悪手

 掲げられた剣腹に連続で拳が打ち込まれる。かなり頑丈そうな幅広剣だけあって砕けはしないが、安物だったらとうに打ち砕かれていただろう。剣の厚みにアサルトは感謝しつつ、一転して立てた剣筋で斬撃を放つ。連撃は一部が躱され、その他はマルチガントレットで受けられ払われる。

 紙一重の距離で交わされた打ち合いは何合に及ぶかもう数え切れない。彼自身ここまで打ち合った相手など他に居ない。目の前に居る黒髪の青年が英雄と呼ばれるのは道理だと思う。アサルトにもそれだけの矜持が有った。


 試合も長引いてきているのにアサルトの斬撃は衰えていない。細かいフェイントも入れてみるのだが掛かっても来ない。蹴り技を交えてみても対処を間違えない。それどころか剣士だというのに蹴り返される始末。全く見えてこない隙を待つべきか、無理な仕掛けをするべきか迷うところだ。


 カイの知る限り、アサルトは完璧に近い戦士だと思う。自身、身体強化にも魔法にも甘えてきた意識はない。技は磨いてきたつもりだし、新たな試みも折に触れて身に着けてきた。まさかその全てをぶつけても眉一つ動かさず打ち返してくる相手がいるなんて、この異世界も広いものだと思い知らされる。


 そんな戦士を前にして焦りや悔しさを感じもせず胸躍らせているのだから、ニケアの事を非難も出来ない。彼とはどこまで打ち合えるのだろう。現実には、先に体力が尽きるのが自分のほうなのは自明だと思う。その限界まで打ち合ってみたいと心の奥で何かが囁く。だがそれに意味は無い。

 アルバートに、アサルトの強さを見せつければカイの思惑には適うのだ。それ自体は既に達しているかもしれない。ならば、何らかの形でこの試合に決着を付けねばならない。その組み立てをカイは頭の中で模索する。


   ◇      ◇      ◇


 もうかなりの時間を二人は打ち合っているのに、その激突は収まるどころか激しさを増しているかのように見える。実際に二人から漏れ出る闘気はいや増してきているとチャムは感じていた。

 隣で観戦しているマルテを始めとした獣人達の尻尾が三倍近い太さに膨らんでいるのだ。彼らは間違いなくその闘気の圧力に恐怖を感じている。彼女はカイの漏らす巨大な闘気を幾度か経験してきているが、それを初めて経験する彼らにはとてつもなく恐ろしいものに感じてしまうかもしれない。


(まあこれもいい経験かもね)

 そんな風に彼女は思っていた。


   ◇      ◇      ◇


 時折り変則的なモーションの拳が襲い掛かってくる。その対処一つ間違っただけで勝負の天秤は完全に傾いてしまうだろう。集中して払うなり迎撃するなりしていく。

 黒狼の少年が見ている。記憶の限り、最高の弟子だ。らしくもない話だが、彼の前では負けたくないと思ってしまう。無様を晒して幻滅させたくない。つまらない見栄だとは思うがアサルトの純粋な気持ちだった。


 彼は、背中に剣を隠してから斬撃を放つ。初動は遅れるが、動き出しの刃筋を見せなければ軌道を予測し難くなる。それで対処を誤ってくれれば良し。そんな甘い相手ではないが、対処が遅れれば手数を削ることが出来る。その僅かの差が自分に天秤を傾けてくれるよう願いつつの攻撃だ。

 振り出しを下げている分、ストロークも長くなって重さも増している筈。これまで自分の重い斬撃を受け続けてきた彼にも、衝撃によるダメージは蓄積されていると信じて斬り込んでいく。


 右足を滑り込ませて右拳で左の斬撃を弾いたカイの左の拳の溜めが長い。強い一撃が来ると解るが、未だ腰に据えられている。対処に余裕が有ると見たアサルトはその動き出しに限界まで集中する。そして放たれた拳を、左足を引いて躱す。その場で回転すると、カイのガラ空きの背中が見えた。回転する間に持ち替えて順手にした左の剣をその背中に走らせる。彼が取れる手段はしゃがんで躱すか横に転がるかしかない。そこへ追い打ちを掛ける。

 ところが背中に迫る剣に気付いたカイはその場で跳ね上がった。後方宙返りの姿勢に入る。


(勝った!!)

