オルク麦
米にうるち米ともち米が有るように、大麦にもうるち麦ともち麦が有る。日本で主食として好まれているのはご存知のようにうるち米。好みにも拠るだろうが、食感や味で優れているとされている。
当然、大麦に於いても炊飯食に用いるならうるち麦のほうが向いている。だが、カイはもち麦を発見して狂喜している。
(お餅も食べられる!!)
その一事だった。
「どしたどした、兄ちゃん? でかい声出して!」
「ご主人ご主人! ご主人のところは契約農家か何かで出荷先を制限されていたりしますか?」
「はあ?」
掴み掛からんばかりの勢いで迫る黒髪の青年に、農夫はドン引きしている。
「ちょっとちょっと落ち着きなさい! そんなに畳み掛けてはご迷惑よ!」
「無理だよ、チャム。僕はもういい加減限界で、ここで何とかしないと泣いちゃいそうなんだ」
服の背中を引かれて首が締まりそうになっていながら、抵抗を止めない。
「だから何を興奮しているって言うのよ? これ、普通の大麦じゃない。東方じゃそこら中で作られているわよ?」
「マ・ジ・で?」
「嘘じゃないから、とにかく落ち着いて話しなさい」
説明するも何も米食文化の申し子であるカイは、とにかく炊飯に耐えうる穀類を渇望している。
「西方には小麦しか無いんだよ」
「ああ、そういえばそうね。あの、パンに使い易い固い小麦しか見なかったわね。美味しいじゃない、丸パン」
「それじゃダメなんだよぅ。小麦は粉に挽くしかないじゃないか? パンやお菓子か、精々麵にしかにしかならないんだよ」
小麦は粒体の結合が緩く、籾から綺麗に実を取り出そうとしても割れたり崩れたりしてしまう。だから製粉・加工して食用に供する。
対して大麦は、先程カイがやって見せたように、籾から実が奇麗に外せる。それはつまり炊飯食が可能だという事を差す。
「散々探したんだ。それこそ血眼になって。なのに西方には自生種にも米や大麦は無かった」
「でも大麦はお酒の材料でしかなくってよ?」
「なんだって!?」
彼は信じられないとばかりに震える足で後退りしつつ、指差してきた。
「どうして? 何で君達はそんなもったいない事を?」
「何でって、煮ても焼いてもそれほど美味しくなかったからじゃないの?」
「いや、もっと工夫しようよ」
「工夫も何もよぅ、兄ちゃん? オルク麦は酒にする以外にゃ大して使い道ねえぞ。スープの具にして柔らかくすりゃ味吸って食えねえ事もねえってくらいだぜ?」
「そうね。後は小麦粉と混ぜてパンに焼けば嵩増しぐらいにはなるかしら。モチモチした食感が好きって人も居るけど」
「まあまあ、ここはカイさんがオルク麦をどうやって食べたいのか聞きませんかぁ?」
話を聞くうちに、カイの顔に怒りの感情が混じってきているのに気付いたフィノが仲裁に走る。
「確かにね。どうしたいの?」
「そりゃ炊くんだよ。そして搗くんだよ」
「炊く? 搗く? これは埒が明かないわね。おじさん、この人にオルク麦を分けてあげてくれない? お金は払うから」
妥協点を探してチャムは実践を選ぶのだった。
◇ ◇ ◇
急ぎの作業の無かった農夫に都合してもらって彼の前には脱穀したラタ麦がある。「買ってくれるんなら構わねえって」と、袋で出してくれたのだ。
袋から手で掬い上げてはサラサラと落とし、へらへらと笑うカイ。(気色悪っ!)と思う一同。
「これってオルク麦って名前なんですよね? ご主人やこの辺りの方で、違う種類の大麦を作ってらっしゃる方は居ますか?」
「この辺じゃオルク麦だけだ。東方にゃ違う種類の大麦も有るって聞いたが、なんか妙な使い方するらしいぜ」
(お酒を造るって事は麦麴を造るって事だよね? もしかして味噌にも出会える目が出てきたな)
青年の中で期待が膨らんでいく。
