チェイニー

「あー、あうっ! だぁー」

 人語にはなっていないのだが、何らかの意思表示をしているのが分かるから不思議である。


 柔らかな栗色の頭髪も豊かになってきて、青い瞳が好奇心を示している。

 彼の名はチェイン・ゼム・ホルツレイン。王太子夫妻の第三子で、生後五往六ヶ月である。

 母エレノアの腕の中で機嫌良さげにしている彼を、四人の冒険者は囲むようにして微笑ましい目で見ていた。小さい手が伸ばされて青い髪束を掴み取ってしまう。


「あらあら、ダメよ、チェイニー。引っ張ったら痛い痛いになっちゃうのよ?」

「大丈夫よ、エレノア。気に入ってくれたのかしら、チェイニー?」

「あー、あー」

 もう一方の手も差し出して、チャムに強い興味を示しているように見えた。

「むっ! 君の見る目は買うけど、僕と張り合うとは良い度胸だね?」

「バカね。赤ん坊と何を張り合うって言うのよ? ほんとにもう」

 カイをたしなめた後、エレノアからチェイニーを受け取ったチャムは、彼の身体から漂ってくる幼児特有の甘い香りに顔が緩んでしまう。

「あうあー、だう」

「可愛いわね、本当に」

「チェイニーはあまりぐずらない、良い子ですのよ」

 下の子を大人達が構い過ぎると嫉妬しがちになるのが上の子だが、セイナは弟が自慢でしようが無いらしい。

「うん、可愛いでしょ?」

 ゼインもいじけている感じはない。少し歳が離れている所為も有るかもしれないが、姉弟は弟を大事にしている様子だった。


 つい鼻を近付けると、チェイニーは青髪からその美貌に興味を移した。大人相手であれば絶対に許さないであろう接触を、目を細めながら受け入れた。

「あー!」

 顔をペタペタと触られていたチャムは、その愛らしさに揺すり上げて頬を合わせた。

「ん? この子……」

 接触面積が増えた瞬間、彼女はピクリと反応する。

「どうしたんですかぁ?」

「読んできた感触が有ったわ。何の構成を読んだのかしら?」

「無意識だと思いますけどぉ」

「僕には分らないんだけど、そういう事ってあるの?」

 まだ自我もはっきりしていない幼子が、魔法演算領域に触れてくる事など有るのだろうか? この世界に来てからその領域を魔法に使い始めたカイには、知りようの無い事実。

「それが無くも無いのよ」


 言葉や表情で意思の疎通の出来ない幼子は、触れる事が最大のコミュニケーションである。構成を放出する為に開放状態にある演算領域は、その延長線上に有るものとして認識される可能性は高いというのだ。つまり、幼子は無意識に相手の感情を知ろうとして、感覚の手を伸ばす時が有ると言う。

 ただし、それは生まれつきの才能として何らかの構成の原型を持っている者に限る。自分の中に無いものを、何らかの意味あるものとして認識出来る訳が無いからだ。


「なるほどね」

「チェイニーも魔法士の才能が有るのですか!?」

「僕と同じ『倉庫持ち』かも?」

 自慢の弟の新たな才能が見出されようとしているのに気付き、姉弟は興奮して食い付いてくる。

「こんなに小さい子じゃ無理よ。ぼんやりしちゃって読み取れないから」


 魔法構成は主にイメージで編まれている。魔法文字で表現される事も有るが、どちらにせよその知識が無い幼子では構成を編み上げようとしても完成させる事は出来ない。したがって発現もしない。『倉庫持ち』や身体強化能力者でも一定の年齢になるまで発現しないのは、脳の発達による演算領域確保の時間と、魔法構成の有効化がなされる為の知識が必要だからである。


 情だけでなく、興味を引く才を示したチェイニーがカイの手に渡る。

 下の兄弟も居ず、年下の従兄弟達の面倒も見た経験の薄いカイは、赤ん坊の扱いが上手な訳では無い。青い瞳と黒い瞳が見つめ合う時間が続く。


(あ、泣いちゃうかな?)

