校外実習(2)

 フラグレンの胸の内に灯った炎は、休憩を挟んで勢いを減じているものの、決して消えてはいなかった。


(この衝動に身を任せるのは危険な気がする。わたしがわたしでなくなってしまう)


 貴族である彼女は自分の感情や欲望に身を任せてはならない。それはフラグレンが子供の頃から自らに課してきたものだ。それ無くば、今の身分の甘んじている価値は容易に失われてしまう。誰に教え込まれた訳ではなく、律してきた自分に誇りを感じていた。

 その誇りをこの炎は一瞬にして焼き尽してしまいそうで恐ろしくて仕方がない。


「今更、緊張は無いでしょ? あれだけ上手くいったんだもん」

 何度も何度も深呼吸を繰り返しているとアルギナが不思議そうに声を掛けてきた。

「そうね。でも、こういう時こそ冷静にならないと油断が生まれてきそうな気がしない?」

「大丈夫。切り替えのし方だって師匠達が教えてくれたじゃない」


 必要以上の興奮を抑えきれない自分を誤魔化すように言った台詞だが、彼女は意に介さない。こういうところを見るとアルギナはフラグレンより剣士に向いているように感じる。

 今は出足で大きく差が開いているが、一足飛びで抜かされて行ってしまいそうで対抗心が湧いてくる。フラグレンは、その対抗心も炎の燃料になっている事に未だ気付いていない。


 午後は別ルートで進入探索を行う。午前中のルートは、放置した泥犬マッドドッグの死体に群がる死肉食いが多くて危険だと判断されたからだ。

 それでも次々と魔獣は襲い掛かってくる。大牙獅子グレートファングの登場には引率者も一瞬の躊躇いを見せたが、周囲の警戒をトゥリオとフィノに任せて取り囲み、目標を搾らせないようにしながら時間を掛けて削っていき、ついには倒してしまうという快挙も演じる。これは生徒達にも大きな自信となった。それからも短時間の休憩なども挟みつつ探索を続ける。


「師匠達はこんなハードな狩りをずっとしてきたんですか?」

 長時間に及ぶ緊張感に、さすがに少し疲れた顔を見せるアルギナが問い掛けてくる。

「ああ、依頼の場合は目標が絞られているから、何も森に潜る事はそんなに珍しい事じゃねえな。幾ら何でも夜まで潜っている事ぁねえが、昼は警戒しながら休むのもざらだぜ」

「はひー、それはとんでもない無茶じゃないですか」

「普通はそうね。かなり消耗を強いられる作業になるわ。でもどんなパーティーも少なからずやっている事よ。冒険者で稼ぐっていうのは、それを当たり前のようにやるって意味。だからその分実入りも多いの。さっきの大牙獅子グレートファング、あの魔石と討伐賞金で幾らになると思う?」

10フント10万円くらいですか?」

50フント50万円は下らないでしょうね。それがあんた達の命の値段。これだけの頭数だから分ければお小遣い程度の金額になってしまうけど、普通は数人程度のパーティーで倒すの。そういう事よ」


 チャムはお小遣い程度と言うが、通常の大人の一の労働単価としても上々な金額だ。しかし、今彼らが味わっている極度の緊張感と命の危険を考えれば、正当な対価と言われればそうかもしれない。

 生徒達は各々、今の状況と収入についてひそひそと言葉を交わし合っている。経験の足らない彼らには、まだその多寡は判断付かないだろう。


 その傍らでチャムは、フラグレンの様子がおかしいのに気付いていた。会話にも加わらずどこかうわの空で、手にした剣をじっと見つめたり頭を振ったりしている。彼女の中の葛藤を窺い知る事など出来ないが、チャムの問い掛けが大きな変化を促そうとしているのは分かる。こうして付いていてあげられるのは僅かな時間に過ぎない。今は大いに悩めばいいと思っていた。


 今度、現れたのは炎狼ヒートファングだ。戦闘となればフラグレンの瞳は真剣な光を帯びるから心配はしていないが、注意は払っておく。彼女は気付いているだろうか? 剣を振るう都度、その口角が上がってきている事に。


