ロアンザという女性

 国王アルバートの一言で、カイ達の帰還を祝う晩餐会が開かれる事が決定する。

 当人達はそういった場所を得意とはしていないのだが、これはだしに使われるだけであるのを理解しているのでとりわけ拒んだりはしない。

 そういう場を利用して顔繫ぎをしたり、時に密談なども行われている。木を隠すなら森の中。人が多く集まる場所でなら誰と誰が会っていたなど掴まれにくい上に、賑やかな会場内でなら聞かれる事無く会話も可能となる。簡易な密談の場に利用される事は少なくない。

 国王はそういった場の提供にも心を砕かねばならないのだ。


 だしと云えど主賓となれば欠席という訳にはいかない。これまで散々王宮メイド達を悩ませてきた人物に、苦肉の策が投入された。

 騎士が晩餐会に招待された時などは、儀礼服の他に儀礼鎧などが用いられる。その習慣を利用して、カイに名誉騎士用の儀礼鎧が下賜された。半身鎧ハーフプレートではあるが、白銀の鎧を纏ったカイはいつもに比べれば遥かにマシに見える。白い鎧に黒髪黒瞳が映え、いつにない精悍さを与えていた。

 そこに魔闘拳士として顔の売れた分が加味されれば、注目を浴びる存在にはなる。今夜はその腕を取るチャムも自慢げに出来るくらいの仕上がりであった。


 ざわつく会場を抜ける内に幾度か勇気ある者達の挨拶を受け言葉を交わす。その割合は貴族に偏りつつあるように感じられた。

 以前は発明品に群がるように、商会関係者がこぞって集まったものだが、彼がバーデン商会とクラッパス商会との縁を大事にするので、取引の相談はそちらに向けられるよう変わっていったのだろう。

 王宮内の比較的大きな会場でありながら、王家の人間や有力貴族の参加が控えられた晩餐会は、時を置かず落ち着いた雰囲気に包まれる。若年層が多い所為も有り、仲の良い者同士が集まって歓談する形になっていっている。


「ああ、ロアンザさん。来ていたのですか? 珍しい」

 頃合いを見計らったように一人の女性が姿を現した。


 その女性は三十歳を越えた辺りだろうか? 波打つ緑色の髪とハシバミ色の瞳が印象的で、青いドレスが落ち着いた雰囲気を際立たせ、それでありながら年齢なりの艶やかさも感じさせた。整った顔立ちに穏やかな笑顔を浮かべ、洗練された所作が彼女が貴族であると教えてくれる。


「ええ、たまには息抜きも必要だと言われたの。君は立派になったわね、カイ」

「僕自身は変わったつもりは無いんですけどね? 周りの見る目こそが変わってしまったんでしょう」

「そう。君は変わらないわ。思慮深さと自信に裏打ちされた堂々とした態度と、恐ろしさ。わたしだって君という深淵を全て理解していないの」

 その応対が二人の親しさを表している。だが、他の三人は彼女とは初対面だった。

「紹介してもらっても構わないかしら?」

「うん。この方は公の場所に出てくる事はほとんど無いから初めてだよね? ロアンザさんは侯爵様の恋人だよ」


「「「はいぃ!?」」」


   ◇      ◇      ◇


 レフレゼン男爵令嬢ロアンザは今輪ことしで三十五になる。アセッドゴーン侯爵グラウドの、いわゆる愛妾である。


 カイが彼女と知り合ったのはもう古い話だ。十四は前になろうか? 今も美しい彼女ではあるが、当時は煌めくような美しさに溢れていた。グラウドの酒席の話し相手に付き合っていて、酔った彼がポロリと漏らした結果に知ったのだが、紹介された時は驚きもしたが同時に納得もした。

 グラウドの妻フランシアが病を得て静養地に籠るようになって既に久しい。彼が妻への情を忘れていないのも真実だが、生気溢れるロアンザに惹かれていった気持ちも理解出来なくなかったのだ。美しく闊達で、それでいて落ち着いた雰囲気を持っていて家庭的な一面を持つ彼女をグラウドは眩しく感じた事だろうと思う。


