タイクラムの森

ウルガン王国

 チャム監修の下、カイの新たな肩甲ショルダーガードが製作された。薄いながらも、内側に軽いミスリル銀板と表のオリハルコン板の二枚重ねとなり、それが防刃皮革の中に封じられて完成。その出来に目を輝かせたチャムの懇願で彼女の肩甲ショルダーガードもトゥリオのそれも新調される結果となってしまった。

 結果は上々であり、防御力は明らかに増しているのは事実なのだが、カイはオリハルコンの素材在庫の不安を嘆く事になる。鎧豹アーマーパンサーの鎧片は、武器製作に保有しておきたいところなので、以前に買い集めた素材を利用するしかなく、その残りが極めて心許ない状態になってしまったのである。


 物作りを好む人間、特に男性は往々にして様々な工具や素材を貯蔵したがる傾向が強く出る。それが減少してくると、謂われなき不安を覚えてしまったりするのだ。

 しかし、女性にはなかなか理解されない男のロマンの一つと言えるのではなかろうか。


 一を釣り三昧で休養とし、十分な燻製を貯蓄した彼らは森林地帯を後にして北上する。目指すはウルガン国境だ。


   ◇      ◇      ◇


 ウルガン王国の祖は定かでない。

 千二百年前の或る時期を境に、過去の歴史がおとぎ話じみた英雄譚に変わってしまっている。これは当時、お家騒動が有って記録が散逸した事を示していた。

 大きな政変は書記官を創作家フィクション作家に変えてしまう。勝ち抜いた為政者は、政敵だった者の功績を抹消し血塗られた過去の改変を欲するものだ。

 力の強い頂点におもねる書記官は、栄達を望み競って嘘を連ね始める。その結果、歴史書には誤謬が溢れかえり、史実を闇に葬ってしまう。今残っているのは、勇者が姫君を娶ってその玉座に着き、その血が連綿と保たれたというものだ。


 単なる面白い読み物に堕してしまっていた。


   ◇      ◇      ◇


 北大洋に面する中隔地方の海岸線は、大きく南に湾曲している。湾と呼ぶにはあまりに広い範囲に及び、その所為でこの地域のほとんどの亜熱帯地域が失われていた。


 その臨海地方の大半はウルガン王国の版図である。そこから南西に向かっては魔境山脈沿いに細長く伸び、中隔地方中部に掛けては旧ラダルフィーの新領土が広がる形に戻ったのは最近の事。元々、メナスフットの西側を囲むように伸びていた国土を蛮王に食い荒らされていたのだが、それがほぼ復旧している。


 実に歪な形をしており、統治が難しいと思わせるウルガン王国なのだが、その産業の中心は臨海地方に偏っている。中部に広がる地域は農耕地であり、北の臨海地方の食卓を支えている。

 その臨海地方の主産業は海産物。魚介類などの食材や塩がメナスフットやイーサルとの交易品になり、その財政を担っているのだ。


 臨海地方のほぼ中央にある王都ヘラ・マータルに四人の冒険者が姿を現した。

 海産物が産品だけあって大通りには様々な料理店が並び、旅人の目を奪うべく競っている。店舗ごとに売りを店頭に掲げ、如何に客を誘い込むかに執心しているようだった。


 そんな状況だけあって、味にも様々な工夫が為されているように売り文句から見受けられる。

 一見いちげんさんだけでは商売にならない。繰り返し通ってもらうには勝負の決め手が味になるのは道理であり、どの店舗も正しく理解している。彼らの努力がヘラ・マータルを味の都にしていた。


 その内の一つの料理店にカイ達は立ち寄る。この店にしたのは、窓から中を窺った時に見つけた、とある一品の料理にカイが大いに興味を示したからだ。

 すぐさまその料理を注文した彼らは少々待たされる事になるが、運ばれてきた浅くて広い鍋の中身は目を楽しませるに十分な威力を発揮している。


 料理店の売りは東方文化も取り入れた豊富なメニューであり、カイが熱望した一品は、赤い粒だった物の上に魚介が大量に並べられた料理だ。つまり見た目はパエリアなのである。

