蛮王の切り札

 メルクトゥー軍将軍ラガッシは兵五百を率いて国境を越え、カイやガラハ達が倒した冒険者を捕縛して回っている。これは布告無しの戦争行為ではなく、国境を侵犯する恐れのある違法越境者を未然に取り締まる名目である。シャリアが進言してクエンタが承認し、命じられたラガッシがそれほど問題視されないであろう少数の兵を用いて行われた。

 これは戦場の様子を窺いながらも、手出しが出来ずにうずうずと落ち着かない女王を抑える為に行われたようなものだが、ガラハ達には非常にありがたい援護になった。既に倒した者の復帰を気にせず戦えるのは精神的にかなり楽になる。チャムを先頭にした八人は連携を深めて果敢に攻め込む姿勢を見せる。


 ラダルフィーの冒険者軍団は魔法で圧力を掛けられて、女剣士達の戦列に追い込まれていく。チャムとウィレンジーネ、オルディーナはチッタムの援護を受けながら効率良く戦闘不能者を量産していたが、何しろ数の多い冒険者軍団はそう簡単には崩れない。

 蛮王は彼女らに長期戦での消耗を強いる事で戦局を優勢に傾けようと企図しているようだったが、突如横合いから掛かった猛攻にそれは脆くも崩れる。

 黒髪の疾風が軍団に突き刺さると、数名単位で冒険者が宙を舞う。怯んで迂回すべく走り出した者が足や肩を押さえて転倒し、大きな悲鳴を上げつつ転げ回る。蹴立て上げられた土埃が青白い光条レーザーを浮き上がらせ、何が起こっているのかを彼らに教える。


 大きく形勢の傾いた戦闘に機を読んだチャムはオルディーナと戦列を組み直し、ウィレンジーネに魔法の援護を頼んで斬り込んでいく。チッタムは下がって両魔法士の後方から警戒の目を配る配置に変わった。

 フィノとペストレルの魔法は、小範囲系の雷電球プラズマボール氷結弾フリージングブリッドに切り替えられ、淡々と削っていく方向に変化。彼らの脅威となる抜けてきた冒険者はトゥリオとガラハの剣と戦斧バトルアックスの前に倒れていくのが見え、心置きなく魔法での援護に専念できる。


 こうして戦況はラダルフィー不利に大きく傾いていったのであった。


   ◇      ◇      ◇


 大地の細かな震えを最初に察知したのはチッタムだった。周期的に連続で感じられる地響きに異様な感覚を覚え、警戒の声を上げた。


「何か変! 何か来る!」

「本当ですか、チッタム? 確認出来ますか?」

「待って」

 青ざめた彼女の表情を見ていたトゥリオは、ここは信じるべきだと思い、大音声を上げる。

「チャム!! カイ!! 戻れー!!」


 その声に反応してフィノは狙撃型魔法に切り替え、白兵戦力の後退の道を切り拓くべく狙い定める。ペストレルもそれに追従した為、彼女達は無事集団から切り抜けて出てきた。

 状況を察知して駆け寄っていたブルーと二羽のセネル鳥せねるちょうに跨り、トゥリオ達の所へ戻ってくる。


「何事!?」

「解らん。今、チッタムが確認し……」

巨猿ギガントエイプ! 何でこんなところに!?」

 その頃には他の者達にも、遥か東から迫る影が確認できるようになってきていた。

「大型魔獣! 冗談でしょ!?」

 ウィレンジーネが悲鳴を上げた。


 チッタムが口にした巨猿ギガントエイプは隔絶山脈に生息する数少ない大型魔獣の一種。猿系の魔獣の中では最大級の巨体を誇り、成体であれば750メック9mを越えるのが標準的である。

 性格はお世辞にも穏和とは言えず、他の魔獣を食料とするだけでなく嬲り殺す姿なども確認されており、かなり危険視される魔獣に分類されている。しかし、その分布は隔絶山脈の山深い部分に限られており、人里にまで降りてくる事はほとんど無いと言って良い。

