楽しい潜伏生活(2)
まな板の上に寝かせた魚体を観察してみる。
体側から腹にかけてはえんじ色に近い赤が目立つが、腹部の一番下のほうは白い。逆に背に近い程に黒に近い灰色。その灰色が体側の赤にも斑に混じっている。
これは天敵の大型鳥類が上空から見た場合は湖底の暗さに混じり、餌である湖底に居る小魚や甲殻類から見上げれば水面の白さに混じる為の進化であろう。
見るからにして水中生態系の頂点近くに居ると思われる彼らも、多くの魚類が選んでいるこの選択肢を進んだようだ。特徴である大きな口には細かい歯がずらりと並んでいる。手を傷付けるほどではないが、かなり強いであろう顎の力とこの歯があれば咥え込んだ魚を逃がす事は少ないだろうと思われる。
(さしずめ
そんな事を思いながら、調理刀をその身に入れる。身まで赤くない事を祈りながら。
ブラックバスは、淡水に生息するスズキの仲間である。つまり食べても美味しい魚の筈なのだ。白く淡泊なその身は塩焼きが最適と言われており、湖沼で育つ彼らは脂の乗りも程々で、老若男女全般に好まれる要素を持っているが、どうも淡水魚特有の臭みは強いという話が多い。
「ちゅるりるー?」
三枚におろして皮を剥ぐと、見事に奇麗な白身が現れた。その身を薄く削ぎ、口にしてみる。確かに臭みは感じられる。魚全般を好むカイならこの臭みも一つの癖として美味しくいただけるのだが、この世界の人間には難しいかもしれない。
実際にリドの反応も微妙な感じだ。
(これはひと手間必要かな?)
調理は要吟味らしい。
塩焼きにしてしまえば臭みも薄れる筈だが、それでは収まらないのが彼と云う人間である。
◇ ◇ ◇
昼前になると釣りに興じていた三人も戻ってきた。そこには一番大きな金網が置かれ、何匹もの赤バスがじゅうじゅうと音を立て良い香りを漂わせている。
「おー、丁度良い感じに焼けてんじゃねえか。重畳重畳、いてっ!」
「まったく、準備してくれた人にまず感謝でしょ?」
後ろから尻を蹴られたトゥリオが悲鳴を上げる。
「ありがとう、カイ。お疲れ様」
「素晴らしいですぅ。さすがカイさんですぅ」
焼けた丸パンも皿に盛られていて、彼らを待っていたようだ。しかし、当のカイは未だせっせと作業をしている。
「まだ何か作っているの?」
「うん、僕的にはこっちのほうが本命。上手くいけば美味しい筈なんだけどなぁ」
カイはそう言うが、ボウルの中には水が張られて氷が浮かんでいる。その中に白くふやけた魚の身が沈んでいるとなれば、チャムは不安に襲われてしまう。
三枚におろした赤バスの身を薄く削ぎ切りにし、鍋で沸かしている熱湯にサッと潜らせる。そして、その身を氷水に浸すだけの調理。
これはご存じ「洗い」という調理法だ。海の白身魚はもちろん、鯉などの淡水魚にも用いられるが、スズキもこの「洗い」に良く使われる魚。
だから、仲間の赤バスも向いているであろうとこの調理法を使った。普通は水で洗ってから、氷水で締める調理法なのだが、臭みを感じたのでそれを抜く為に湯通しした後に締める方法にしてあるのだ。
水をしっかり切って皿に身を盛ると、別の小皿に作ってあった調味料を持ってきて、それにちょんと付けるとカイは口に運ぶ。
「あー、失敗したなー」
ふやかした魚の身に腰が引けている三人はその言を聞いて渋い顔になったのだが、カイの表情はそれを裏切っている。
「これは絶対に麦飯だったよ。炊くところまで手が回らなくて、丸パン焼いただけだったんだよねぇ」
「ちゅりー♥」
調味料を付けてもらったリドが、洗いを手に持ってムグムグと食べると鳴き声で応じる。尻尾もパタンパタンと地を打っているところを見ると高評価らしい。
