メルクトゥー内紛

船の上でも

 小雨の降り続いた昨陽きのうから一転して、朝から昼の白焔たいようをキラキラと反射させる穏やかな海を眺めながら彼女は言う。

「ここで一往36日くらい釣りをして過ごさない?」

 青髪の美貌からの言葉に彼は困惑した表情を見せる。


(そんな引退リタイアした初老男性みたいな事言わないで欲しいな)

 黒髪の青年は思った。


 港町カロンに到着した四人は雨で足止めされていたのだが、今陽きょうは出航出来そうだと思って港まで出向いてきたところで、先ほどのチャムの台詞だ。

 この異世界の航行技術は基本的に有視界航行なので視界が妨げられる雨のは出航しない。航行中も雨のは帆を畳んで錨を下し停泊する。

 地球の大航海時代ならそんな悠長な事はしていられなかったであろう。食料の積載量には限界があるのだ。しかし、この世界では違う。『倉庫持ち』の存在が物資の不足を解消し、風魔法士がほとんど風が無いの帆走を保証してくれる。天候以外には、海棲魔獣くらいしかその足を妨げるものは無いのだ。


「そうかぁ、残念だなぁ。チャムは岸から釣れる小物で満足なんだね? 沖に出れば大物がいくらでも居るのになぁ」

「今すぐホリガス行の船を探すのよ! それも出来るだけ沖合を航行する大型船をよ!」


 胸倉を掴まれて激しく揺さぶられつつ、カイは心の中で舌を出していた。


   ◇      ◇      ◇


「うひょ ──── ! きてるわ ── ! ガッツンガッツンきてるわ ── ! きてるわ ── !」


 相当大事な事らしい。

 確かにチャムの握る竿は手元までたわみ、糸の先に在るであろう存在の重量を如実に表している。事実、専用に作ってもらった革手袋を装着する間を除いて彼女が格闘し続けているのだが、その時間はもう三詩18分に及んでいた。

 糸巻きリールの操作と指先の保定で自在に糸の出し入れをしつつ遣り取りを続けているのだが、普通の女性ならとうに限界を迎えているであろうその時間さえチャムの心を鷲掴みにして放さないようだ。


「あんたら、客なんだから甲板で釣りしようが何しようが構わねえんだがよ、美人さん、それ、どうするつもりなんだよ? そんな竿で持ち上げられるような獲物じゃなさそうだぜ?」

「その辺は抜かりは有りませんよ。安心していてください。チャムも心配要らないからそのまま引き寄せてね」

「当然よ! 逃がしはしないわ!」


 彼女のご要望通り、この港町ホリガス行の『海鳥の宿り場号』はかなりの大型船だ。喫水も深く、結構な沖合を航行している。だから大型回遊魚の餌場近くを航路にもしているのだが、逆に言えば甲板から海面までの長さもかなりある。

 チャムの竿の先に居る獲物は、抜き上げられるような重量ではなく、どうやって釣り上げるかこの船員は心配してくれたのだ。しかし、それもカイの十分想定範囲であり、手筈は整えてある様子だ。


 更に二詩12分を掛けたところで海中に銀鱗が煌めく。この辺までくると船員の観客も増えてきていた。


「おいおい、かなりの大物じゃねえか? どうする?」

「待てよ。どっかに銛が無かったか?」

「うげ! メンパルかと思ったらシシカントじゃねえかよ! しかもよく肥えてやがる」

 同じ回遊魚でも大型種らしい。

「そっちの兄ちゃんが何とかするって言ったんだぜ」

「無理だろ? おい、このでっかいあんちゃんなら何とかなるんじゃねえか? 力有りそうだ」

「まあ、見てろって。こいつが何とかするってったら何とかなっちまうんだからよ」


 トゥリオは黒髪の青年を差して言い、皆を納得させようとするが、それはちょっと難しいだろう。皆が何とも言えない表情を返してくる。

 そうこうしている内に、船員がシシカントと呼んだ大型回遊魚が海面に顔を上げた。まだ少しは暴れる余力はあるようだが、こうなれば時間の問題だ。空気を吸わせてやれば鰓はすぼまり、酸素を取り込む効率が下がって魚は急激に力を失っていく。疑似餌ルアーも顎の固い部分にガッチリと掛かっており、最後のひと暴れで捕り逃がす可能性も低そうに見える。


