クエンタの憐憫

 街角で民衆に囲まれ歓待を受ける女王クエンタ。周囲に親衛隊士が配置されているとは言え、警備の甘さは論外と言える。


 今回の視察は事前通達無しで行われている。その上でそれとなく噂を流す事で、女王を囮に先王の手駒を誘き出す目的をぼかしていた。当初は安全を考慮して替え玉に帽子とベールを被せての偽装案も有ったのだが、それはクエンタ本人が強硬に拒絶した。民と触れ合うまたとない機会を逸するのを、彼女は嫌ったらしい。


 クエンタにとって、街角はそれほど特別な場所ではない。早々に後継になるラガッシが生まれたのを理由に、非常に緩く育てられている。子供の頃の彼女は普通に一人で街中を歩いていた事も少なくなかったのだ。

 そのお陰と言うべきか、クエンタは非常に人気が高かったし、彼女自身も民の生活も心情も身近に理解出来ている。その頃の生活が今の彼女を形作っていると言っても過言ではないだろう。


「すごい人気ですね?」


 人々はクエンタの顔を当然の様に知っていて、口々に声を掛けたり握手を求めたりしてくる。だからと言って詰め寄せて押し合いへし合いになったり、悶着を起こしたりはしない。実に整然と譲り合って、迷惑にならないように配慮し、時に贈り物を手渡したりもしている。

 それは国民の、女王を助け盛り立てようとする意志の表れだろうか? それを示唆する一幕のように思えた。


「わたくしにとって、民は隣家の家族のような馴染み深い人々なのです。こうして触れ合う事も頻繁にとはいかなくなってしまいましたが、その意識は変わりません。皆はそれを汲み取ってくださっているのでしょう」

「とても良い関係ですね」

 ホルツレインのような大国となれば有り得ない状況であるが、小国の光景としては悪くないものだとカイは思う。

「でも弟は……、ラガッシは違いました」

「…………」

 クエンタは辛そうに沈んだ表情を見せる。

「子供の頃から厳しく育てられ、帝王学を詰め込まれて成長していったのです。自国の民と触れ合う事も知らず、彼らの日常も心も知らず、ただメルクトゥーの旗頭として振る舞う事を求められたのです」

「そりゃ、特段変わった事じゃねえと思うぜ。どこでも似たようなもんだ」


 クエンタは(あら?)とばかりに美丈夫を見る。トゥリオと紹介された男は粗野でぞんざいな口の利き方はするものの、随所に洗練された所作を見せる事が多々ある。彼はそれなりの地位に在った者だろうと当たりを付けていたが、大きく間違ってはいなかったようだ。


「ですがそれだけでは玉座に相応しき者にはなれません。まつりごとに務め、民の苦しみや悩みを識り、その生活を識って心に寄り添おうとしなければ国の舵取りなど出来はしないとわたくしは思っています」

「あいつはその基礎部分しか学べなかったって言いたいんだな?」

「はい、まさにこれからという時期に父王は急逝してしまいました。あの子は何も識らないままに玉座に着かねばならなかったのです」

 それは不運と呼ぶならそうであろう。だがそれを上手に盛り立てるのが近臣の務めであるとトゥリオは思う。

「ラガッシは自らの内に有る王の心得のみを頼りに統治しようとしてしまいました。王として国体の維持を大前提とした政治を行おうとしたのです」

「若さだ青さだと笑っちまうのは些か可哀想だな」

「ええ、わたくしはすぐさま諫めようとしたのですけど、弟はわたくしの諫言を野放図に育てられた姉の戯言としか受け取れなかったようでした。非常に怒り、一言の元に切り捨てたのです。それを見て、近臣達は震え上がってしまいました」

 血族だからこそ許されはしたが、それを自分達がやれば即座に更迭されても変ではないと感じたのだろう。

「それがわたくしの過ちです。差し出口などせず、臣達に任せれば良かったのかもしれません。わたくしも若かったのです。まず身近な者の代表として前に出ねばと考えてしまいました」

