その後姿

 デュナークが意識を取り戻すと捕縛されて寝転がされていた。両手は後ろ手に縛られて何も出来ない状況だが、両足は自由なままで身動きくらいは出来る。監視の兵が捕縛者を監視するように、円を描いて転々と見られるので逃げるのは難しいだろう。


 上体を起こすが、心が前を向かず頭が上がらない。彼は負けたのだ。人々に讃えられる存在でありながら、巧言に富んだ彼の理想とは程遠い英雄に。

 情けなさが心を覆って、堪えていなければ涙が零れてしまいそうだった。強さを追い求めてブラックメダルまで駆け上がってきたのに、それでも手は届かない。自分に何かが足らないからの結果なのだろうかと思う。


 先程の戦いを思い出す。実力差は明白であった。それだけを問えば全く手が届いていない。なのに魔闘拳士は真っ直ぐに自分を見つめていた。真っ正面から対峙して、斬撃でも言葉でも語り掛けてきていた。そこに何かが有ったのだろうかと思案する。

 彼はあまりに理想とかけ離れた姿に、魔闘拳士を否定したかった。最初から拒絶していたのに、魔闘拳士は実力で劣る彼に根気良く付き合ってくれたものだと思う。魔闘拳士は自ら語っていたように、きちんと向き合っていたのだ。


(そうか。俺は上ばかり見上げていて自分が見えていなかったんだ)


 だから魔闘拳士は自分の剣と、そして人とも向き合えと言ったのだ。人が自分をどう思っているか、耳を傾けろと言ったのだ。それで自分が見えてくると教えてくれたのだ。

 笑いの衝動が込み上げてきて、やっと顔が上げられた。そこには修羅場が展開されている。


(ハイハダルは巨猿あれを使ったのか……)

 明らかに制御出来ていない巨猿ギガントエイプは、味方の集団を襲う。蛮王の配下の冒険者たちは逃げ散って行っている。


 デュナークは目を瞠った。集団から取り残されたのは、先刻まで彼と戦っていた男だった。

 魔闘拳士は迸る強大な闘気を周囲に揺蕩たゆたわせながら、巨猿とさえ静かに対峙している。


 それはまさしくデュナークが理想とする英雄の後姿だった。


   ◇      ◇      ◇


「ちょっと! 何で逃げないのよ、カイは!」

 オルディーナは悲鳴を上げる。

「いや、ありゃ、わざとやっているな」

 カイがあの場所で闘気を放って威圧しなければ、逃げ惑うラダルフィーの冒険者は次々と犠牲になってしまうだろう。それが解っているからこそ動かないのだ。

「それじゃあ、彼は身を投げ出して皆を救っていると言うんですか?」

「ちょっと違うわね。あの人はどう足掻いても駄目そうな時はちゃんと逃げるわ。何らかの考えが有って、あそこで粘っているんでしょうね」

 不安を口にするペストレルに、チャムは経験からのカイの行動を説明する。その理由として、カイから少し離れた後方でパープルが待機しているのを挙げて付け添えた。

「一応、大きいのを待機させておきますけど、きっと大丈夫ですぅ」


 フィノは信頼を口にして確認する。


   ◇      ◇      ◇


 巨猿ギガントエイプは訝しげにカイを見ている。ちっぽけな人間が自分を怖れもせずに一人残っているのが不思議で堪らないのだろう。普段なら気にも留めずに刈り取って餌にするのだろうが、青年の放つ闘気が巨猿の目を釘付けにし、動けなくさせていた。


 スッと掌を上にして左手を前に突き出す。その手を軽く握ると魔力が迸り始めて、陽炎のようなものが左手から立ち上り始めた。ふわりと動いた右手が今度は左のマルチガントレットに向かう。立てられた人差し指の銀爪が、左のマルチガントレットの裏に光述を始めた。