「十分楽しんだかな? そろそろ取り込んでも良い?」

「そうね。さすがに一休みしたくなってきたわ。勝負決めちゃって」

「了解」


 カイは140メック1m68cm程の棒を取り出した。その先には25メック30cmはある、凶悪な鈎針が付いている。しかし、甲板から海面までは300メック3.6m以上はある。長さは足りないように見えた。ところが彼が鈎針を下に向けて突き出すと棒はスルスルと伸び、海面に余裕で届く長さになった。

 これはカイが竿の残り材料で作った針掛け具である。延べ竿になっており、普通は取り回しやすい長さだが、使用時は繰り出せる構造になっているのだ。

 先の鈎針は完全に固定されておらず、重みが掛かれば外れる方式になっている。その代り、鈎針には水王蜘蛛アクアクイーンスパイダーの糸を編んだ極めて頑丈なロープが括られていた。


 糸先の獲物は悪足掻きする元気も無くなったのか、スルスルと舷側に寄ってきた。そこを狙ってパックリ開いた鰓蓋に鈎針を掛ける。鉤の外れた竿をトゥリオに任せると、カイはロープをしっかりと握って暴れる獲物を引き寄せ、船縁に足を掛けると更にグイグイと引き上げていく。


「「「おおおっ!」」」


 船員達は冒険者の身体強化の凄まじさを実感し、感嘆の声を漏らす。200メック2.4mの巨体が引き上げられているのだ。

 頭が手の届く位置までくると、トゥリオと二人で船上に引き込んだ。


「捕った ──── !」

 青髪の美女のらしくない雄叫びが甲板に響く。


 船縁で血抜きをして甲板に転がした魚体を前に、カイは新調した魚切り包丁を取り出した。以前の、自分が食べる分の確保だけでなく、大物狙いもするようになった今は肉切りナイフだけでは追いつかなくなってきた。

 包丁と云うよりは刀に近いその刃物を骨に添わせて入れ、中を覗くと鮮烈な赤が見える。


「見事な赤身だね」

「おう。そいつはシシカントだから赤身だぜ、兄ちゃん」


(メンパルはブリっぽかったけど、シシカントってのはマグロっぽい回遊魚なんだな。いけない、涎が垂れそう)


「美味しくないの?」

「とんでもない。最高さ。好みにも拠るけど」

 一瞬、不安げな様子を見せたチャムだが、高評価に顔を綻ばせる。

「早く早く♪」

「ちょっと待ってね」


 ブロックに切り分け、刺身に仕上げていく。

 冒険者達はもちろん、生食も少なくない船員達にも振る舞う。釣り上げたばかりの活きのいい魚は程良い弾力が有り、心地よい食感を伝えてきてくれた。


「あれの出番だね?」

「本当にあれ使うんですかぁ? フィノ、涙出ちゃったんですけどぉ」


 とある市場で見つけた菜類は、齧るととんでもない辛さを持っているのだがとても抜けが良く、ワサビの代わりになりそうだと思って、結構な量を仕入れてきている。味見したフィノはなぜそんな物を欲しがるのか不審がったが、魚を生で食べる時に有用なんだと説明してあったのだ。

 磨り潰した汁を魚醤に垂らすと、良い香りが漂う。


「んま ── い!」

「なんという絶妙な辛み。生臭さが気にならなくなりますぅ」


 赤身、腹身、頭や頬といった希少部位も楽しみ、アラ煮まで平らげて、まさに骨までしゃぶりつくす。釣り上げられたシシカントも本望だろう。


 目的地に寄港するまで、数多くのシシカントやメンパルが釣り上げられ血抜きだけされて皆の『倉庫』に納まった。当分は魚に困る事は無さそうでカイは満足げ。


 そんな船旅の後に、彼らの目にも中隔地方の南の港町ホリガスの姿が見えてきた。

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