滅魔の矢

「ぎいいぃぃー!」


 背に矢を受けた魔人が悲鳴を上げる。眉間を狙って突き込まれた棘を光剣フォトンソードで打ち払った姿勢でカイは何が起こったのか様子を見ていた。

 矢が刺さった部分から黒い粒子が拡散していく。既に周辺の暗黒の肌は失われているというのに、矢は当たり前のように宙に浮いている。見た目は普通の矢なのに、明らかに普通ではない。

 それからも矢を中心に黒い粒子は拡散し溶け消えていく。胸に貫通した穴は広がり末端に向けて失われていき、全ての粒子を散らすとどす黒い核石と矢がポトリと落ちた。彼はその様子を最後までじっと観察していた。


 全てが終わったのを確認すると、背後にチラリと目をやる。そこには眉根に皺を寄せ、怪訝な顔をしているチャムが居る。驚きを隠せないトゥリオやフィノとの対比が際立ってしまっているのだが、本人はそれどころではないのかもしれない。カイは正面を見据えてその時を待つ。接近してくる存在が姿を現すのを。


 現れたのは老爺だった。腰や背に矢筒を下げ、左手には意匠の凝らされた白い大弓を携えている。ゆったりとした上下に山歩きに適した革靴、革のベストを纏い、白髪に所々灰色が混じった頭髪は鍔の広い帽子の下に押し込められていた。

 豊かな髭を蓄えた容貌は少々面長であるが鋭く引き締まり、特に鋭利な双眸が印象的だ。


「爺ちゃん!」

 トゥリオの小脇に抱えられている少年が老爺に呼び掛ける。確かにその金髪の少年は老爺の相貌に相似点を見出せる。

「孫を助けてくれたようだな。礼を言おう」

「お孫さんでしたか。お礼は結構ですよ。僕達は何も出来ませんでしたから」

「いや、儂では間に合わなかっただろう。君達が居なければ孫は助からなかった筈だ」

「では遠慮なく受け取っておきましょう」

 朗らかに笑みを送って頷いておく。

「帰るぞ、ジュダップ」

「う、ごめんなさい、爺ちゃん」

 少年は老爺が金色猪に一瞥をくれたのを見て謝る。

「少々お待ちを。せっかくですからお孫さんの戦果をお持ち帰りになってください」

「礼代わりに受け取ってくれ」

「とんでもない。彼の宝物を奪い取るほど強欲ではありませんよ」

 老爺に駆け寄った少年が手を伸ばしかけて、その手を繋ぐのを躊躇って顔を伏せているのを見る。

「ふむ、然りか。これにとっては一念発起の大仕事だったろうからな」

「そうですよ。すぐに剥いでしまいますから」

 ナイフを取り出したカイは手際良く金色猪の皮を剥いでいった。


 剥がれた金色猪の皮は魔法で乾燥されて歩み寄ってきた紫色のセネル鳥せねるちょうの背に乗せられた。肉は切り分けられて『倉庫』に格納されていく。ジュダップが進み出てきた黄色のセネル鳥の背に乗せられると、彼らはその場を後にした。


「済まんな。何から何まで」

 老爺は雰囲気を和らげている。四人の冒険者を受け入れるつもりになったようだ。

「さしたる手間ではありませんよ。僕達には日常に過ぎません」

「すげえや。お兄ちゃん達、冒険者なんだろ?」

「そうよ。私はチャム。君は?」

 それぞれ自己紹介を済ませると、彼女は言い募る。

「ジュダップ、端のほうとは言え、ここはもう魔境山脈と言っても過言ではないわ。一人歩きするのは褒められたものではないわね」

「でも、この辺はうちの狩場だからずっとここで狩りしているよ」

「今は姿が見えないけど、魔獣も入り込んで来るのではなくて?」

「それなんだけど、さっきから反応を見ているとこの辺には魔獣が居ないとしか思えない感じなんだよ」

「どういう事?」


 カイのサーチ魔法に掛かる反応が、特に気配をひそめていない彼らを避けるように逃げ去って行っている。魔獣ならこのような反応はしない。少なからず寄ってくるか、待伏せしようとするかの反応があるものなのだ。逃げ去って行っているという事は、それらの反応は普通の野生動物のそれとしか思えない。


