだろう。
「カイさんの事だってそうです! あんなに持て囃していた人達が、掌を返したように批判を始めて! もう、何を考えているのか解らない」
メイベルは顔を押さえてテーブルに突っ伏す。エランカは彼女の背をさすって慰めてやっていた。
「普通の人達にとって唯一の情報源なんだ。こんな反応が出ちゃうのも仕方ないんだよ」
「でもっ!」
「それよりさ、最近のモノリコートの出来を見せてもらってもいい?」
カイが驚いて出来を褒めると、やっと少し笑顔を見せてくれるメイベルだった。
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