拳士

 クエンタは、打撃で人が宙を飛ぶところを初めて見たと思う。それはそうだろう。そんな芸当が出来る人間がそこら中に居る訳が無い。世界はそんな危険に満ちてはいない。だが、彼女の前にはそれをやってしまう男が居る。


 重い金属が物凄い力でぶつかり合う音が響く。すると結構な重量が有るであろう重装備の男が吹き飛ばされ、土魔法で作られた天井面に直撃して、また床に凄まじい音を立てて落ちてくる。その男はもうぴくりとも動かない。


 カイは左拳を少し前に突き出し、僅かに身体を左前にした脇構えをしている。剣を相手にする時は、的を小さくする為に必ずと言っていいほど半身の姿勢を取る彼が、ほぼ身体を正面に向けている。おそらく拳の振り出しが最もスムースに行え、最大限に力を伝えられる構えなのだろうとチャムは推測する。そのまま前傾して縮地法で一気に迫ると、また襲撃者達が吹き飛ばされていく。


 槍使いが戦い難い状況を現出させたつもりが大暴れを許している事に呆然としている襲撃者が、風切り音を聞いたと思って手元を見ると、剣が根元から断ち斬られて足元に落ちていこうととしている。ぎょっとして正面を見ると嫣然とした美女が盾を振り抜いてくる瞬間だった。横っ面をしたたかに殴られた男はそのまま昏倒する。


 別の男は、大盾で体当たりを食らわされて転倒すると、鳩尾を踏み付けられ悶絶した。そこへ上段で斬り掛かろうとした男が、盾の縁で顎を打ち抜かれて潰れたような悲鳴を上げる。トゥリオは抜いた剣の柄でもう一人の額を割り、しゃがみ込んだ相手の側頭部に横蹴りを放り込む。


 全員が動けなくなるのに20呼百秒は掛からなかっただろう。誰一人として立ち上がれもしない襲撃者を前に、チャムは宣う。


「怒ったこの人の拳を前にして命が有るんだから、運が良かったと喜びなさい」


 今陽きょうの拳は珍しく血に濡れていない。


   ◇      ◇      ◇


「あの長柄の武器はカイにとっては枷なの。奇妙な事にこの人は、殺さずに済ませる為に刃物を手にするのよ」


 チャムが肩を竦ませて言った台詞が耳に残っている。あの人・・・があんな笑い方をするだろうかと混乱してしまう。泣いている子供を前にしても、冷たい視線が僅かにも揺れなかったあの人が。やはり別人なのだろうかとクエンタは思った。


「彼は拳士だったのですね?」

「みたいですわね。あの方にはいつもいつも驚かされてばっかりです。シャリアまでもが呆けたような顔を見せてくれるのは楽しいですけれど」

「からかわないでくださいまし、クエンタ様」

 少し頬を染めて顔を背ける彼女もそう見られるものではない。

「まるで勝てない相手とカードゲームのテーブルを囲んでいるような気分です。強い手札ばかり持っているのに、一枚ずつ晒してきて嬲られるというのは面白くはありません」

「ですわね。あの方が敵でなくて本当に良かったです。ラガッシが可哀想に思えてきましたわ」


 それはクエンタの本心からの言葉だ。


   ◇      ◇      ◇


 軍駐屯地訓練場には、今や粗野な雰囲気を漂わせるむさ苦しい男どもが思い思いの姿勢で転がっている。バルガシュ傭兵団が居座っているのだ。

 宿舎には兵士が詰まっているのでここしか彼らの居場所が無い。傭兵団には女性も居る事は居るのだが、彼女らは彼女らで固まっている。

 昼間は訓練場でグダグダとしている。気が向けば装備品の手入れをしたり軽く組んだりはしているようだが。夜になるとめいめいに街に繰り出し、酒を飲んで騒ぐなり、暗い裏路地に女性と消えていったりする。