 書き連ねられた魔法文字が、左のガントレットの表面の模様のように輝線で描かれている。巨猿を見つめる視線は不動のまま、左手はゆっくりと開かれた。

 そこには鈍い銀色の鉱物が現れている。4メック4.8cmほどのその鉱物は、何の変哲もない球形をしている。


炸裂弾ブラスティングブリッド


 しんと静まり返っていた原野に、その声が響き渡る。と同時に、カイは右掌で光述を軽く叩き、魔力を流し込む。

 するとその鉱物は左掌から撃ち出されてかなりの速度で巨猿の胸に向かって行く。しかし、750メック9m以上もある巨猿に、その弾丸はあまりに頼りなく見える。急所に当たらなければ効果は望めないと思われたその弾丸は、しかして広い胸の右側に食い込んだだけだった。

 事実、その射入口からはわずかに血が流れだすが、巨猿は小揺るぎもしない。そう思われた直後、大型魔獣は苦悶の表情を作った。


「ゴフゥ、ゴアアァァァァ!」


 突如苦しみ始めた巨猿は、大きな苦鳴を上げる。そしてその強靭な筋肉に覆われた胸が内側から押し上げられるように大きく盛り上がっていくと、限界点を迎えて弾けた。

 血飛沫や肉片を周囲に撒き散らした巨猿は、胸に大穴を開けられながらも立っていたが、数呼十数秒の間を置いて眼球が裏返り白目を見せる。そしてゆっくりと仰向けに倒れていった。


 重い音を立てて倒れた巨猿を前に、カイはそのまま無表情に立っていたが、静かに視線を横に流す。その先には侵略行為で中隔地方の悩みの種になっていた蛮王ハイハダルの姿が在る。


   ◇      ◇      ◇


(馬鹿な! あの巨猿ギガントエイプをたった一人で、魔法の一発だけで倒すだと!?)


 ハイハダルの驚愕は、その人生最大のものであると思えた。目の前で有り得ない事態が起きたのだ。

 混乱する頭の中で警鐘が鳴っているのだが、それに気付く事さえ出来ない。


 そうしている間にも、英雄と呼ばれる黒髪の青年は闘気を撒き散らしながらゆっくりと歩み寄ってきている。巨猿の脅威に踏み止まっていた彼の手勢も、奇声を上げて逃げ散って行く。後ろに控えている幹部連も、腰が抜けたのかへたり込んでいた。


「き、貴様、よくあの巨猿を……。そうか。それが貴様の切り札か? どんな相手でも一撃で葬り去れる威力のある魔法が?」

 ハイハダルは必死に気力を奮い起こして、指を突き付けて問う。

「切り札? そんなものじゃありませんよ。あれは威力が高くても非常に溜め時間が必要な、使い勝手の悪い手札の一枚に過ぎません」

 その間にも一歩一歩と魔闘拳士は近付いてくる。笑いそうになる膝にぐっと力を入れて耐える。

「つまりは、あの魔獣が貴方の切り札だった訳ですね? あんな敵味方も関係なく暴れ回るだけの危険なものが。一体何を考えてそんなものを使うんです? 自暴自棄にでもなったんですか?」

「ちがう! 制御出来る筈だったのだ。少なくともワクンカタムはそう言っていた」

「それで?」

「何だと言う?」

「貴方はあれほど危険なものを、実験もせずに投入したって言うんですか? それで自分の部下を食い散らかせて責任が無いと主張するんですか? それは浅慮に過ぎる」

 魔闘拳士はあからさまに剣呑な雰囲気を纏い始めている。ハイハダルは自分が選択肢を完全に誤ったのだと自覚し始めていた。

「そ、それがどうした! 北方三国やメルクトゥーが我が国を侵略しようとしなければ、巨猿あれを使う必要など無かったのだぞ!」

「侵略を仕掛けていたのは貴方のほうです。どの口でそんな批判が出来ると言うんです?」

「国王ならば国を栄えさせるのが務めではないか! 国を大きくしようとして何が悪い!」

「言っている事が支離滅裂です。貴方は一国の王どころか人間としても害毒でしかありませんね」

「うるさ……、ぎゃああ ──── !」

 目の前にまで来た魔闘拳士の拳が、彼の右膝を砕く。尻餅を突いたハイハダルの砕かれた右膝が光条レーザーで灼かれ、再起不能にまで破壊される。

「煩いのは貴方です」

 魔闘拳士は彼の頭を右手で掴み上げると地に打ち付けた。ハイハダルの意識は闇に落ちていく。


 それが蛮王ハイハダル・クラットソンの野望が潰えた瞬間だった。

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