   ◇      ◇      ◇


 三頭の炎狼が次々と襲い掛かってくる。放たれる炎弾はフィノの魔法散乱レジストが防いでくれるので冷静に対処が出来る。フラグレンは一頭の炎狼に狙いを定めて、級友達と連携を守りつつ剣を振るう。隣の生徒の盾に隠れて跳び掛かってきた炎狼の攻撃を凌ぐと、すぐに飛び出し首筋目掛けて刃を走らせる。激しく暴れる炎狼への狙いは逸れてしまい、脇腹を浅く裂くに留まった。

 炎狼の瞳がギロリと彼女を捕らえたのを確認すると、跳び退って距離を取る。そうするとこちらを向いた炎狼は級友に対して無防備な背を向ける結果になる。一斉に攻撃を仕掛けた級友達が小さくないダメージを与えていき、先の彼女の攻撃は相乗効果を生んでいくのだ。


 フラグレンはもう、身の内の炎を制御する事など出来なくなっていた。

 炎が全身を焦がす。腕を辿って剣に伝わり、剣の切れ味を増しているかのように感じる。刃先が炎狼の皮を裂き肉を削る感触が直接脳まで伝わってくるかのようだ。その感触を甘美に感じる。血に酔っているのではない。それ剣の一振り一振りが級友を助けているのだ。

 ひいては、未来にこの炎狼が人を食い殺すのをも防いでいるのだ。自分の剣はこんなにも人の役に立てている。それが彼女に満足感を与え、感動に打ち震えさせている。


 炎狼がアルギナの剣を前に攻めあぐねている。独特の鋭さを持ったその剣は炎狼をも躊躇わせているようだ。動きの無くなった敵に、級友達は素早く展開し手傷を負わせようとするが、その一人が木の根方に躓き転倒した。

 炎狼はそれを見逃さず、牙を剥いて襲い掛かろうとした。フラグレンは躊躇いもせず、一気に前に飛び込む。姿勢を限界まで低くとった彼女は、その剣を炎狼の顎の下に滑り込ませると、そのままの勢いで刃を跳ね上げる。刃先は皮も肉も骨も斬り裂き、通り抜けた。

 炎狼の首は宙を飛び、重い音を立てて脇に転がる。そして、首の前に居るフラグレンには断面から血が飛沫いて頭から降りかかった。


「あーあ、髪まで血だらけになっちゃった。すぐに避ければ良かったのに」

 アルギナが手巾で血を拭いながら笑い掛ける。しかし、その笑顔はすぐに驚きに変わった。フラグレンの顔は、血以外の別の液体で濡れていたからだ。

「ど、どうしたの!? どこか怪我した?痛いの?」

「ううん、違うの」

 そう言ってフラグレンは剣に目を落とし涙を流し続ける。彼女は自分の本心に気付いてしまったのだ。

「チャムお姉さま、わたし、剣が好きです」

「知っているわ」

 チャムは鷹揚に頷く。その仕草がフラグレンの感情を決壊させた。

「剣が好きで好きで大好きで堪らないんです!」

「当たり前でしょ? そうじゃないと女の子がそんなに手を豆だらけにしてまで剣を手にしたりしないわ」

 言い聞かせるようなチャムに彼女は縋りついた。

「ダメなのに、貴族がそんな理由で剣を取っては申し訳が立たないのに! それでも剣が大好きなんです!」

「何がダメなの? 貴女の剣は民を傷付けるの? 違うわ。民を守る剣でしょ?」

 利害は一致していると言う。

「何を躊躇う必要が有るの? 貴女がその大好きな剣を振るう事で救われる者が居るのよ? 誰が貴方を咎めるというの?」

「わたしは本気で剣を続けても良いのでしょうか?」

「それに必要な基礎はもう貴女に叩き込んで有る筈よ。思いっきり振るいなさい。その剣を」

「はい!」


 フラグレンはそのままチャムの胸で少し泣いた。

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