 そこは呼び出された四人がセネル鳥せねるちょうを放していく場所でもあり、行動が重なる場所にもなっている。

「踏んじゃって構わないよ、パープル。戦場以外じゃ役に立たない荷物だから」

「おおい、こら! 好き勝手言うんじゃねえ。そんなんに踏まれたらただじゃ済まねえだろうが!」

「失礼ですねぇ。こう見えても見た目ほどには重くは無いんですよ」

 鳥類は鳥類である。筋肉質で骨は太いが密度は低い。それでも200ラクテ240kg以上は有るが。

「いやだから止めさせろ!」

「寝っ転がっているのが悪いんですよ。うじゃうじゃ居るから彼らが思いっきり駆け回れないではないですか?」


 既に爪で抑え込まれているギールが悲鳴を上げるが、今にも掴み上げられそうな感じだ。嘴がちょっと開いて、ずらりと並んだ1メック1.2cmほどの鋭い牙が覗いているのだから堪ったものではない。


「解った! 解ったから勘弁してくれ」

「放してあげて、パープル。そんなもの食べたらお腹壊しちゃうよ。おやつあげるから」


 九死に一生を得て汗を垂らすギールの横で、紫青黄白と並んだセネル鳥があんぐりと口を開けて待つ。カイが順番に麦餅を放り込んでいくと美味しそうに咀嚼を始める。なぜかブラックの横には大口を空けたフィノも待っている。わくわくしている彼女を無視する訳にもいかず、トゥリオに餅を手渡した。彼の手の餅に食い付いているフィノが幸せそうなので良しとしよう。


「なあ、小僧。お前ぇ、何で嬢ちゃんに手を貸す?」

 立ち上がって身体に付いた草切れを払い落しながらギールが問い掛けてくる。

「なぜって依頼契約をしたからですよ」

「ぬかせ。お前ぇらの腕前なら格安じゃねえかよ。訳が有るに決まってる」

「ギールさん、貴方はなぜクエンタさんに協力するんです? メルクトゥー王国には見るからにお金が有りませんよ? 傭兵が売り込む相手には一番不向きでしょう」

「義理だ」

 逆に質問を返してきたカイに、ギールは事も無げに言った。

「ずっと付き合いが有るし、嬢ちゃんはカシューダを取り上げてくれた。今も重用してくれてる。俺ぁ、孤児だったあいつの親みたいなもんだからよ」

 彼は思い出すように目を瞑って続ける。

「それに嬢ちゃんは王様になった今でも、子供の頃みたいに接してきてくれる。こんな呼び方したって気にもしねぇ。何とかしてやりたいって思うだろ?」

「何となく解りました。貴方にとっての漢気を貫きたいんですね?」

 褒められたというのに渋い顔をする。

「止めてくれよ。ケツがこそばゆくなる」

「照れる歳でも無いでしょうに?」

「うっせぇ、若造」

 憎まれ口を吐いたのに、目の前の青年が妙に吹っ切れた顔をしているのに気付くギール。

「貴方みたいな人がクエンタさんの側に居れば大丈夫ですね。僕は自分が正しいと思う事に拳に使ってきました」

「そうか。お前ぇさん、拳士なんだってな」

「今回も僕の信条にクエンタさんの思いが合致したんで、彼女を助けたいと思ったんです」

 一つ頷いてカイは続ける。

「お金どころか地位も名誉も求めない僕が、そんな信条だけで介入するのは青臭くも傲慢に見える事でしょうね? でも、止めません。子供っぽいと笑われても、これが僕の生き様なんです」

「笑いやしねえよ。そんな事したら、自分に跳ね返ってきちまうだろ?」

 傭兵団長は真摯に見返してくる。

「ただ俺にもこんな馬鹿に付き合ってくれる奴らが居るからな。せめて人様の為になる仕事だったと思わせてやりてぇ。乗っからせてくれよ」

「心置きなく彼らを引っ張っていってください。きっと良い事有りますよ?」

「ここにきて宗教家みたいな事ぬかすんじゃねえよ。笑っちまうだろ」

「そんな夢想家じゃないですから」


 一言に斬って落とす冒険者の肩を叩いて大笑いする傭兵のかしらだった。

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