槍遣い

 クエンタはベッドの上で放心していた。その夢を見たのはずいぶん久しぶりだと思う。


 多くの兵が自分の思いに賛同してくれて、これからの戦いはずいぶん楽になった。張り続けていた気が緩んでしまったのか、昨夜の寝入りは極めてよく、あっという間に眠りに落ちたように思う。

 そして、子供の頃は時々見ていたあの時・・・の夢を見てしまった。誰も信じてくれなかった事実・・の夢を。


 記憶を掘り起こせば今でも鮮明に思い出せる。あの時の気持ち。あの時聞いた言葉。縋り付いた暖かな手の感触。そして、じっと見つめてきた美しい青い髪の女性の顔。

 あの視線も良く覚えている。最近も感じたのだ。同じものを。冒険者の青髪の美貌から感じた視線。


 でもそんな筈は無いのだ。なぜならあれは二十も前の事。


 青髪の美貌が老いもせず、あの時の女性と同じ顔をしている・・・・・・・・なんて。


   ◇      ◇      ◇


 カランカ高地会戦から此方こっち、軍議となると四人の冒険者は呼び出されるようになった。

 あの時、戦場の設定から大勝までの筋書きを描いていた黒髪の冒険者は女王に極めて高い評価を得て、外部顧問的な立ち位置で意見を欲されるようになったのだ。それはメルクトゥーの将にとっては決して面白いものでは無いだろうが、有効な戦術を生み出す力とそれを裏付ける武威を示されれば否を唱えられる者も居ない。


 だが、カイにしてみれば既に最低限の仕事は済んだように思っている。なにせラガッシ軍に二倍以上の戦力差があり、こちらは王宮を抑えて地の利もある。負ける要素を探す方が難しい。

 常道なら他国の介入などを気にしなければならないところなのだが、その隣国の侵攻から国を守るべく軍国化を目指したというのに、その隣国に援軍を頼むのは本末転倒も甚だしい。


 その辺の農民を強制徴用する方法も無くは無いが、それがものになるまでには半輪はんとし以上掛かると思わねばならない。それほどの糧食はどこにもない。兵力が減ったお陰でしばらくは保つかもしれないが、限界を迎えるのはそう遠くは無いだろう。むしろ勝負を急がねばならなくなったのはラガッシ軍のほうだと思っていい。

 それでも食い詰めて形振り構わず農村を襲い始めるまでには勝負は付けなければならない。その為に今は動く準備をしている段階だ。斥候も何組も派遣して逐一位置を把握する努力も欠かしていない。


「殿下の軍はヌッヘル高地近辺から動いていない模様です。そこで待ち受けるつもりなのか、そこから再進撃するつもりなのかは不明ですが」

 シャリアが斥候からの調査報告を上げる。彼女が斥候の行動計画を立て、半刻みで必ず報告が入るよう差配しているのだ。

「やはりここはザウバまで攻め寄せられて市民を不安にさせるよりは、打って出て撃破すべきだと思われます」

「いやいや、彼奴らが待ち受けているという事は罠が仕掛けられているものと心得なければなりませんぞ。不用意に仕掛けず、誘い出す方策を取るべきでしょう」

 様々な意見が出るが一長一短がある。今一つ決め手に欠けるのだ。

「カイさんはどう思われますか?」

「農地を踏み荒らすのでなければ、仕掛けるのはどこでも良いと思いますよ」

「そのようななおざりな意見しか無いのですかな?」

 この場に冒険者は相応しくないと思っているのだろう。

「そう言われましても、こちらは既に倍する戦力が有るのですよ。状況は完全に逆転したんです。同じ事さえやらせなければ良いとは思いませんか? つまり伏兵を許さないように相手兵力を確認しつつ、慎重に戦えばどうやったって勝てるでしょう?」

