聖弓の老爺

「あれは聖弓ね。なぜ、そんな物がここに有るのかしら? 教えてくださらない?」

 老爺フェンディットはチャムに背を向けたまま沈黙を保つ。

「何だよ、聖弓って。あれが何だか知ってんのか?」


 続いて扉をくぐってきたトゥリオが尋ねてくる。それもその筈、彼は矢に貫かれた魔人が滅した時に、老爺に詰め寄ろうと口を開きかけたところをカイに目で制されていた。そうでなければあの状況で彼の性格上、黙っている訳が無いのだ。


「端的に言えば聖剣と同じ物よ。あの通り、魔に属するものを滅する力が有るわ」

「聖剣!?」

 横槍にチャムは鼻を鳴らしながらも答えてくれるが、その答えはトゥリオを仰天させるに足るものだった。

「……爺さん、あんた、勇者なのか?」

「そんな者ではない。儂には跳び抜けた力が無いのは見て分かろう?」

「あ、ああ。確かにな」

 年齢の割には頑健に見えるが、とりわけ強い膂力を持っている様子は見えないし、強い魔力も感じられない。

「儂はただの山守り。あの山には時折り黒面こくめんが出る。それを討滅するのが役目だ」

黒面こくめん? あの魔人の事ですかぁ?」

「どう呼ぶかは知らん。あれが人に害を為すのを防いでおるだけだ」

「そういう風に伝わっているの?」

 チャムは老爺が韜晦しているのかと疑わしい目付きで問う。

「そうとしか聞いておらん」

「あの弓には、貴方の言う黒面こくめんを倒す力が有るから使っているだけだと?」

「…………」


 老爺は何も語らない。チャムも追及の手を緩めようとはしない。両者にはそれぞれの理由が有るようだ。その場の空気はどんどん重くなっているが、それを破るように発言する者が出てきた。


「ねえ、チャム。僕が何でわざわざこの辺りの魔境山脈までやって来て森に入り込んだのか気にならない?」

 確かに四人はカイが導くままに魔境山脈の麓まで来ている。彼は以前はぐらかしたが魔境山脈を越えるつもりなのは確実で、その場所を吟味しているだけなのだろうと思っていた。

「考えもしなかったわ。何か理由が有っての事?」

「信じてくれるのは小躍りしたいくらい嬉しいんだけどね……」

 彼は滑稽なポーズを取って重い空気を振り払おうとしている。

「僕はこの辺に気掛かりが有るから来たんだよ。チャムは覚えていない? あれ・・がこっちの方向を向いていたのを」


 カイが示唆したのは三以上も前の話なので彼女の記憶も曖昧だった。

 その魔法装置が設置されていたのはパープル達と出会った場所。ダッタンの遺跡の塔の天頂。あの魔力伝送装置と思われる物が向いていたのは北東の方向で、この辺りは確かに延長線上に当たると思われる。


「あっ!」

「ね? だから僕はヘラ・マータルから海岸線を辿って延長線に当たりを付けてから、南西に移動してきたんだよ」

「それで方位を調べていたんですかぁ?」

 フィノは野営の折りにカイが街道図を見ながら難しい顔をしていたのを思い出した。

「うん、最悪海の向こうって選択肢も無くは無いけど、それほどの航海技術が有るとも思えないし、この大陸中の事だと思ってね」


 トゥリオもフィノもその時の事は話に聞いているだけで、魔法装置の様子がどんなだったのかは詳しくは知らない。チャムも彼があの装置にそんなに拘っているとは気付いていなかったので思い当たらなかったのだ。


「よくもまあ」

「つまんない事を覚えているでしょ? でもね、あの装置の事はずっと引っ掛かっていたんだ。あれだけ膨大な研究成果を注ぎ込んで、あんな巨大な施設まで作り上げて、あれほどの時間を掛けて成し遂げようとした目的は何だったんだろうと思って気になって仕方が無いんだよ」


