黒髪の男

 いやに馴れ馴れしい男だとトゥリオは思った。偶然、隣同士になって口寂しくて話し掛けてきたにしては、狙いすましたような時期だったかのように思える。


(もしかして、こいつ、娼婦街の客引きか?)


 男一人の客を狙って、酒場に客引きが入り込む事は少なくない。酒場の主もそれを黙認しているところが有る。持ちつ持たれつというやつだ。客引きもそこで金を落とす客なのである。


「ああ、一人だぜ。どうした?」

 会話を拒むのもつまらないので、話がおかしな方向に行くところまでは付き合ってやるつもりになった。今はフィノに嫌われたくないので女を買うつもりは更々無い。

「一人で飲んでやっててもつまらなくてな。少し付き合ってくれるか?」

「構わねえぞ」

「俺はディアン。ディアン・ランデオン。これで信用してもらえるか?」


 後半は声をひそめて伝えてくる。家名が有る事に意味を託しているのだ。

 トゥリオは片眉を跳ね上げて改めて相手を観察する。黒髪の男は、腰に剣を下げているものの他に特徴らしい特徴の無い格好をしている。


「ほう。大胆だな。こんな場所で」

「胡散臭い事この上ないだろ? こんな場所でいきなり話し掛けられれば」

「確かにな。何で話す気になった?」

「あんたも似たようなもんだろうと思ったのさ。隠していても、その辺の下衆とは違う筈だぜ。物腰が違うからな」


 トゥリオは上手に装っているように思っていても、見る者が見たらバレてしまうものらしいと苦く思う。肩を竦めて諦める仕草をし、本名を告げる事にする。


「トゥリオって呼ばせてる。エントゥリオ・デクトラントだ」

「そうか、トゥリオ。俺は帝国貴族の、所謂放蕩息子ってやつでな、好き勝手やった挙句に帝国に居辛くなって、外でフラフラしたりもしてるんだ」

「なるほどな。俺も似たようなもんだったが、今は見ての通りの冒険者だ。パーティーで流している」

 流れ者だと告げる。

「あー、俺も冒険者登録はしてるんだが、ろくに活動はしてないな。色々と家から持ち出して金に換えて呑気に暮らしている」

「そいつぁ居辛くもなるってもんだろ? 身から出た錆さ」

「耳が痛いね。もしかしたら、家じゃもう居ないもんにされてるかもしれないな」

「だからって恨み言もねえだろ、それじゃ」

「違いない」

 二人してくつくつと笑う。


 トゥリオとてディアンの言う事は解らなくも無いのだ。貴族の、それも後継でもない下の兄弟の居たたまれなさは半端ではない。予備に取り置かれて埃を被っている商品の気持ちだ。

 重視されもしないのに堅苦しさだけは十分に有る。権限は無いのに自由も無い。有るのは家名に着いてくる責任だけである。放り出したくなっても責める気にはなれない。


「その放蕩息子がこんな所で油売ってんのか?」

「何か中隔地方がざわざわしてるって耳にしてな。興味本位で出張ってきたのさ。面白い話でもないかってな」

「そりゃ些か物騒な好奇心だな。腕に自信が有るなら問題ねえが、命懸けで絡むような話でもねえだろ?」

 騒乱を好んで首を突っ込みたがる輩が居ない事も無いが、トゥリオには物好きにしか思えない。命を縮めるだけの行為に思える。

「トゥリオはどこから来たんだ?」

「南からさ。俺は見ての通り西方の人間だぜ」

「そいつは人の事は言えないんじゃないのか? この時期のメルクトゥーやラダルフィーを通り抜けてきたんだろう? よく無事でいるな」

 興味を引かれただけあってそれなりには調べているらしい。何が起こったかぐらいは把握しているようだ。

「多少は覚えが有るからな。だが、わざわざ素人が自分から突っ込んで行くような状況じゃなかったのは確かだ。お前さんが今後は傭兵で食っていこうとか考えているんなら別だがな」

