狩人の少年

 ジュダップは手慣れた風に木立の中を歩き回る。黄兎を二羽とコバギ鳥を一羽仕留めて腰に下げている。今陽きょうは調子が良い。獲物としては十分でも、後二~三羽持ち帰れば母が喜んでくれるので、時間いっぱいまで頑張ってみようと思っている。


 今輪ことしで十二歳になったのだが、祖父は大物を発見しても狙ってはいけないと言う。彼だってもう一人前の狩人のつもりだ。父が自分用にあつらえてくれたこの弓も身体に合っていて、獲物を持ち帰れないはほぼ無くなっている。家計の助けくらいにはなっている筈なのだ。なのに祖父は認めてくれない。ジュダップは祖父を敬愛しているだけに不満を燻らせている。


 針角鹿の親子を見つけたが矢を向ける事は無い。よほど困っていない限りは子鹿を狩るのは禁じられているし、子育て中の母鹿も避けるべきだと言われている。

 この自然生態系の保護や全体個体数の維持といった考え方は、このくらいの歳の子供には少し難しいだろう。生業からすれば、後々跳ね返ってくる性質のものなので守ってしかるべきとは言え、目に見えて変化を実感した時には手遅れになっている類の問題。現状、見えない結果の為に守るべき規範というのに戸惑いを感じるのは仕方が無いと言えるだろう。


 ジュダップの父は三十半ば近くになって母を娶った。当時、母はまだ十八だったこともあり、周りには何やかやと言われたらしいが、当然彼が生まれる前の事なので詳しくは知らない。だが、母が実直過ぎると言えるほどの父にぞっこんで結ばれたとは聞いている。

 父ガストバンは、狩人一筋の祖父フェンディットの子でありながら自らは狩人を目指さず、その道具である弓矢作りに魅せられてしまい、その道を歩む。実益が高じて独学で職にするほどの技術に達した父は、他に目もくれず弓作りに打ち込んだ。


 その結果が現在の職業であり、晩婚の原因となった。森近くの人里離れた自宅で製作した弓矢を、ウルガン西部の街ペンスデテムの武器屋まで卸しに行く。その折に、武器屋の横の軽食屋で昼食を摂って帰っていた。

 その軽食屋の娘であった後の母メリネットと子供の頃から言葉を交わすようになり、彼女は長じるにつれ朴訥なガストバンに心惹かれて彼の妻になるのを望んだと言う。


 祖父は父にも狩人になるのを望んでいたので、弓職人となった父とは長きに渡り不仲であったらしいが、ジュダップが生まれてからはその状態は改善された様だ。

 フェンディットは既に七十近いが矍鑠かくしゃくとしており、現役の狩人。ジュダップの歳の離れた師でもある。彼は一人前として祖父に認められたくて切磋琢磨の陽々ひびを送っている。


 しばらく歩くと、遠く輝く毛皮を認める。金色猪だ。かなりの大物で、あの毛皮だけでも一往36日近くは家を潤してくれるだろう。

 ジュダップは仕留めたかった。今、メリネットのお腹の中には弟か妹が居る。母に良い物を食べさせたい。しっかり栄養を摂って欲しい。彼の中にはその一念がある。しかし、明らかに祖父に禁じられている大物狩りになる。一撃で仕留める自信が無くも無いのが悩ましいところだ。


 ジュダップは迷いに迷った挙句、決意する。結果を持ち帰れば祖父もそうは怒らない筈だ。彼が自身の為でなく、母とお腹の子を思えばの事だと説明すれば納得してくれると思う。自分が生まれた事で祖父と父が和解した事を鑑みれば、祖父も孫の存在には思うところが有ると予想出来る。理由としては十分説得力がある。ジュダップは自分の中でそう考えて折り合いを付けた。


 そうと決まれば後は早い。金色猪が向かっている方向にそっと移動し樹上に潜む。息をひそめてじっと待ち、狙える瞬間を探る。矢筒に数本入れている金属やじりの矢を取り出す。それで眉間か目を射抜けば間違いなく倒せる筈。目標は小さいがそれを出来るほどの自信はある。制約はあるものの十分に場数は踏んでいた。