 海産物の美味しさはここに至るにつまみ食いした露店の軽食で折り紙付き。それが山ほど乗せられているのだから期待はいやが上にも増すというものだ。

 皆がいそいそとそれぞれの皿に取り分け、スプーンを口に運んだ瞬間、皆が「あっ!」と顔を上げて見合わす。


「信じられないくらい美味しい」

 抑えた声のまま、チャムが零すように言う。驚きを通り過ぎて感動し、そんな声しか出なかった様子だった。

「美味い。半端じゃなく美味い」

 トゥリオも手の動きが止まらなくなっている。

「舌が喜んでますぅ」

 蕩けたような顔でしみじみと感情を表すフィノ。

「なるほどね。これがイェリナン麦かぁ」

 一つ大きく息を吐いて満足感を示しつつ、その味をじっくりと吟味している。


 カイの言う通り、下に敷かれた赤いものは穀物をスープで炊き上げたもの。通称「赤麦」と呼ばれるイェリナン麦だ。その赤さは香辛料やハーブから出た色でなく、麦そのものの色がほとんどなのだ。

 その赤いうるち麦は魚介のスープをしっかりと吸ってふっくらと膨れ上がり、且つもちもちとした弾力で食感でも全体の味を引き立てている。更にその赤さが食欲増進にも一役買っていた。


 その料理は炊き上げルコチュという種類らしい。穀類を様々な種類のスープで炊き上げる調理法の総称で、今彼らが食べたのが『魚介のルコチュ』。その他にも『骨付き肉のルコチュ』や『肉野菜ルコチュ』などが有名らしいが、東方では普通の家庭料理でもあるようだ。

 この店でも出しているような、テーブルの中央に置くのに丁度良いくらいの鍋で作られるのが一般的であり、家庭それぞれに色々な味付けのバリエーションが有ると言う。

 パーティーなどでは、テーブル一つを占拠してしまうような大鍋を用いて作られる事も少なくない。そう給仕の女性が教えてくれた。


「でも、ここヘラ・マータルで食べるなら『魚介のルコチュ』に決まってるでしょ?」

 そう言いつつ、テーブル上の鍋を差して言う。そこにはもうひと口分も残っておらず、四人とも食べ足りない様子を見せている。

「はい、降参です。痛感致しましたのでもう一つ同じものを……」

「素直で宜しい。少し待っててね」

 童顔のカイはその女性に子供扱いされてしまっている。


 しばらくサラダなどを突いてお茶を濁していると、魚介のルコチュが再びテーブルに置かれる。今度は彼らも、噛めば噛むほど旨味と甘みが口内に広がる料理をゆったりと心ゆくまで味わったのだった。


   ◇      ◇      ◇


 王都ヘラ・マータルでは何事も無く、数陽すうじつ食べ歩きした後に北に向かって旅立った。


 臨海地方に点々とある港町を賑やかしながら巡る四人は北大洋の魚介を買い漁りつつ、更に自分達でも釣りに興じる。特に磯で釣れる、見た目が醜悪な根魚が興味の的になった。

 初めて釣り上げた時こそフィノが悲鳴を上げて放り出したものだが、それらの根魚が鍋にすると格別の味を引き出せると分かると、争って釣り上げるようになる。釣りの対象としては重いだけで面白みに欠けるのだが、味の良さが彼らを駆り立てたのだ。


「なあ。俺ら、こんなに呑気にしてて良いのか?」

 釣り糸を手繰りつつトゥリオが隣のカイに問い掛ける。

「どこかおかしいかな? 普通の旅って呑気なものじゃないの? 物見遊山ってこれじゃないかと思うんだけど」

「俺が騒動に慣れ過ぎちまっただけか」

「そうそう。何も無ければこのまま一度ホルツレインに帰るから」

「ん? 待て!? ここはウルガンだぜ? ここから帰るって、まさかお前魔境山脈を……」

 トゥリオも聞き捨てならない。

「……気の所為、気の所為♪」

「気の所為じゃねえよ! 何だ今の間は!」

「気にしない、気にしない♪」


「気にするわ!」

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