楽しい潜伏生活(1)

 翌陽よくじつ、森林帯と見えたその森を探索してみると、かなり大きな湖を発見する。湖畔は全て森林に囲まれており、そこが広大な森林地帯だと知った。


「どこかに川が有りそうね」

 水に触れたチャムがそんな事を言い出す。

「触れてみないと分からないくらいだけど、ごく僅かに魔力を帯びているわ」

「わー、本当ですぅー。気持ち良いですぅ」


 彼女は魔境山脈から流れ出た水ではないかと言う。強い魔力を帯びたかの地は、そこへ降った雨水などにもその影響を与えてしまう。ただ、その魔力そのものは天然の清浄な魔力であり、摂取しても一向に問題無いという事だ。

 魔境山脈を水源とする川や、いずこかに湧水した地下水が集まって形作った湖は、また別の流出する河川によって北の海に流れ出ていっているのだと思われた。


「そんなに顔色を窺わなくたって、止めやしないよ」

 目の前に湖が広がっているとなれば、俄然チャムの目の色は変わってしまう。

「でも、呑気に釣りなんてしている状況でもないでしょ?」

 やはり気後れしてしまっているらしい。

「当分、ポーレンには近付けないよ。今、必要なのは時間潰し」

「そうですよう。フィノもそろそろお魚食べたいですぅ」

「おう、さっさと始めようぜ。陽射しがある内に干物にしちまわないといけねえだろ?」

 途端に表情が明るくなった彼女は意気揚々と釣り竿を取り出す。

「そうよね。やきもきしたってどうにもならないものね」

「その流れだと僕は延々と魚を捌いてなきゃいけないんだけど?」

 口々に役割分担だと告げられて、仲間外れ決定である。


 そうは言えども、いきなり捌く魚は無いので皆で竿を手にする。いち早くお零れに与かろうと速やかに駆け寄ってきたセネル鳥せねるちょうにそれぞれ跨って、湖水へと分け入っていった。


「はう! 失敗ですぅ」


 めいめいに深みのほうへ疑似餌ルアーを投擲していた彼らだが、少し間が空いての釣りにフィノの疑似餌は目標とは違う辺りに飛んで行った。

 そこには水棲植物が林立しており、一部は枯死しているものも混ざって湖面に突き出していたりもしている。水中にも多くの幹や枝が倒れ込んでいると思われ、迂闊に疑似餌を投げ込めば引っ掛かってしまう危険性が予想された。


「早めに引いて回収しちゃいなさい」

「あわわ」


 獣人少女は焦って糸を手繰り始めるが、程なくガツンと竿がしなる。一同は一瞬引っ掛けやってしまったかと顔を顰めたが、「ひええ!」というフィノの悲鳴で異なる事態が発生したのだと知る。彼女の竿はいつになくしなり大きく振動しており、かなりの力で引っ張られている事を示していた。


「大物が掛かったのね! フィノ、慎重に取り込むのよ!」

「いや、いけない!」

 糸の出し入れで弱らせるよう声を飛ばしたチャムに、カイが否定の言を入れる。

「まずはそこから強引に引っ張り出して! そこから頑張ろう」

 水中に幹が立っている辺りで泳がせれば、糸が絡んでしまう。最初だけは無理をしても引き摺り出さなければならない。

「ひゃいっ!」

「手伝うか?」

「頑張るのよ、フィノ。あなたの獲物なんだから」


 行動や言動がどうあろうが、彼女も獣人である。膂力は高い。グイグイと糸を回収し、危険な水域から掛かった魚を素早く引き寄せた。ひと息吐けるかと思ったところに、相手も許してくれず今までに無い行動を見せる。


「ほわっ!」

 バシャンと水音を立て、湖面から跳ね上がった魚体が銀鱗を煌めかせる。

「気を付けて。そうやって針を外そうとするから。糸を緩め過ぎないように加減してね」


 赤く光を反射した魚体は彼らが想定したよりも小さいものに見えたが、その力は間違いなく本物である。フィノの竿をしならせるその力と、ジャンプという行動はチャムの目を丸くさせた。


「この魚、何? すごくない?」

「相当、泳力は高い種類みたいだね」


(どっかで見たな、TVかなんかで。特定外来種かなんかだったっけ?)