酒に加工するだけあって、精麦技術もそれほど悪くないように見えた。確かに小川には水車が回っていたし、高台に風車の姿も見える。
綺麗な水を出して精麦を念入りに洗う。あまり力を入れず、小まめに水替えして糠を落とす。農家の竈を借りて、深鍋に洗ったオルク麦を入れ、新しい水を適当な深さにまで注ぐ。簡単な木蓋しかなかったので、石を拾ってきて上に乗せた。
「煮るの? 具は? 味付けは?」
「要らないの。このまま待ちの一手」
「焦げちゃうわよ? 水少なかったし」
「ちょっと焦げたくらいが美味しかったりするから」
正直、チャムは(珍妙な事を言う)と思っている。
煮立つと内圧が上がって木蓋の隙間から湯気が噴き出しているが彼は気にしない。時折り鍋を叩いて音を聞いている。湯気の出方は恐いくらいになっていき、(これは焦げてしまうな)と女性陣は思った。
叩いた音が軽くなったなと思うと、カイは鍋を竈から外して横に置く。
「出来たの?」
「まだ。絶対に覗いちゃダメだからね?」
「何か実験染みてきたわね?」
「でも何やっているのか、さっぱりですぅ」
「今に始まったことじゃねえがよ」
農夫の奥さんも、何が始まったのかと興味を抱いているようだ。主人にも子供は居るらしいが、結婚して独り立ちしたらしい。主人の農地の一部を譲り受けてそこでオルク麦や菜類を育てていると言う。
鍋は放っておいて、竈に網を掛け、肉を焼いていく。菜類も新鮮なまま小切りにしてサラダにしたり、炒めたりする。
「これはつまり、あれはパンの代わりになるという意味よね?」
「そうだよ。僕にとっては主食だから」
普段の調理風景に、パン焼きの過程が無い事で推察は出来たチャムである。
「そろそろ良いかな?」
カイが鍋の木蓋を上げるとモワッと湯気が上がり、独特の香りが周囲に広がっていった。
「案外良い香りがするなぁ。十割麦ご飯だってのに」
「そ、そうかしら?」
「何とも言えない香りがしますですぅ」
チャムとフィノがコソコソと言い合っているが気にしない。皿を取り出すと炊き立てご飯を小山に盛って並べていく。
皿からフォークでひと口取り、口に含む。少し固くてゴワゴワした食感がするが、噛み締める。歯を押し返すほどの弾力が有り、無視して噛むとプチプチと潰れ、ほのかな甘みが口内を支配していく。優しい甘さだ。
「あー、これこれ! 美味い! 堪んない! はぁー、最高っ!」
塩と香辛料だけで焼いた肉を嚙み千切り、麦ご飯と一緒に咀嚼すると、懐かしい感じが身の内から湧き上がり涙が零れそうになってしまう。
「やばい! これは止まらなくなりそう」
お行儀が悪いが、ついご飯を掻き込んで口いっぱいに頬張る。
「ちゅるりー♪」
頭から降りてきていたリドもご飯を頬張り、上機嫌に鳴く。一人と一匹して、肉や野菜にご飯をと忙しい。
「食べてみますですぅ」
仲間内では好奇心は強い方のフィノが先陣を切る。
「ムグムグ。何だか変わった食感ですぅ。ネバネバモチモチして。あれ? 甘いですぅ」
「うん、ご飯もパンと同じで唾液と反応して甘い物に変わるんだよ」
「噛み応えも有って楽しいですねぇ?」
犬口のモグモグが止まらなくなっている。
「私も食べてみようかしら」
「俺もいってみっか」
堪らず二人も参戦してきた。
「……とびきり美味しいって訳じゃないのに、悪くないって感じるから不思議よねぇ」
「ご飯の良いところはそこなんだ。強い癖が無いから毎食食べても絶対に飽きない。逆におかずによって味わいが変わる。主食としての条件は十分に満たしているんだ」
肉と合わせて食べ始めたトゥリオは完全に勢いが増してきている。
「このガツガツいける感じは癖になりそうだな」
「でしょ?」
更に秘密兵器を投入しても良い空気が出来つつあるとカイは実感していた。
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