「もう落ち着いているんだろ? イーサルここでも後数もすれば出兵した軍が帰ってくるって話だし」

「そんなところか。まだ国境絡みでしばらくはごたごたすんだろうがよ」

「そっち向きの話には興味は無いな。好きにやってくれればいい。いや、メナスフットが力を増すと堅苦しくなっちまうな。イーサルとウルガンを応援したくなるってとこか」

「まあ、平民視点で暮らしていくならそれでいいだろ」

 トゥリオは杯を掲げつつ賛意を示す。

「景気のいい話を探しているならメルクトゥーが向いてるぜ。あそこはこれから豊かになる」

「そいつは良い話を聞いた。足を延ばしてみるかな?」

 ディアンは口笛を吹いて、親指を立てる。トゥリオも、情報を求めてやって来たディアンにそれくらいは与えても良いと思ったのだ。

「ありがとな、トゥリオ。お陰で美味い酒が飲めた」

「そいつぁ、俺もだ。南に行くんなら気ぃ付けて行けよ」

「おう、色々と済まなかったな」

「気にすんな」

 二人は杯を合わせて飲み干すと、小銭をカウンターに置いて同時に席を立った。


 酒場の扉をくぐると手を挙げて別れを言い、二人は逆方向に歩いていくのだった。


   ◇      ◇      ◇


「ふーん、そんな事が有った訳?」

 朝の鍛錬を終えて霧の小人亭に戻り、朝食のテーブルでトゥリオは昨夜会った変わった男の話をする。

「同じ帝国人でも、ガラハ達と違ってよく解らん奴だったな。どうにも捉え処がない感じとかカイと話しているみたいな感覚だったぜ」

「良かったじゃない、友達が出来て。たまになら遊び歩いても良いのよ」

「そういうのじゃねえな。その場限りの話し相手さ。二度と会う事はねえんじゃねえかな」


 南に行くような話をしたので、もしかしたら今頃はスリッツを離れているかもしれないとトゥリオは思っている。


「そんな訳で俺はもうちょっと寝るわ」

「解ったわ」

 今陽きょうは教練のではないので問題無いとトゥリオを見送る。

 階段を昇っていく彼を横目に、チャムはカイの様子を窺っていた。


「少し話せるかな?」

 トゥリオがディアンの事を話すにつれて、瞳に思案の色を浮かべた青年が切り出してきたので、チャムはやはりと思う。

「良いわ。私達の部屋に移動しましょう」

 彼女はフィノと連れ立ってカイをいざなう。


「何かしら?」

 フィノが用意してくれたお茶を前に、話の再開を促す。

「チャムとフィノは変に思わなかったかな?」

 カイは疑問を口にし始めた。


 彼は北方三国が同時に軍を起こしてラダルフィーに攻め込んできたのが、あまりに機が図られ過ぎていたように感じたと言う。相手に悟らせずに同時に国境を越えるとすれば綿密な打ち合わせが必要となってくる。三国の関係は良好とは言え、そう容易な事ではない。


「でもラダルフィーは全部の国に侵略を仕掛けていたんですよねぇ。怒りを買っても変じゃないと思いますぅ」

「もちろん各国の体制は不満を醸成していたと思うよ」


 それでも三国それぞれは歴史や国是も違えば、それによって得られる利益も違ってくるのだ。

 東方への窓口であるイーサルにしてみれば、その先には帝国の版図が広がっている。ラダルフィーがあまりに無法を貫くのなら東の大国が乗り出してきても変ではない。それほど急ぐ必要は無いのだ。


 アトラシア教国と言っても差し支えないメナスフットは、信徒を削られるのは下からの突き上げが大きいだろうが、宗教国が軍事侵攻をするのに忌避感は否めないと思われる。


 元々ラダルフィーと接していたウルガンは、苦々しい思いも強いのは間違いない。しかし、王都は北のほうに有り、北の海に接する領土が大きな割合を占める王国は、内陸には強い執着は持っていないだろうとも思える。


「確かに対応が変わってきても不思議が無い組み合わせよね。じゃあ、どうして同時に動いたのかしら?」


 カイの黒い瞳には強い疑念が渦巻いているように見えた。

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