暗躍する者(2)

 伯爵家の要請があって邸宅に赴き、集まった親族に向かって説法を行った帰り道。貴族街の通りを抜ければポーレン本部教会が見えてくるという場所で、馬車の窓から通りを眺めていたトルテスキン大司教は、路地からのぞくフードとその下に僅かに見える黒髪を見る。


「止めろ」


 御者に命じると、自ら扉を開けて止まった馬車から降りる。随伴の神聖騎士が目線で尋ねてくるのを手を上げて制止し、路地に歩み寄った。

 馬から降りて追随してくる騎士に周囲の監視を命じると、頷いてくるフードに続いて路地に入り込む。相手も決して大男ではないので威圧感は無い。その辺りがトルテスキンから警戒を奪っている。


 白いフードの向こうには、紫色のセネル鳥せねるちょうの大きな顔が覗いていて少し驚いたが、東方では騎鳥の使用も常識の範疇である事も考えれば彼の予想を裏付ける印象に繋がる。


「良くこんな所まで入り込めたものだな?」

「家を建てさせるなら土魔法士でございますよ、猊下」

 その道の専門家にはそれなりのやり方が有るという慣用句を用いてくる黒髪の青年。彼の生業の証左だと言わんばかりの発言だ。


「主の了解を得てまいりました」

 そう言うと青年はひと際大きな皮袋をどこからともなく取り出す。どうやら『倉庫持ち』らしい。間者ならば取り扱う物品の性質も繊細なものになる。そういう能力者が重宝されるのも頷ける。

「考えを変えると主は申しております」

 今回はすぐに渡して来ないのを不審に思っていると、そんな事を言ってくる。トルテスキンは焦った。交渉相手として足りないと判断されたのかもしれないからだ。それ故、付け届けを渡さないのかと考える。

「待つがいい。既に面会の段取りの下準備は進んでいるのだぞ? 今、無かった事にしろと言われても困る」

 実は準備など進んではいない。まだ探りを入れている段階だ。だが、今更窓口を変えると言われては適わないので慌てて引き留める為に大袈裟に言う。


「それはお考え違いでございます。我々が直接ハンザビーク侯爵閣下に面会をお願いするのは望みが過ぎると叱責を受けました」

 青年は意図的にだろうが苦い顔を見せる。

「この上は、全ての窓口は猊下にお願いしたく存じます。如何でございましょうか?」

「お、おお、無論だ任せるがいい」

「最終的に侯爵閣下の了解がいただければ十分でございます。叶うならば、その約定を証明してくださるようなお言葉をいただきたく存じます。宜しければ公式の場で」

 一瞬、何を言っているのか理解出来なかったトルテスキンだったが、約定を証明する何らかの書状とそれを裏付けるような公式発言があればいいと得心する。

「ふむ、その段取りを付け、其の方に事前に知らせて書状と共に言葉を与えればいいというのだな?」

「仰せの通りで。しかしながら、内密に接触するのは主に禁じられてしまいました。私のような者が貴き方々の列に加わり、お言葉をいただきますのも不遜にございます。出来ますならば、市民の中で目立つ事無くお伺い出来ればと考えております。お願い出来ますでしょうか?」

「なかなかに注文が多いな。が、解らん事も無い。そう取り計らおうではないか」

「ありがたきお言葉、痛み入ります。そうとなれば色々と入用でございましょう? どうぞこちらをお納めください」

 トルテスキンが待ち兼ねていた皮袋が捧げられる。ハンザビーク侯爵に渡りを付けるまで、幾らか目減りはするだろうが、彼の計算では満足いく額が手元に残る筈だ。


(それで王国の重鎮に顔繫ぎが出来るのなら安いものではないか。その上、懐は潤い、帝国に恩も売れる。一挙両得どころか何もかもが上手くいくというものだ。ふふふ、風が吹いてきたぞ)