「彼の言う通りですね。将の皆様にはその能力を発揮していただいて常の働きを求めたいと考えます」

 女宰相にそこまで言われれば身を引き締めて掛からねばならない。負ければ鼎の軽重を問われる。

「僕達はやる気を失っているのではありませんから、大胆な攻め方にもお応え出来ます。依頼料をもらっているからには働きますから十分に使ってください」

「うむ、相解った」


 その後も意見は頻出し、幾つかに絞られた結果、それぞれで検討する事で解散となった。


   ◇      ◇      ◇


 軍議を終えて執務室に移動するクエンタ。斜め後ろのシャリアから今後の予定を聞きつつ、外周の狭い回廊を進む。従来通り、中央大回廊を堂々と通れば良いのだが、それは危険だと見做されている。

 大きく戦力を失ったラガッシ側が次に考える事といえば、クエンタの排除である。旗頭を取り除く事で敵勢力の瓦解を招く策だ。両脇に扉が続き、暗殺者が潜み易い中央大回廊は敬遠すべきだとの意見が多く有るのだ。


 カランカ高地会戦の前も後もザウバの街門は大きく開け放たれている。それは民に不便を感じさせない為に、女王が極めて強く主張した方針だ。

 門衛が立ち怪しい者には誰何が行われるものの、その程度ではラガッシ側の手勢が入り込むのを防ぐのは困難だろう。それが王宮内まで入ってくるのは難しいと思いたいが、内通者の事がある。とてもではないが油断など出来ない。


 三人ほどが横並びになれば肩を擦り合わせかねないような外周回廊。今は前を冒険者達が固めてくれている。その背中がクエンタにはとても心強く、つい笑みが零れていた。例え彼らの興味の中心が、今陽きょうの夕食の話だったとしても。


「どうするの、今夜。私としては五つ草亭のあの赤山羊煮込みがもう一度食べたいんだけど?」

「きゅうーん、あれ美味しかったですぅ。すっごく煮込んであってほろほろなのに、噛めば噛むほどに味が出てきて堪りませんです。思い出しただけでお腹が鳴っちゃいましたぁ」

「そうしよっか。もう一回食べたら、あの深みを出している秘密が解るかも」

 青年は味の秘密の迫ろうとしているらしい。

「止めてやれよ。商売あがったりだろうが」

「どうせ無理。相手はプロよ、プロ。そんな生易しいものじゃないわ」

からいなぁ」

「まあ挑戦してみなさいな。宿に帰ったらお茶淹れて餡子餅食べましょ」

 話題は間食に移った。

「賛成ですぅ」

「いやだからあれは主食なの。太っちゃうよ」

「大丈夫。今から運動するから。来たわよ」


 外周回廊のガラスが填まっていない窓から複数の男達が踊り込んできた。ここは三階である事から、上階からロープを垂らして降りてきたと解る。次々と現れた完全武装の男達は二十名近くにもなった。


「叛逆者クエンタ! お命頂戴する!」

「何でこの国の連中は、こう感情剥き出しで襲ってくるの? ここに居るから斬ってくださいって言っているようなものよ」

「それは勘弁してあげようよ。理念の違いで争っているんだ。ぶつけ合うのがどうしても感情になるのは仕方ないんじゃない?」

「解らなくも無いわ。私が問いたいのはプロ意識。街の料理屋の主人のほうが高いんじゃないかしら」

 まともに聞いていれば傷付くこと請け合いの会話だが、彼らはそれどころじゃないようだ。皆が剣を手に息巻いている。

「女剣士を押さえろ! 盾の男は放っておけ! 魔法士もこう狭くては何も出来ん!」

 本人にとっては何てこと無い指示だったのだろう。それが眠る竜の目蓋を蹴り付ける台詞だとは気付けない。

「チャムをどうするって?」

「槍遣い! 貴様に何が出来る? この狭い回廊で振り回せる得物ではあるまい!」

 前に出てきたカイに襲撃者の長が吠え掛ける。クエンタは心配げに「カイさん!」と呼び掛けるが、トゥリオはその台詞に噴き出してしまう。


「お前ら、何言ってんだ。そいつは生まれながらの拳士だぜ」

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