「それは無理。そんな極端な反応が返ってくるなんて誰にも解らないじゃない?」

「それでも結果はもう変わりません。自らの過ちは認めねばと思っています」

 眉根の皺が彼女の苦悩を表している。


「あの子が不憫でなりません。何も識らぬ内に祭り上げられ、国主の重責を担わされ、ただ自らの信ずるものに邁進してしまった彼を誰が咎め立て出来るでしょう?」

 クエンタの前にスッとチャムが立つ。

「聞いて。貴女が自らの過ちを認めるのも、彼への憐憫の情も解るわ。でも、彼の横っ面を引っ叩いてでも目を覚まさせてやれるのは、貴女一人なんじゃない?」

「!!」

 クエンタは目を瞠ると、胸に手を当て大きく息を吐いた。何かがやっとそこに落ちてきたような気がしたからだ。

「そうですよね? わたくしに今出来るのはそれだけです」

「でしょ?」

 赤毛の美丈夫も青髪の美貌も、そして女王の憂い顔も笑顔に変わった瞬間だった。


「じゃあ、信ずるままに突っ走りがちな僕もいつかチャムに引っ叩かれちゃうんだろうねぇ」

「ぷ」

 獣人少女は噴き出している。

「あれ? 意外と悪くない気がしてきたよ?」

「お・ば・か・さ・ん!」

 黒髪の青年は後ろからチャムに首を掴まれて激しく揺さぶられている。クエンタはそれを見て、声を立てて笑い始める。

「それにはまず、アレ・・を片付けるところから始めようか?」

「そうね」


 路地からパラパラと現れた者達が、道行く人を縫いながら接近してくる。その者達が剣を抜いたのを見て、皆悲鳴を上げて逃げ散っていった。


「護衛は殺してもいいぜ。やっちま……」

「マルチガントレット」

「ごほえっ!」


 両手同時展開のトリガー音声がその耳に届くか否かの間に、地を低く走った黒い疾風が瞬時に迫り、金属球状の石突が鳩尾に突き刺さっている。一瞬で意識を刈り取られた頭らしき男が倒れる前に、長柄の武器が翻って横の男の首筋に刀身の峰が落ちる。

 刹那に二人が昏倒させられたと知った襲撃者の足が止まる。致命的な隙だ。回転しつつ舞い上がった疾風は更に別の男のヘルムに石突を炸裂させ、細剣を突き入れてきた女の腕を搔い潜って腹に掌底を入れる。一人また一人と地に崩れ落ちる様に、襲撃者は陣形を取る事も適わず打ち倒されていく。


 背中を見せる黒髪の戦士に鋭い剣戟を送り込もうとした男は、薙刀の鉤に剣を絡め取られて地面に抑え付けられると、グイと捻られてその柄は手を離れて転がる。跳ね上がった刀身の代わりに落ちてきた石突に太腿を打たれ、嫌な音を立てた太腿を押さえて苦鳴を上げて転げ回る。

 投げナイフを投じて牽制した女が長剣で斬り掛かってきたが、無造作に左手のマルチガントレットで掴み取ると、クルリと回転した薙刀の石突がその顎先を掠め、糸が切れたように頽れた。左手の剣がゴキリという音と共に握り砕かれると、残りの襲撃者は息を飲む。


「ひ、退け!」

「残念ながら逃がしてあげない」

「おいおい、俺の分も残しておいてくれよ、カイ」

「まだ残っている分で我慢してよ」

雷射ライトニングショット!」

 近くの路地に飛び込もうとした襲撃者には、金色の弾丸が突き刺さり痙攣して次々と倒れていく。


 僅かな時間で全ての襲撃者が地に転がっていた。ハッと気付いたように親衛隊士達が走り出て捕縛していく。

(強い。桁外れじゃない)

 目の前で展開した戦闘の全てが見えていた訳ではない。シャリアが気が付くと転がっていた襲撃者のほうが多いのは否めないのだ。

(とてつもない。これほどとは)


 それでいて、誰一人死んでいないのに彼女は驚愕していた。

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