 その瞬間、アサルトはそう思った。


   ◇      ◇      ◇


「あっ!」

 チャムは思わず声を漏らす。


(それは完全に悪手よ!)


 トゥリオや獣人達も驚愕の顔を見せている。

 彼女もカイも不用意に跳び上がらないように、口を酸っぱくして指導している。身体を浮かせてしまえば、着地するまでほとんど何も出来ないからだ。

 手練れ相手には、それは決定的な隙になる。ましてやここまで激戦を繰り広げてきたアサルト相手にカイがそんな事をするのは判断を誤ったとしか思えない。彼はそこまで追い込まれていたのかとチャムは思った。

 この試合は終わりだ。着地点にアサルトが斬撃を送り込むだけで決まる。これは確定だ。

 しかし、それは彼女の目の前で起こった。


 見切られたようにギリギリで躱しているとは言え、カイの身体は浮いている。アサルトは右手の剣を順手に持ち替えながら振り上げる。着地点は見えている。剣を振り下ろして、カイの肩口で寸止めすれば彼も負けを認めるだろう。その心積もりをして握りを調整する。

 背面を通過しつつある左の剣を躱して拳士の両足が跳ね上げる。その瞬間信じられない事が起こった。空中では有り得ないほどカイが急回転し、両足を地に着けたのだ。


 その結果、開いた身体を晒しているアサルトの前に、膝で衝撃を殺しているカイが居る。愕然とした狼頭の顔にニヤリと笑う拳士の顔が向くと、スッと伸び上がってきた銀爪がアサルトの首筋に添えられた。

 空気が凍る。誰もが予想していなかった事態が現出していた。決まったと思った勝負が一瞬にして引っ繰り返っている。


「……俺の負けだ」

 状況を見取ったアサルトは敗北を宣言した。


   ◇      ◇      ◇


 何が起こったのかを見切れた者は少なかっただろう。

 トゥリオは目を瞬かせてしきりに首を捻っているし、獣人達のほとんどが腰を浮かせて前のめりになっている。今更、目を皿にしても何も見えないのだが、状況に頭が追い付いて行っていないのだろうと思われる。アキュアルは呆然として弛緩した身体をかろうじて両手で支えている。

 チャムもギリギリ見取れたし、アサルトは左の剣から伝わる感触で解っただろう。


 カイは後方宙返りをして背面を通過するアサルトの剣に、腰に添えた両手からそれぞれ二本の指だけを突き出し引っ掛けたのだ。

 オリハルコンコートの銀爪は刃先に掛かり、そこを支点に身体は回転する。その速度は、剣を振る速度によって加速され、誰もが予想しえない回転力をもって大地に両足を打ち付ける。後は着地点に狙いを定めて身体を開いているアサルトに対してどんな攻撃でも出来る寸法だ。


(なんて狡賢い人なの)

 これは奇手中の奇手だ。

 カイは正統派の拳技を用いるが、少なからず奇手も用いる。得意と言っては何だが、嫌いで無いのは確かだろう。


(それをこの土壇場でやる?)

 それは違うとチャムは思い直す。あれは意図的にやったのだ。背中に斬り込ませたのも、それを後方宙返りで躱そうとしたのも、彼の計算。盛大な誘いだったのだと今なら解る。アサルトは完全にそれに誘い込まれてしまっただけだ。ちょっと可哀想に思えてきた。


 勝負の終わりは意外に呆気なく訪れた。それでもカイとアサルトは拳を打ち付け合って笑っているのだから、当人達にとっては充実した試合だったのだと思える。


 何せ全力でまともに打ち合える相手など少ない者同士なのだから。

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