 逆に言うと、ごく稀に起こる巨猿による被害は、ほぼ天災レベルのものになる事が多い。魔境山脈であれば、深く分け入るほどに見られる事が多くなる大型魔獣の一種に分類されているが、東の山脈ではあまり見られない。言うなれば、隔絶山脈最大の脅威に数えても過言ではないだろう。


「カイは戻れねえのか!」

 トゥリオは未だ戻らないもう一人の仲間を心配して声を荒げてしまう。パープルが戦闘領域近くで右往左往しているところを見ると、まだ出てきていないのだろう。

「援護無しで中央近くまで突っ込んじゃっているし、切り抜けるのに苦労しているみたいね。あの人ならやられる事はまず無いでしょうけど」

「だが、早目に退避しないとマズいぞ。巨猿あれは準備無しで倒せる相手じゃない」

 チャムは落ち着いて構えているが、ガラハはかなり危機感を覚えているようだ。

「大きめのを打ち込みますか? カイさんなら問題無く凌ぐと思いますぅ」

「それもね。一応準備しておいてくれる、フィノ?」

「はいですぅ」


 彼らが協議している間にも巨猿の姿は大きくなりつつあり、誰の目にもその脅威が確認出来るようになってきていた。


   ◇      ◇      ◇


 ハイハダルは、迫り来る巨猿の姿を見つめて、何とも言えない表情を浮かべている。冒険者としては、あれは紛う事無き敵である。しかし、窮地に追い込まれつつある今は味方と捉えなくてはならない。

 あれを当面の敵である魔闘拳士達やメルクトゥー軍を追い払う為の武器にする。毒を以て毒を制す。そう割り切らなければ心の整理が付かない状況なのだ。


「メルクトゥー軍にけしかけるのだぞ。制御出来ているのだろうな、ワクンカタム?」


 その陰鬱な、ハイハダルでさえまともに声を聞いた事がほとんど無い魔法士が蛮王の切り札だ。彼の魔法は極めて特殊で、風系の魔法で変調音波を発し、それによって魔獣を意のままに操るというもの。

 その仕組み、どんな変調音波でどの魔獣にどんな効果を及ぼすかは解明されているとは言えず、魔法士本人の経験に基づく手法で用いられている。その為、他人には成功しているのか失敗しているのかは窺い知れないのだ。

 蛮王の懸念は仕方ないと言えよう。


「おい、ワクンカタム。返事くらいしろ」

 普段から交流が皆無の相手であれば、愛想の無さも諦めて苦笑いを見せるハイハダルだが、その様子を窺って異常事態が起こっているのに薄々気付いた。ワクンカタムの身体が細かく震えているのだ。

「どうした、ワクンカタム! 今、どうなっている?」

「……かふっ」


 身体を揺すろうとカティーナが近付く頃には、その震えは無視出来なくなるほどになっており、肩に手を置いたところで小さく息を吹き、ばったりと仰向けに昏倒してしまった。

 口からは泡が溢れてきている。明らかに脳に異常を示している兆候だ。


「いけません、陛下! 失敗しております! あの巨猿は何をするか解りません! 早くお逃げを!」

「くそっ! 制御出来なかったのか!」


 緊急事態に彼も慄く。偶然の産物でさえ、天災級の災害だという認識なのに、それを意図的に行ったとなれば、周辺の四国はハイハダルを批判の的にするだろう。最悪、帝国の介入を招く発端になり兼ねない。


 それ故に彼は、軽々に「退避」を口に出来ないのであった。


   ◇      ◇      ◇


「どうなっちまうんだ?」

 巨猿ギガントエイプの進路上から距離を取ったトゥリオは困惑を口から漏らす。


 巨猿は最も近くに在った冒険者軍団に襲い掛かった。事前に気付いて蜘蛛の子を散らすように逃げに掛かった冒険者達だったが、装備の重い者は足も遅く、巨猿の大きな歩幅に負けて手に掛かってしまう。弾き飛ばされ、掴み上げられ、噛み千切られる者が出始めて、その場は阿鼻叫喚に包まれた。


「ガウア!」

 だが、その手が急に止まり、巨猿はゆっくりとそれ・・に目を向ける。


 そこには巨大な闘気を纏った黒髪の青年が静かに佇んでいた。

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