彼の底意

 剣に纏わりついた黒い粒子がそこから離れ、空間に溶け消えていく。その様をじっと見つめているチャムの心には何が去来しているのか窺い知ることは出来ない。それでも駆け寄って触れて声を掛けねばならないとフィノは思った。

 彼女より一足先にチャムに駆け寄って、トゥリオは肩を叩いて「やったな!」と言っている。何も考えず、自然にそれが出来るのがトゥリオの凄いところだと感じ、獣人少女はチャムに抱き付いていった。


 傷だらけの身体が立ち上がる。なかなかに壮絶な姿を見せている。頭を掠めた刺突で負った傷から流れた血は生々しく、口元もまだ血で汚れている。服の各所にも血が滲み、白と赤の斑になっているところが有る。

 しかし、彼はそんな事もお構いなしに、遠巻きに見つめる目に両手を広げて見つめ返した。


「お騒がせしてしまいましたが、この国に巣食っていた魔人は彼女が滅しました」

 カイは左手で青髪の美貌を示す。人々は「おお……」と小さくざわめいている。

「僕が皆さんの前で魔人の正体を暴露したのには理由が有ります」

 彼は手を差し出して皆を指し、注聴を促す。

「あのように闇は容易に人の心に忍び寄ってきます」


 背後ではチャムがそれだけ残ったどす黒い石を拾い上げて、矯めつ眇めつしている。それがどのような性質のもので、どんな役割をしていたのかは分からないが、魔人の核のようなものなのだろう。


「耳に快い言葉を囁きかけて、スルリと忍び込んでくるのです」

 胸に持っていった手がその様を表す。

「皆が同じ方向を向いて同じものを目指すのは心地良いものでしょう」

 それは人が群れの動物であるが故のさがのようなものであろう。

「でも、それが心の隙になってしまうのです」

 人々は魔闘拳士が信仰の在り様を説こうとしているのだと気付き始めた。

「疑心暗鬼になれと言っているのではありません。何かを信じる心は尊ばれるものであるべきだと僕も思います」

 彼は仲間を示し、信頼の意を表している。

「時々、省みるだけで良いのです」

 はたと気付いて思い返すだけで見えてくるものもある。

「その言葉は貴方に都合の良過ぎるものではありませんでしたか? その言葉は貴方をどこかに誘導しようとしていませんか?」

 頭に指を当てて傾げ、考える素振りをして見せる。

「出来るだけ客観的に見て、違和感を覚える事があれば良く考えてみましょう」

 額を人差し指で数度叩く。

「たったそれだけで、自分も、愛する家族も、大切な人も、貴重な財産も、全てを守れるのです」

 彼は目の前に拳を掲げる。

「それが叶った時に、人は本当の心の平穏が得られるのではないでしょうか? 僕はそう思っています」


 世の中には様々な手練手管がある。人を騙そうとする者も数多居る。そこには信仰を利用する者も少なくない。それを正すのは個人では難しい。だが、誰にでも守る戦いは出来る。自分で判断し、自分で見極め、自分で行動する戦いだ。カイは自己責任の大切さを伝えたいのだ。


 この世界では何かに依存せずに生きるのは非常に難しいだろう。縋ってしまうのは楽なのだが、努力を忘れない事で自分の周りだけでも平穏を勝ち取る事は可能。顔を上げて歩み続けて欲しい。その訴えはどこまで伝わっただろうか?

 大きく息を吐いて瞑目すると、カイは振り返る。人々には考える時間が必要だろう。自分の言葉を反芻しながら、ゆっくり噛み砕いてくれる事を願うばかりだった。


 彼の後ろには教会関係者の集団が居る。民衆に対していた時の真摯な顔つきとは明らかに違い、半目で睥睨している。


(さて、どうしてくれようか?)


