醜聞

 ロアンザは気丈な女性だ。そうそう人前で涙を流すような人ではない。その人が急にそんな姿を見せるとなれば只事では無かろう。


「どうしたんです?」

 彼女は思わず零れてしまった涙を隠すように顔を覆っている。

「ごめんなさい。そんなつもりは無かったの。ただ、自信に満ちた君を見ていたら、自分が情けなくて……」

「目立たない所へ」

 チャムとフィノが背を押すようにして会場の隅に連れて行く。皆で囲むようにしてロアンザの姿を隠した。トゥリオが周囲に目を光らせている。


「何事です? 僕では頼りになりませんか?」

 赤くなった目をハンカチで押さえるロアンザの姿をカイは痛ましげに思う。

「本当に大したことではないのよ。心配しないで」

「それは無理な相談です。貴女を姉のように思っていると言ったでしょう?」

「良かったら話してくださらないかしら? この人、家族はすごく大切にするし、言い出したら聞かないの」

「絶対に余所で喋ったりしませんですぅ」

 少し落ち着いてきた彼女に促すように言い募る。

「…………。そうね、ここで黙ってしまっても君は簡単に調べてしまうものね。だから、こんな姿を見せちゃいけないって思っていたのに……」

「そうですよ。もう見過ごせません」

 覚悟を決めたロアンザは重い口を開く。

「わたしとグラウド様の事、『王家番』に書かれてしまったの」


(あれはそういう意味だったのか。やってくれる)

 カイは舌打ちをする。


 それが起きたのは一往半二ヶ月弱ほど前、その発行された王家番の片隅に政務大臣グラウド・アセッドゴーン侯爵の不実に纏わる記事が載せられた。

 それそのものは大きな問題ではない。そこそこのたなを構える商人でさえ女好きであれば無くもない話だ。貴族であれば何をか言わんやである。しかし、ことグラウドの立場となると少々事情が異なってくる。

 彼は王より政務大臣の職を賜っている。それはまだいい。更に次代国王クラインの妃エレノアの父であり、王孫達の母方の祖父にもなる。権力が集中し過ぎており、しかもそれが安定してしまっていると誰もが感じてしまうのだ。

 当人は王権とは一線を画す姿勢で職務に励んでいる。しかし、それは民には非常に伝わりにくい事実なのだ。国の中枢に在るが故に、民は彼に公明正大清廉潔白を求めてしまう。

 故にこの記事は民衆の耳目を集めた。情報伝達力の低いこの社会で、僅か十あまりでホルムトを駆け巡ったのである。


 反響は小さくなかった。権力を恣にしているからこそ、それが許されると感じているのだ、と。王家の縁戚ともあろう人間が、女性を足蹴にするような行為に及ぶのか、と。中には政務大臣の在職を疑問視する声まで王宮にポツリポツリと届くようになったのだ。

 気付いた時には火消しが困難な状況にまでなっていた。そうまでなってしまえばグラウド本人が表立って王家番の規制に乗り出す訳にはいかない。国王アルバートも公的ではないにせよ、城壁内での活動を許した相手を今更規制するとは命じ難い。ここは、この噂が人口に登っている内は大人しくしておくべきだろうという結論に至った。


 ところが、その記事には続きが有ったのだ。噂が落ち着きを見せ始めた頃、今度はロアンザの家名だけでなく名前まで暴露された。そして、その反響の最中、火に油を注ぐように二人の関係が始まったのが、妻フランシアがホルムトから居を移した後、その目を憚るような時期だったと報じられる。

 もう、誰にも止められなかった。噂は噂を呼んで加熱し、グラウドの人格を疑うものから、ロアンザが誘惑した説まで様々な推量が飛び交う。グラウドは人目に付かないように行動しなければ王家の人気にさえ影響を与えるほどに加熱してしまいそうだった。