その小皿の調味料は酢醤油、それも魚醤に果実酢を加えた物だ。醤油の旨味にまろやかな酸味、ほのかな甘みも有って、よく締まったコリコリとした赤バスの削ぎ身に合っている。淡泊な赤バスの身も、噛めば噛むほどに味が出て、舌を楽しませてくれた。
「歯応えが良いね。初めて洗いを作ってみたけど正解だったな」
「ちるー! ちるー!」
一切れをあっという間に平らげたリドも、次をせがんでいる。
「へぇ、これはこれで有りね」
とりあえず塩焼きを突きながら丸パンを齧っていた三人も、そろそろとフォークを伸ばしてきた。
「あはは、コリコリ楽しいですぅ」
「ほぉ、こいつぁアレだな。
刺身は大当たりな彼らにも、淡泊の極地に近い「洗い」はそれほど刺さらなかったようだ。基本的に濃い味が多かったり、脂の乗りを楽しむ肉食文化圏で育った舌には、この爽やかな味わいは強くは響かないものなのだろう。
結局、出来た洗いはほとんどカイとリドの胃袋に消えていった。ちなみに
やはり大型鳥類は赤バスにとって間違いなく天敵だった。
◇ ◇ ◇
昼食を終えて、三人は再び釣りに興じている。楽しそうな声も聞こえてくるので釣果も申し分ないようだ。
魔獣も多い森林地帯の中にある湖の事だ。こんな所には漁師もやって来ない。魔獣除けを発動しているからこそ出来る釣りなのである。全くスレていない魚はまさに釣り放題な状態だろう。
その傍ら、カイは別のひと手間を始める。作り出したのは方形のの缶。縦長になっており、数段に渡って扉らしき物が付いている。扉の中には支持棒が渡されていて、その上には金網が敷いてある。
次にカイは周囲を巡りに出る。葉の様子を窺って落ちている細い枝を拾っては折って匂いを嗅ぐ。何種類かの木の枝を拾ってきた彼は、小さめの木片に切り分けていった。
缶の一番下の段の扉の中に、塩焼きに使った火から炭を取り出して入れ、その上に切り分けた木片をばら撒いて扉を閉めた。中に煙が充満するまでしばらく待って、上の扉を開けて金網を入れる。金網の上には三枚におろして軽く塩をした赤バスの身が整然と効率良く並べられていた。
彼が作っているのは燻製である。保存食の意味合いが強い燻製だが、味は問題無く良いし用いるチップによって様々な香りや味が楽しめる。何より食材の臭みが確実に消せる調理法である。
赤バスの臭みを取り除いて最高の食材に加工したいカイが思い付いたもう一つの「ひと手間」が燻製なのだ。午前中の短時間ではどうにも間に合わないが、午後いっぱいを使って夕食まで燻煙すれば、それなりの仕上がりになってくれる筈だ。
準備して燻煙を始めてしまえばもうやる事はない。カイもパープルの背に乗って、再び湖水に向かう。主に取り込み時の網役として。
◇ ◇ ◇
「良い香りがしていたのはこれだったのね」
カイが金網から皿に移し始めた赤バスの燻製を一つ手に取り、香りを嗅いでチャムが言った。
「ふわぁ、良い香りですぅ。釣っている間も時々香ってきて涎が出ちゃってましたぁ」
「うん、問題無さそうだね。成功したから
食事の準備をしている間もその話題で持ちきりだった。この世界にも燻製の製法は有って、食料品店でも保存食として商われている。しかし、そのほとんどは肉の燻製であって、魚は物珍しいようだ。
「おー、美味ぇ。こりゃあ良い」
早くも齧りながら酒瓶に手を伸ばしているトゥリオ。
「こいつはほんとにもう。少しは手伝いなさいよ」
「チャムさん、もう終わるから大丈夫ですよぅ」
燻製のほうは大好評で、皆の食も進んだ。
美味しい魚を夕食に、潜伏中の夜は更けていく。
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