 不慣れな抱き方に不安を感じていそうな気配にそんな思いを抱いていると、小さな手が伸びて両のもみあげが鷲掴みにされた。


「きゃっきゃっ!」

 笑顔に変わった幼子の様子に安堵する。

「チェイニーにもカイ兄様の素晴らしさが分かったようですね?」

「ご機嫌」

「これなら大丈夫かな?」

 幼子と額を合わせるカイ。モヤッとした感触がすぐにやって来た。


(確かに読んでるね)


「この人の演算領域に深く潜ると飲まれちゃうわよ、チェイニー?」

 純粋な好奇心のような感触がカイの演算領域を包むように近付いてくる。それを優しく抱き留めるように感覚の手を伸ばし、チェイニーの中に眠るものを観察する。


(焦点の合っていない画像を見ているみたいだ。すごく単純だけど原型っぽいものは視えるな。意外と大きくて強い。これはあれだね?)

 幼子の力は緩んで目を瞑り、意識を表に登らせることが出来ないほど集中している風が見える。まだ未発達の精神には良くない影響が有るかと感じ、彼はそれをそっと押し戻した。


「うー、あぅー」

 少し不満げな様子を見せたが、揺すり上げてしっかりと抱くときゃっきゃと機嫌を良くして笑い出した。

「一瞬止まっていたけどどうしたの?」

「内側で見つめ合っていたから。でも、何となく分かったよ。チェイニー、君は身体強化が入っているね?」

「本当ですか、カイ兄様!」

「薄ぼんやりとしたイメージだったけど、きっとそうだと思うよ」

 カイが視たのは全身に手を伸ばすような構成だった。慣れればもっとずっと単純化できる構成だが、幼い精神にはあれが原型になるイメージなのだろう。

「良かった。チェイニーにも授かり物が有って」


 姉にも自分にも発現した才能が有って、弟に何も無ければ負い目に感じてしまうだろうとゼインは危惧していたようだ。その悩みが解消した彼は満面の笑みを咲かせていた。姉弟は手を取り合って喜びを表す。


 カイは、物欲しそうにしているフィノに幼子を渡そうとする。

「そんな! フィノなんておこがましいですぅ」

 セイナやゼインのように自発的に近付いてきてくれるなら遠慮しつつも受け入れるが、本人の意思に関係無く渡されるとなるとフィノは尻込みしてしまう。

「お願いよ。チェイニーもこの子達と同じように好きになって欲しいの」

「いえ、その……。それでは失礼しますぅ」


 母親エレノアにそこまで言われれば拒めるものではない。まだ御機嫌なチェイニーを受け取って抱く。獣人ごう生まれの彼女は赤ん坊の扱いが非常に上手い。皆で育てる習慣が日常の環境では、自然とそうなってしまうのだろうと想像出来る。


「あー! あ……」すやぁ。

 一瞬で寝落ちした。

 その様子を見ていた一同は、さすがに驚く。

「瞬殺だったわよ?」

「あらあら、気を失うように眠っちゃったわ」

 姉弟も目を真ん丸にして眠る幼子を見ている。

「フィノはなにもしていませんですぅ」

「分かっているから」

 魔法ではないと主張するが、そもそも睡眠など相手の精神に作用させる魔法は極めて難易度の高い部類に入る。そんな一瞬で使えるものではない。

「眠っちまったら大丈夫だろ?」

 手を差し出したトゥリオにチェイニーを渡す。

「小せえな。壊れちまいそうだぜ」

「う……、あー! ぎゃー!」

 抱かれた途端にぐずり始めると、すぐに泣き始めるチェイニー。

「ヤベっ!」

「ぎゃ……!」すやぁ。

 慌ててフィノの胸元に投げ渡すようにすると、また一瞬で眠りにつく。まさに魔法のような反応に皆が汗を垂らした。


「フィノ。二……、いえ一で良いから、この子に付いて下さらない?」

「フィノにはそんな大役は無理ですぅ!」

 彼女の才能を見れば決して大役とは思えないが、三人は敢えて口には出さない。


 エレノアに食い下がられて、悲鳴を上げるフィノであった。

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