 その形状はブラックバスに似ているように見えた。ただし、彼の知るその魚は赤い魚体などしていない。

 更に彼の記憶は、当初その魚は食用目的で輸入された筈だと示す。日本では趣味の釣りの対象としか見られていなかったようだが、食用に供されるのは間違いない。


 続けて幾度かのジャンプを繰り返す魚だったが、フィノの忠言に忠実な糸捌きと、運良く口の固い部分に針掛かりしたようで、暴れ回りながらも徐々に彼女の下へ引き寄せられていった。様子を見て自分の糸はさっさと回収していたカイは、網を取り出して彼女の隣に移動している。

 最後のひともがきをしつつ、引き寄せられた魚体はスルリと網に捕らえられた。水上に引き上げると、50メック60cmはあるように見受けられる。これまで釣り上げた大物に比べれば小さいと言えども、かなりの良型だろう。


「はぁ、はぁ、はひぃ。やりましたですぅ」

 いきなり自分の竿に掛かるとは思ってもいなかったフィノは、息を切らせて疲れた様子を見せる。

「この湖での一番槍はフィノだったね。おめでとう」

 これだけは初めて見るような大口を見せつけるその魚の口をがっしりと握って持ち上げ、フィノはひときわ輝く笑顔を見せた。

「すげえぞ、フィノ」

「してやられたわ。負けないわよ、フィノ」

 口々に褒められた彼女は、恥ずかしながらも誇らしげだった。


「これはちょっと面白い事になりそうだよ?」

 タブレットPCでブラックバスの事を調べていたカイはそんな言葉を漏らす。

「美味しいの、この魚?」

「たぶんね」

 魚籠びくの中で身体を休めている魚を観察していたチャムは、その言葉が示す意味を敏感に察知してみせる。

「じゃあ、あそこを一点集中攻撃ね」

「うーん、それでも良いんだけど、疑似餌を引っ掛けちゃう危険性は高過ぎるから考えものかな? 愛着のある道具は無くしたくないよね?」

「それはそうなんだけどねぇ。疑似餌ルアーはあくまで道具だし、そこに獲物が居るなら果敢に挑戦しなければ狩人ではないわ!」

「でも最低限の危険性は避けられるよ」


 フィノが誤って投げ込んだ障害物ストラクチャー地帯でなく、そこを添わせるようにカイは指した指を這わせていく。彼はその外縁部でも同じ獲物が狙える筈だと言う。そこを棲み処にしているとは言え、その近辺は餌場にしているのが普通だと。

 更に、他の岸辺の付近、特に樹木の枝葉が湖面にせり出している辺りも指差す。そこにも潜んでいる可能性が高いと。


「その代り、今までみたいに無闇に投げ込むんじゃなくて、狙った場所に落とす技量テクニックを必要とするけどねぇ」

「んんっ!? 言ってくれるわねえ? 出来るわよ。どれだけこの竿を振ってきたと思っているの?」

 それが彼の挑発だとは理解していながらも、意識的に乗っかっていく。確かに剣ほどではないにせよ、チャムは実に熱心に竿を振ってきている。

「じゃあ、それでいってみようね」

 既に戦果を上げて輝く笑顔のフィノを筆頭に、竿を振り始めた。


 結果、一刻72分ほどで同種の魚を結構な数釣り上げた彼らだったが、一番の大物は70メック80cmの大物をきっちり取り込んだチャムの手にある。トゥリオは投げ損ねで枝葉に引っ掛けて二つの疑似餌を失いながらも平均的なサイズを何匹も釣り上げ、フィノも今回は熱心且つ堅実に釣果を上げて、カイもあちこちの岸辺を狙って相当数の獲物を仕留める。


 一度、お茶の時間を挟むまで、彼らは十分に楽しんでいた。

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