ポーレン逃走

 セネル鳥せねるちょうがその嘴を軽く開き、ずらりと並ぶ牙を見せつけて走れば人々は悲鳴を上げ倒けつ転びつしながら一斉に道を開ける。

 魔獣を神敵と定義し排除を訴えるという事は、その脅威を声高に唱える事を意味する。戦う術を持たぬ一般市民がこの過剰な反応を見せるのもむべなるかな。カイ達は便乗して騎士団の猛追を躱し、路地に逃げ込む。セネル鳥ならではの小回りで追手を突き放し、その一画に潜む事に成功する。


「あれが何だっつーんだ、チャム」

 未だ状況の掴めないトゥリオは声をひそめながらも強い口調で問い詰める。

「あれは……、『魔人』よ」

「ひっ!!」

 彼女が告げたその衝撃的な内容に、フィノはかろうじて悲鳴を押し殺すのに成功した。

「人の姿をして人に在らざる者。命持たぬ存在。それが魔人」

「ふーん、あれがそうなんだ」

 自身がそれになぞらえられた経験を持つカイだが、特に何の感慨も無いようだ。

「極めて危険な存在よ。それが国の中枢に在るのがどんな意味を持つのか、私にも想像が付かないわ。過去に例がないとは言わないけど、良い結果を生んだ試しがないのも事実ね」

ポーレンここでの活動は困難だとは言え、見過ごす訳にもいかないかぁ」

「おい、この状況で喧嘩売るのかよ。市民とか普通の人間に被害を出さないように戦うのは至難の業だぜ」

 トゥリオの言う事は正論だ。

「当然、無茶なんてものじゃないね。ここは逃げの一手。ほとぼりが冷めるまではまともに身動き出来ないよ。ただ、チャムに見破られた事で動きが活発化するってのはどうだろう?」

「否めないわ。でも、この状況じゃ何も出来ないわね。諦めるしか無いでしょう?」

「ここの人達は大丈夫なんですかぁ?」

 獣相を晒すことも出来ない国なのに、フィノは他人の心配をする。お人好しが過ぎるような気もするが、それは彼女の長所以外の何物でもない。

「悪いけど、それはちょっと目を瞑ってね」

「あそこまで食い込むのにも手間暇を掛けている筈よ。いきなり周囲の人間を虐殺なんかして、ふいにしたりはしないと思うわ。それより私達を処分して、自己の正統性を主張するほうが簡単」

「それじゃ逃げ出そうか。路地経由で西大門に向かって、突破するよ」


(当座はそれでいいにしても、あれほど見事に人に化けるとなれば高位魔人。あれを生み出せる存在は限られてしまうのよね)

 チャムは苦虫を噛み潰したような顔をする。


 裏路地には、物的にも人的にも障害が有ったのだが、背に腹は代えられず容赦無く排除させてもらった。前方に伸びる二本の指の間にある彼らの武器、蹴爪しゅうそうを使わないセネル鳥の蹴りとは言え、結構効いた事だろう。暴力沙汰にも慣れているであろう輩の団体でも、迫り来る巨鳥には恐怖を感じたかもしれない。


 方向だけを頼りに何とか西大門前広場に飛び出した彼らは、打合せ通り一列になる。パープルを先頭にして制止しようとする門衛に接近すると、マルチガントレットを装備していたカイが風撃ソニックブラストを放つ。吹き飛ばされた門衛達の間を一気に駆け抜けて、ようやく四人は予定していたポーレン西に出る事に成功したのだ。そこまでの紆余曲折があまりに予定外に過ぎたが。


 追手は掛かっていたようだが、サーチ魔法の範囲内で把握しているだけで、ついぞ視界に入る事無く逃げ切れたらしい。列を解き、一団となって駆け去るセネル鳥の上で、どうもここしばらく逃げ慣れてしまっているのに苦笑を交わす。