 グラウドとロアンザはとある晩餐会で出会う。既に政務卿の地位に在り、有力貴族アセッドゴーン侯爵家を継いでいた彼が妻を静養地に見送ってから三、激務に倦んで気晴らしに出向いた場だ。比較的下位の貴族が集まる場所にあって、彼女は華やかに笑っていた。

 グラウドに話し掛けられて名乗りを聞き、ロアンザはひどく驚いていた。彼はその時三十八、彼女は十九。親子ほどとは言わないが、結構な歳の差だ。貴族の縁繋ぎを考えればそのくらいの歳の差婚も珍しくは無いが、恋をするには少々厳しい。それでもグラウドは真摯に口説いたという。


 ただ、そこにレフレゼン男爵家の事情が絡む。没落してしまっている男爵家は本来、娘を晩餐会に出せるような状態では無かった。なぜそんな無理をしたかと云えば、どこかの栄えている家の嫡子が娘を見初めてくれないかと考えたのだ。

 彼女は悩み苦しんだものの最終的には納得しての出席。ところが、そこで釣れたのが既婚の有力貴族という顛末。


 その後、あっという間にレフレゼン男爵家の状態を調べ上げたグラウドは、援助をする代わりにロアンザとの交際を切望し、申し入れた。当主は手を叩いて喜び、ロアンザの説得に掛かる。彼女が感じていたのは嫌悪ではなく困惑だった。

 家の為に自分が犠牲になるのは仕方がないし、恋を夢見られる立場でもない。先に立つのは不安。妾という不安定な立場で問題無いのかと思う。飽きられればそれまで。孕みでもしなければその後の保証はない。それでは犠牲になっても家を救うことが出来ない。


 ところが、公爵家からの援助が始まり、二人の時を過ごすようになってもグラウドはロアンザを抱かなかったという。その言葉通り、始まったのは交際だったのだ。贈り物をし、彼女の美しさを褒め、誠実に自分の想いを語った。

 ロアンザが自分の中に芽生えた気持ちに気付くまでそう時間は必要無かった。二人は恋を語り合い、世間的には愛妾と呼ばれる立場ながら恋人同士になった。


 カイにとってロアンザは姉だった。礼美のように愛すべき横暴ツンデレではなく、エレノアのように自称ではない、頼りになる姉である。

 彼は容貌の通り、流れ着いた異邦人という触れ込みで紹介された。言葉は何とかなったものの、文化や習慣の違いで人間関係に苦労する事の多かったカイにとって一番の相談相手になった。社交的で人心に通じる彼女はカイの相談を親身に聞いてくれ、的確なアドバイスをくれた。料理の手解きを受けたのも彼女からだ。


 カイが異世界に於いて頭の上がらない相手と云えば、アセッドゴーン侯爵邸の家令とロアンザの二人になるだろう。彼は狩りで得た魔獣肉や採集した野草、魔石もレフレゼン家に提供したし、時にはロアンザ個人に宝石なども渡している。しかし、そんなものでは返し切れないような恩を彼女に感じているのだ。

 ただ、表立ってロアンザに恩返しする事はなかなか難しい。なぜなら、自らを日陰者として社交界には出たがらないからだ。グラウドとロアンザの関係は決して褒められたものではないと自覚があるが故に、彼女は表舞台から姿を消した。


 カイはそれを少し悲しく感じていた。


   ◇      ◇      ◇


 ロアンザはカイの仲間達と挨拶を交わす。チャム相手でも気後れせず、トゥリオにも気品で劣らず、フィノの憧れの目にも距離を感じさせないように接する。そんな態度が彼らにも敬意に値する人物だと思わせた。


「幸せそうね、カイ。頼りになる仲間に囲まれて」

「はい。僕は出会った頃の狭量な子供ではなくなりました。貴女のお陰だと思っています」

「ありがとう。そうよね、君はもう一人じゃない」


 ロアンザの目からポロポロと涙が零れた。

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