 カイの説明に、チャムは考え込むような様子を見せる。

「この辺りには魔獣は入って来ん。昔からそういう土地なのだ」

「それで爺さんもこの子の自由にさせているのか?」

「好き勝手はさせておらんが狩りの練習はさせておる」

「爺ちゃんが良いって言った範囲しか僕は行ってないよ。それは絶対に守っているから」

 少年とて己が身を危険に晒すのは本意ではない。父母を悲しませるのはやってはいけない事だ。もっとも祖父が指定した範囲は少年が歩き回るには十二分に広い森。獲物には事欠かない。

「ジュダップは良い子ですねぇ」

「う、うん……」

 言い付けを破ったばかりの彼は言い淀んでしまう。

「うむ、一撃で仕留めたか。良かろう、大物を狙うのも許そう」

「本当、爺ちゃん!?」

「ただし、しばらくは儂と一緒の時だけだぞ? それだけは守れ」

「うん!!」

 ジュダップは諸手を上げて喜んだ後、フィノと手を取り合っている。いつの間にか仲良くなったようだ。


 森を抜けて白焔の下に身を晒すと、草原の彼方に一軒の家が建っているのが見えた。


   ◇      ◇      ◇


「お客様かしら?」

 玄関の前で出迎えてくれた女性が問い掛けてくる。

「ああ、ジュダップを助けてくれた。世話を頼む」

「まあ、それは歓迎しなければいけませんね」

「本当にお構いなく。身重の方に面倒をかけたくは有りませんので」

 カイのその言葉に老爺と少年は顕著な反応をした。

「分かるのか?」

「そういう魔法なのですよ」

 先刻、サーチ魔法の話をした筈だが、正確に伝わってはいなかったようだ。彼らはそれだけ魔法とは無縁の暮らしをしているのだろう。

「そうおっしゃらないでお世話させてくださいね。少しは動かないと身体にも良くないのですから」

「では一緒に調理しましょう。貴女のお子さんの素晴らしい戦果を」

 台所に向かったカイは置いておいて、三人はジュダップの案内で彼の父の作業部屋に向かった。


 その部屋には大小様々な弓が所狭しと並んでいた。実用品と一目で分かる簡素な作りの物から、装飾品かと思われるような豪奢な作りの物まで多種多様に及んでいる。


「父ちゃん、見て見て! これ、僕が狩ったんだよ!」

 父の背に抱き付いて行きながらジュダップは自慢げに言う。

「ん?」

「ほら、あんたの息子が狩った獲物だぜ」

 どさりと置かれた毛皮と、それを運んできた大男を見比べる。

「君達は?」

「ジュダップの恩人だ。礼をしておけ」

「父さん? そうだったのですか。それはありがとうございました」

 それから彼らはそこにある弓の説明を受けて、色々と見て回り手に取ったりもしている。

「ごめんなさいね。あいにく、うちのパーティーには弓手が居なくて、ここに置いてあるものの良さが解らないわ。でも、洗練された物は美しいものね。それくらいは分かるわ」

「それだけでも分かってくだされば冥利に尽きると云うものです」

 場違いと言えるほどの美人の登場に、鼓動を速めつつもガストバンは笑顔を見せた。


 その後は家族の歓待を受けて、猪肉料理が並ぶ食卓に着く。メリネットは、カイと横並びに調理をしていて彼の腕前に感銘を受けたようで、料理談議に花を咲かせている。

 しっかりと血抜きもし、ハーブを使って臭み消しをしている猪肉は、独特の癖や食感も相まって非常に美味しかった。育ち盛りの少年は夢中で齧り付き、自分の獲物を堪能している。その横では違う意味で夢中になっている獣人少女も居るが。


   ◇      ◇      ◇


 夜も更け、家族も寝入った頃、夜の黄盆つきの下には老爺の姿が在った。それを追うように青髪の美貌が扉を開けて現れる。その口からは、抑えた口調ながらも断言が放たれた。


「あれは聖弓ね」

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