 点々とある灌木を縫い、こんもりとした森を迂回し、森林帯を発見する。そこに逃げ込む算段で意見の一致を見た。

 ちょっかいを掛けてくる魔獣を倒したり撃退したりしながら深くまで分け入って、開けた場所を見つけるとそこで魔獣除け魔方陣を起動。やっとひと心地というところだ。


「なあ、魔人ってのはあの魔人なのか?」

「あいにく私は一種類しか知らないんだけど?」

「それって伝承にある魔人ですよねぇ?」


 フィノは取り出した魔法具コンロでお湯を沸かしながら少し考え込む。

 おとぎ話、伝承、伝説、どれにせよ出番は少なくない存在ではある。勇者が絡む話となれば、例に漏れずと言っても過言ではないだろう。しかして、間違っても身近な存在ではない。


「伝承、ね。普通はそうとしか捉えられないわね。でも、史実として勇者が存在し魔王が存在するのなら、魔人だけ作り話って結論はあまりにお粗末だと思うけど?」

「う、ごめんなさいですぅ」

「仕方ないよ。人って現実離れした現実を目にした時、まず否定したり、目を逸らしたくなるものだもん」

「そうね、私こそごめんなさい。ちょっと衝撃を受けていたみたい」

「大丈夫ですぅ。興味を持って調べた事が有っただけ、本当にそんなのが存在するのかと疑いたくなっちゃいました」

 その内容が頭に浮かんだのか、彼女は身震いしてしまう。お詫びの印か、チャムは寄り添ってその肩を抱く。

「あー、俺もそんな知識ねえなぁ。おとぎ話程度だ。魔王の部下で、とんでもなく強くて、魔法もバンバン打ってくるような奴だろ?」

「確かにおとぎ話レベルの表現だわ」

 稚拙さを揶揄されてしまう。

「うぐ。でも普通は……、まあいいや。記録だとどんな感じなんだ?」

「うーんと。曰く、普通の武器は一切通用しない。曰く、肉体を持たず、斬っても突いても無駄。曰く、闇から闇に瞬時に移動出来る。曰く、魔に属するだけに魔法は多少効果がある。そんな感じで普通の人間には歯が立たない存在だという見解が共通していましたぁ」

「それはまた難物だね。肉体を持たないって有るけど、人間っぽくは見えた気がするね。あれは擬態能力のようなものかな?」

「見た目を誤魔化すだけじゃなくて、表面を変質させているって聞いているわ。だから触れるのも可」

「そうでないと人間社会に溶け込んだりは出来ないもんね?」

 人と接触せずに生きるのは不可能。

「そういう事。あと、瞬時に移動なんて出来ないはず。でもそれに近いくらいの運動能力は有るみたい」

「自分が見た詳しい記録の範囲では」とチャムは念押ししつつ続ける。


「魔法が効くと言ってもあまり期待しないほうが良いみたいね。非常に効きが悪いと思って」

 挙がった範囲の特徴は、トゥリオのような物理攻撃専門には手が出せないと分かって頭を掻きむしっている。

「どうにもなんねえじゃねえか」

「はいです。基本的には、勇者やその仲間みたいに神の加護を受けた者の攻撃しか通用しないみたいですぅ」

 かと言って、放置という選択肢は彼とて選びたくはないのだった。


 カイが一本指を立てて問う。

「一つ、質問。倒せないにしても、やり方は色々と有るものなんだけど。例えば退けて放逐するとかね。それにはまずは化けの皮を剥がせないと話にならないんだよ。その手段がチャムには有る?」

「有るわ」

 彼がそんな言葉で問い掛けてきたのは、あの時チャムが何らかの魔法を使おうとしたからだろうと予想出来る。その辺りは抜け目ない。そしてそこに利用価値を見出すのがカイという男だ。

「じゃあ、その方針で詰めていっても問題無い?」

「それが、そういう場面を作る前提で進めたいというのなら悪くない選択よ。ただし、魔法を起動する時間を稼いでくれて、その魔法を直接叩き込む必要が有るのは覚えておいて」

 事実上、無敵に近いような性質の存在相手に理詰めで抗しようというのだから、かなり酔狂だと思わざるを得ない。またそれもカイである。

「ところで、触れるなら殴れるとか頭の悪い事考えているって気付いてる?」


 さすがにその台詞には、チャムもお腹を抱えて笑ったものだった。

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