 距離は詰まった。弓を引き絞る。大樹の幹の影から再び姿を現した金色猪が、鼻で地面を掘り返し始めた。何かを嗅ぎつけたのだろう。荒くなろうととする息をグッと堪えて、狙いに集中してこの一矢に賭ける。

 ジュダップの手から放たれた矢は、僅かな風切り音を残して金色猪に一直線に向かう。気付いた金色猪が顔を上げる。そこまで計算済みだ。向けられた額のど真ん中に金属鏃の矢は吸い込まれるように突き立った。

 瞬時に金色猪は固まり、黄色い目がグルリと裏返るとゆっくりと横倒しになる。重い響きが耳に届くと共に、ジュダップは強く強く拳を握って感動を露わにした。


 ここでつまらない怪我をしてはいけない。深呼吸をして枝の上から降りようとしたジュダップの視界を黒い影がよぎる。足音も立てずに現れた影は、倒れた金色猪の横で立ち止まってその様子を窺っているようだ。

 少年は獲物を奪われると思って焦った。当然、倒した獲物の横取りなど狩人の間では禁忌中の禁忌である。それでも森の中では人目など無く、ジュダップのような少年では大人に本気を出されれば抗しようもない。だが、あの金色猪を横取りなどされようものなら悔やんでも悔やみ切れない。急いで樹を降りた彼は駆け出しつつ叫ぶ。


「それは僕の獲物だ!」

 しかし、ジュダップの足はピタリと止まった。樹の影で良く見えないだけだと思っていた相手が、全身光一つ反射しない暗黒で全身を包んでいたからだ。その禍々しい存在に少年の目は見開かれ、足は何一ついう事を聞いてくれなくなった。

「あ、ああ……」

 暗黒の人型は彼に顔を向ける。瞳が認められない為に、自分を見ているかどうかも不明なのだが、そこまでされればこちらを見ていると分かる。金色猪に興味を示さず、人型はジュダップのほうへ手を伸ばしてきた。


 森の中を輝線が走る。それは暗黒の人型の手首から先を吹き飛ばす。続いての輝線が左膝に命中すると、左の下肢はゴロリと転がり人型もバランスを崩して倒れる。


「逃げなさい!」

 鋭い声が飛び、ようやく身体の硬直が解けたジュダップは尻餅を突いた。そこへ駆け込んで来た大男が彼の腰を引っさらっていく。

「いいぞ! やれ!」

 そこで少年は、地面でもがいていた暗黒の人型の左膝から先が再生してきて、立ち上がろうとしているのに気付いた。地に突いた手も既に再生している。

「どこ撃てば消えてくれるんだろうね?」

「たぶん核石を砕けば消えるけど、どこに有るか分からないでしょ!? 時間稼いで!」


 新たに駆け込んで来た黒髪の青年が更に輝線を放つが、再生した暗黒の人型は機敏に動きそれを躱す。樹が入り組んでいて、遮蔽物が多いだけ全く当たらなくなってしまった。

 すると青年はその腕に装備した、腕の太さの三倍以上は有りそうな手甲から光の剣を生やして斬り掛かっていった。


魔法散乱レジスト!」


 少年を抱えた大男の前に女性が走り込んで来た。ロッドを掲げているので魔法士なのだろう。呆然としつつもジュダップはその頭の犬耳に注意が行ってしまう。見つめていると、その向こうの青が気になって視線を移す。その青髪の女性は手元の剣に何か字を描いていた。

 その視線の先では暗黒の人型が黒髪の青年と立ち回りを演じている。いつの間にか人型の腕は伸びて棘の様に尖っており、それで青年を突き刺そうと幾度も繰り出し、青年は受け流しつつも果敢に斬り込んでいっていた。


 そこへ一本の矢が樹間を切り裂いて飛来し、暗黒の人型の背に突き立った。

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