校外実習(3)
それからのフラグレンの働きは凄まじかった。
本心を貴族の義務や立場で誤魔化してきた彼女は、それが枷になっていたのだ。騎士爵を守るべきだという言い訳で振っていた剣は、本来の冴えを見せてはいなかったらしい。
それもその筈、精神状態はどうしてもその身体の反応に現れてしまう。それが深奥に抑圧されているものであっても同様だ。
それがチャムに容易に看破されていた事にフラグレンは恥じる。
「どうしてチャムお姉さまはわたしが嘘を吐いてるって気付いたんですか?」
「見ていれば解るわ」
そう言われれば、穴が有ったら入りたい気分になる。
「でも決定的なのはラグの言葉。貴女は『騎士爵を
「ああっ! うう、恥ずかしい。自分で言っているのに自分が気付けていないなんて、馬鹿みたいです」
「責めるのは止めなさい。意外と自分って見えていないものよ。アルギナみたいな直感タイプを除いてね」
「ほへっ! 酷いです! まるであたしが馬鹿みたいじゃないですか!?」
「良いこと教えてあげるわ。この業界、馬鹿が一番強いの。躊躇いが無いから」
それは単なるフォローではない。技量が横一線の場合は往々にしてそういう結果が出る。
だからそうでない者は別の方法を選ぶしかない。その最たる存在がチャムの身近に居る。分析と準備と信念の力だけで高みに在る存在が。
いつまでも笑っている場合ではない。拠点に戻るまでが実習である。探索しつつ、ジェリカの森を抜けなければならない。
「コフッ」
その息遣いが微かにチャムの耳を打つ。目の端でフィノの様子を捉えると、ロッドを掲げて編み上げた構成を転写していると分かる。完全に警戒態勢だ。
「止まって」
そう指示すると、再び耳に神経を集中する。落ち葉を踏む音の重さで、かなり大型だと分かる。
手で下がるように合図すると生徒達は後ろに回り、逆にトゥリオとイエローに乗ったフィノが出てくる。
「数は?」
「近付いてきているのは五頭ですぅ」
声をひそめて確認する。相手次第だがあまりよろしくない状況だ。
「お前ら、ゆっくり下がれ。走るな。ゆっくりで良い」
魔獣を刺激しないよう、注意して後退を促す。しかし、もう匂いを捉えられているのか、距離を開けられない。
そして、灰色の巨体が視界に入ってきた。
「
「ちいっ! 五頭もかよ!」
「走って! フィノ、足留め!」
「
生徒達が走り出し、それに興奮した長爪熊が立ち上がると共に、その前に氷の槍が多数突き立った。立ち上がった長爪熊の
そのお陰で追い付かれる事も無く、彼らの前に明るい陽射しに照らされる草原の姿が見えてきた。草原まで出れば生徒達の足も早まるし、広い場所でならフィノが使える魔法も増える。
一線級の冒険者である引率者達なら何とかギリギリ対処が出来るのではないかと希望を持って走り続ける。
「馬車に向かいなさい!」
陽射しの下に駆け出した彼らにチャムの指示が飛ぶが、そこには馬も
ところが、馬車へ向かう途中には黒髪の青年の姿が在った。
(えええっ!)
フラグレンは仰天する。一番ここに居てはいけない人物が彼らの前に居るのだ。
「逃げて!」と叫ぼうと息を吸い込んだ彼女を留めるようにチャムの声が被せられる。
「カイ、お願い!」
「うん、そのまま逃げちゃって。頑張って走るんだよ」
擦れ違い様にそんな言葉が届いた。
「ちょ! ダメです! このままじゃあの人が!」
「良いから走りなさい! 今、貴女が立ち止まったら戦えないの!」
「しゃーねえな!」
立ち止まろうとするフラグレンの腰をトゥリオの太い腕が抱き留め、抱え上げた。彼はそのまま走り続ける。アルギナも後ろが気になって仕方が無いようだが、チャムに叱咤されて足を止められない。
(そんな! お姉さま達が仲間を見殺しにするなんて! これはわたし達の所為? わたし達が荷物だから、あの人が犠牲にならなければならないの? 人を救う為に大好きな剣を振るう覚悟をしたのに、その直後に人を犠牲にして生き延びる道を選ばなきゃいけないの?)
悲痛な心の叫びに苛まれるフラグレンの耳に微かに黒髪の青年の言葉が届く。
「マルチガントレット」
腕に巨大なガントレットを纏った青年が駆け出す姿が彼女の目に入った。
「嫌ぁ! ダメぇ! 止まって! お願いだから止まって! 死んじゃう! おさんどんさんが死んじゃうわ! おさんどんさん!!」
「おさんどんさん?」
チャムが変な顔をしているのだけがフラグレンの印象に残った。
幌馬車まで辿り着いた生徒達が次々と乗り込み、フラグレンは抱え上げられたまま、彼女の馬の上に押し上げられた。引率者三人も
(おさんどんさんが嬲り殺しにされるわ。あんなに穏和で優しくて、仲間思いで家族思いでいつも笑顔を絶やさなかった人が。どうしてこんな事になっちゃったの?)
丘を下りきったところで、チャムが止まるように指示して様子を窺っている。
「チャムお姉さま! すぐに助けに行ってください! まだ間に合うかもしれません!」
「そうだよ、師匠! 見損なっちゃったよ! 仲間を置いてきちゃうなんて!」
「まあそう言うなよ。あのままじゃお前ら、馬に乗り込むまでも無く、後ろから一撃食らったかもしれねえぜ。あいつが止めてくれなきゃよ」
「でもっ! おさん…、カイさんは長爪熊なんかに抗する術なんか持っていません! どうして置いて来てしまったんですか!?」
「良いから待っていなさい。あの人はこの程度で死んだりしないから」
「そんな訳が……」
フラグレンは殴打音が止んでいるのに気が付いてしまった。それが意味するものに彼女は顔を青くする。
「終わったみたいね」
再び丘を昇り始めた三人を差し置いて、彼女は馬を駆け上がらせた。そして、目に飛び込んできた光景に、愕然として言葉が出なくなる。
「へっ!? 何で!?」
隣に駆け上がってきたアルギナの上げた声が耳を打つが、身体が反応してくれなかった。
草原には点々と
「あー、お帰りー」
近付いていくと、カイが朗らかに声を掛けてきた。その手はせっせと長爪熊の皮を剥いでいる。
「手伝ってー」
「私はあっちをやるわ」
「じゃ、俺はこっちか」
「フィノは向こうのにしますぅ」
さも当然の様に分かれていく。フラグレンは何か置いて行かれたような気分になった。
(あ……、あれぇ?)
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