 実際のところ、カイに彼らをどうこうしようというつもりは無い。両者の違いである理念の差を埋めたいなどとは考えていないし、歩み寄る気も無い。だが、否定する気も無い。必要だと思っているのは住み分けくらいのものだろう。

 ところが相手はそうは思ってくれていないようだ。ゆっくりと近寄る彼に、じりじりと全体に下がっていく。教会幹部達にしてみれば堪ったものではない。伝承にある魔人の姿に衝撃を受けただけでは飽き足らず、それと真正面から打ち合い倒してしまった存在を前にしているのだ。恐がるなと言うほうが無理が有るだろう。


「最近の教会は面白いものを飼っていらっしゃるんですね?」

 魔人であったハンザビーク侯爵と教会に深い繋がりが有った事を揶揄する。

「ばっ、バカな事を申すな! 知らなかったに決まっておろうが!」

「お言葉ですが、ブルキナシム枢機卿。僕はあれが人では無いとはっきり申し上げたではないですか?」

「急にそんな事を言われて『はい、そうですか』と納得出来る訳がなかろう!」

 信徒の前で信用を失う訳にはいかず、弁明に必死になる。

「冗談ですよ。僕の人徳の無さの所為だという事にしておきましょう。交渉相手に向いているとも思えませんからね、魔人が」

「当然だ」

「でも、禍々しい存在だとは教えてくださらなかったのですか、貴方の神様は? 不親切ですねぇ?」

「う……」

「まあ、それも良しとしましょう。丸く収まりそうなのですから。ねえ、トルテスキン大司教?」

 言葉では何と言っていようが、そこには棘しか含まれてはいない。

「…………」


 矛先を変えて、この地に来て縁深くなった人物に歩み寄る。

「ひ! ち、近寄るな! 金なら返す! ここには無いが返すから!」

「結構ですよ。色々と役立ってくださいましたし、余生を送るにも入用でしょうから」

 完全に面目の潰れた彼に、教会内に居場所があるとも思えないと示唆する。

「くうぅ、貴様はやはり教会の敵だ」

「嫌われたものですね」

 声高には言えないが、それが本心だろう。

「では、嫌われ者は去るとしましょう。ここですべきことは終わりましたから」

 駆け寄ってきたセネル鳥せねるちょうの背に乗ると、カイは仲間と共にさっさと西へ向けて駆け去っていった。

 その姿を見た者達は思う。魔闘拳士のうたの内容は正確なのだと。役目終えし英雄は何も求めず去ったのだ。いずこへと。


 そして教会幹部達は震え上がる。目の前に残されたのは、魔人の存在を看破出来ず暗躍を許したばかりでなく、金銭授受が日常であるほどに腐った彼らを非難の目で睨み付ける教徒達であった。


   ◇      ◇      ◇


 中央広場の一画には少年が一人佇んでいる。その胸に穴の開いた肩甲ショルダーガードを押し抱いて。

 彼は後に、その肩甲ショルダーガードを『聖衣』と崇め、個の研鑽と協調を説く信仰の祖となるのだが、それはまた別の物語である。


   ◇      ◇      ◇


 再び潜伏箇所の森林地帯に舞い戻った四人。

 まず浴室が取り出されると、服を剥かれたカイが放り込まれる。傷は自分で治癒させているので検分はされなかったが、服はフィノの水魔法で血が清められ洗濯された。破損は後で、自分で直すだろうとそのまま干される。


 風呂から上がってゆったりとした平服に着替えて寛ぐカイに、チャムが怖い顔で歩み寄る。


「な、何か不都合がございましたか?」

 震え上がって丁寧語になる。

「すぐに肩甲ショルダーガードを作り直しなさい! 前と同じじゃダメよ! 次のは絶対に金属板を入れるのよ!」

「え、そんな事? でも重くなっちゃうし」

 柳眉を逆立てるチャムに恐れをなしているものの、問題点を指摘するのは忘れない。

「言う事を聞きなさい! あなたは密接状態で戦うのが本領なのだから、それなりの装備が必要なの!」

「うん、解った」

「お願いだから心配させないで。何度背筋が凍ったか解って」

 彼女から見て想像以上の激闘に見えたようだ。不安に震えるチャムは、胡坐で座るカイの頭を両手で挟むように持つと、頭頂近くに自分の額を押し当てた。

「恐かったの。お願い……」

「ごめんね。君を守ると言いながら、僕が君を泣かせたらいけないね」

 目の端に涙の粒を認めた彼は素直に謝る。


 その涙の意味はカイを幸せな気持ちにさせたから。

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