 そして、彼は王家番に対して「レフレゼン男爵令嬢ロアンザは、私に強要されて今の立場にある」と申し伝えて、王宮の執務室で暮らすようになったという。

 そして先陽せんじつ、彼女の下へ手紙が届いた。「何も心配は要らないから、気晴らしに晩餐会にでも顔を出してきなさい」と。


「わたしが不甲斐ないばかりにグラウド様の足を引っ張ってしまったわ。本当はわたしから深い関係を望んだのに、あまりに騒ぎが大きくなって尻込みしてしまったの」

 カイの表情が危険域近くにあると感じ、仲間達は肝を冷やしている。

「いえ、こういった状況になってしまうと、当人達が何と言おうとそう簡単に流れは変わりません」


(異世界に来てまでこれか)


 重要な案件が議論されていようが何ら関心は示さないくせに、権力者や有名人の醜聞スキャンダルには欣喜雀躍する大衆。そして、助長を促すような姿勢を崩さない報道機関。私事など些事に過ぎない。そこに犯罪が絡まない限りは当人達の倫理観に任せればいいではないかと思う。

 それでもホルムトでさえ同じ事が起こってしまっている。生活が豊かになって余裕が出来てしまうと、人は変節してしまうのだろうか? それはあまりに悲しいとカイは思う。


「ロアンザさんは疲れてしまっているんです。僕にくらい吐き出しても良いんですよ?」

「君にまで甘えたらわたし……」

 感情が吹き零れるのと同時に、また涙が溢れてくる。カイは彼女をそっと抱き寄せた。しかし、ロアンザはそれを拒もうとする。

「ダメ! 君まで悪く書かれてしまうわ。この会場にだって王家番は入ってきているのよ」

「書かせましょう。侯爵様が動けないなら僕が動きます」

 彼の力は強く、ロアンザ程度では絶対に抗えずにそのままになってしまう。彼女はハンカチを顔に当てて、力を抜くしか無かった。


 落ち着いてきたロアンザを椅子に掛けさせて、四人で固めて王家番の様子を窺う。案の定、明らかにこちらに注目して、しきりに何かを書き付けている。


「標的が変わったみたいよ?」

「いや、どうせ次の攻撃目標は僕だろうから、ほんのちょっと早まった程度じゃない?」

「何だって?」

 その台詞にはトゥリオはもちろん、フィノやロアンザも反応する。

「前提から妙な点が多過ぎる。王家番の城壁内の活動許可なんて重要な案件が、御前会議を通っていないというのが不自然なんだよ。そんな事をしようと思えば、よほど多くの人間の賛同を得て、空気を作り上げないといけない。王宮に詰める臣達はそんなに間抜けじゃない。陛下の公認でない動きの中で問題が起きたら誰が責任を問われるかな?」

「勧めた人間達ね」

「本当に有用性が高いなら最初から御前会議に上げればいい。それなら要らない責任を取らなくていいんだから。ところが今回はそうはならなかった。危険性を議論されて、王家番の動きを規制されたり検閲を受けたりすれば困るからさ」

 カイは持論を展開する。

「つまりそういう指示をされたり、利益供与を受けた人間によって作り上げられた状況だったって訳ね」

「そもそも全体の流れが一部の人間に都合が良過ぎるのさ。侯爵様の評判を落として、あわよくば失脚を狙う。現状、王家の事を悪くは言えない。下手を打てば信用を落とすのは王家番のほうだから。となれば今度は誰を狙う?」

「あなた」

 これが保守派や反魔闘拳士派の企みであるなら、そう転がしたい筈だ。

「汚ねえ事考えやがって。参ったな」

「君は予定通り里帰りしてくれていいよ。荒事にはならない」

「済まねえ」

「むしろ勇者一行が到着する頃には戻っててくれないと困るよ。何かの時に面倒そうだから」

「そうだな」

 魔王の件がどこかから漏れるとも限らない。その対応が必要だ。

「フィノも実家で過ごすと良い」

「ごめんなさいですぅ。あまりお役に立てそうにないですぅ」

 アサルトは城下に家を構え、ウィノとアキュアル、ピルスと暮らしている。彼女もしばらくは実家で暮らす予定だったのだ。

「困ったら声を掛けるからゆっくりしていて。チャムは僕と一緒に汚れてくれる?」

「仲間外れにするって言ったら、ぶん殴ってやるところだったわよ?」


 次のの王家番を賑わせた、抱き合う二人の挿絵に付けられた見出しはこうだった。


『毒婦ロアンザ、次なる標的は魔闘拳士!?』

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