 ダッタンの塔の主はカイと同じ異世界人だ。先陽せんじつ彼が告白したように、カイの世界の住人はこの世界では非常に長命になる。その寿命を全て注ぎ込んで作った物に何ら意味が無いとは、考えたくは無かったのだろう。


「そうね。ごめんなさい」

「謝るほどの事じゃないよ。単なる感傷と好奇心だから」

 悲痛な顔で謝る彼女に、カイは手を振って否定する。

「ともあれ、その答えはこの山の中に有りそうなんだよね」

 そう言って暗闇に沈む山のほうを見上げた。


「その魔法の装置というのは、この辺りを指していたのかね?」

 それまで事情を知らず、話に加われないでいたと思われた老爺が重い口を開いた。

「ええ、寿命を迎えるまでは相当量の魔力をこの辺に伝送していたのだと思います。あの森の奥にはそれほどの魔力を必要とする何が有るんでしょうね? それは黒面こくめんと関係が有るかご存じなのではないですか?」

「…………」

 フェンディットはじっとカイを見つめ続けている。その奥では様々な思いが渦巻いているように見えた。

「儂は……、山守りだ」

 再び開かれた口は先ほどと同じ言葉を紡ぐ。

「儂の名はフェンディット・タイクラム。祖先は勇者の仲間だったと聞いている。そして、その名と共にここの山守りの役とあの聖弓を継いできた」

「ほわあぁ!」

「マジか、爺さん!?」

 トゥリオは目を丸くして老爺のほうを見る。

「勇者でもねえのに魔人を倒し続けてきたってのか?」

「その通りだ」


 老爺は訥々と語る。

 彼も自分が滅しているのが魔人だとは知っている。しかし、混乱を避ける為に外の者には魔人と呼ばず黒面こくめんと呼び続けてきたのだそうだ。魔人が森の奥から出て、この家に近付いてくれば聖弓が鳴くと言う。


「それでジュダップを助けに来れたって訳ですねぇ?」

「うむ」

 本人が告げた通り、彼には弱い身体強化しかない。それでも、その鍛え抜いた身体は聖弓を引く事は出来る。弓の導くままに、役目を背負い続けてきたらしい。

「勇者の仲間だったってのは本当なのか? 仲間にも聖剣みたいな武具が授けられるって事だよな?」

「それは当然ですぅ。だって普通の武器を使っていたんじゃ、勇者の側に居ても何も出来ません。魔人くらい倒せないと役に立てませんですぅ」

「そう言われりゃそうか」

「伝承にも勇者の仲間の武器の事は書かれていましたよぅ。そういう武器が残っていないのが不思議でしたけどぉ」

「聖剣を除いて、普通はその力は失われてしまうものなのよ。役目を終えれば必要の無いものだから」

「神の加護みたいなものなんじゃないかな? だから神が不要と判断したら抜けてしまう」

 カイは両手を上に向けてパッと広げて消えてしまう事を表して見せる。

「それが『聖属性』なのですかぁ? ずっと気になっていたのですぅ。チャムさんは普通に使っていますけど、フィノが知っている限り、そんな属性は有りませんですぅ」

「私の光述魔法と同じで、旧い旧い魔法よ。今はおそらく記述以外で構成を編める人間は居ないでしょうね」

「ほう、お嬢さんはこの聖弓と同じ力が使えると言うのかね? それで黒面こくめんと対しても臆していなかったと?」

「ええ、私は魔人を倒す力を持っているわ。手段が無ければ魔人は絶対に倒せないから」

 物理攻撃も魔法攻撃もほとんど効かない相手だ。それはフェンディットも承知している様子だった。


「だから君は彼女を連れてここに来たのかね? 森の奥にある何かをどうにかする為に」

「まさか。彼女の力がここで効力を発揮するところまでは僕も想定出来ていませんでしたし、彼女一人を危険に晒す為に連れてきたりはしません。絶対に守り切る覚悟が有るから連れてきたんです」

 カイは向き直り、己が胸にある覚悟を語ると老爺に問い掛ける。


「貴方はその役目をジュダップに継がせればいいと考えているんでしょうけど?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る