 トルテスキンは内心ほくそ笑む。


「ではまた伺わせていただきます。その時には良いお返事をいただければ幸いにございます」

「うむ、其の方にも神の恩寵があろう。竜の背に揺られるつもりで待つがいい」


 何ら案じる必要が無い事を表す慣用句を返して、青年に薄笑みを送る。


   ◇      ◇      ◇


 ブルキナシム枢機卿との会食の席を取り付けたトルテスキン大司教は、その場で請願する。


「どうかハンザビーク侯爵閣下にお取次ぎをお願い出来ませんでしょうか?」

「どうした、トルテスキン。貴殿もそろそろ上が見たくなったか?」


 他の目が無いとは言え、ずいぶんと生臭い問い掛けを受けて恐縮する。

 メナスフットでは王国と教会は同体のようなものだ。階位を上げるには、上位の者の推挙による形が通常だが、王国の重鎮の推挙でも同等の結果に納まるのも事実。現実には、上位の者は自己の既得権益を守る為に下を上げたがらない。動かし易いのがどちらかを問えば、答えは一つしか無い。

 しかし、それはそれで物入りなのは間違いない。それが可能なのかを枢機卿は窺っているのだ。


「我が信仰の深さを知らしめるにも、皆から見え易い高さの台が必要と愚考しますれば、お力を貸していただきたく……」

 そう言いつつ、相当の大きさの皮袋をブルキナシムのほうへ押しやる。

「なるほど、そなたの信仰の深さを窺えるものであるな」

「ご理解いただけましょうか?」

 袋を眺めながら言う枢機卿に、トルテスキンは笑顔で返した。

「相解った。そなたが義心を忘れぬ者と信じておるぞ?」

「それはご安心を」


 彼は、自分の既得権益を奪うような事をするなと釘を刺してきている。大司教の本旨はそこではないので快く応じる。

 黒髪の使者との事を枢機卿に話さなかったのは、自己の利益を守る為だ。後々、帝国へ売った恩は返ってくるものと計算している。それをブルキナシムに霞め取られては適わない。ここは野心を前面に出して、誤魔化しておくべきところなのだった。


   ◇      ◇      ◇


 ハンザビーク侯爵との面会には時間が掛かったものの、一応は成功した。


「……と言う訳なのでございます、侯爵閣下」

 面会の叶ったトルテスキンは、挨拶もそこそこに黒髪の使者との交渉内容を隠す事無く語った。ここは隠す意味など欠片も無い。包み隠さず全てを話し、理解を得なければならない。

「これは後々、王国の存亡にも関わり兼ねない事案であると考えられます。それ故、無理を圧して閣下のご登場をお願い致したく罷り越した次第にございます」

「猊下の深いお考え、感服いたしました」

「そのようなお言葉を!」

「何をおっしゃいますか? 我らは同じく神のしもべ、上下など有りませんよ。信仰に身を捧げしお方がそうも王国の未来を慮ってくださるというのなら、私に否やは有りません。喜んでご協力させていただきましょう」

「おお、さすが陛下の覚え目出度きお方は素晴らしい器量をお持ちなのですな」

 ハンザビーク侯爵の鷹揚な態度に、トルテスキンは感じ入っている様子だった。


(ロードナック帝国は西を窺うか? それならまあ良い。愚かなる人の子同士でいがみ合い殺し合うが良い。その分手間が省けるというもの。この上は、煽り立ててやらねばならんか? 帝国の侵攻と共に、この国の軍を動かして荒らせばいい。聖なる戦いとでも言えば、ここの愚か者共は幾らでも動かせよう。さすれば、あのお方の進撃も容易くなろう)


 ハンザビークがそんな事を考えているとは露知らず、上機嫌で饒舌になるトルテスキンであった。


   ◇      ◇      ◇


(神の恩寵なんて要りませんよ。それより結果をよろしくお願いしますね、大司教様)

 冒険者の装備に戻した黒髪の使者はほくそ笑みつつ思っている。


 そして、カイはパープルの背に乗って西に駆け去っていくのだった。

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