レレムの決意

 夜まで公務と家事をこなしつつ頭を整理したレレムは、紡錘形をしたその機器を手にする。手紙に書かれていた操作を行うと、いささかの時間を置いて反応が有った。


【はい、カイです】

「こんばんわ、レレムです」

【良かった。無事に届いたようですね?】


 久々に聞く声に少し心が温かくなる。その言葉に彼の穏やかな笑みが頭に浮かぶ。

 荷物は無事届いた事。それが高価で貴重であるのを懸念する事。そして自分の心を告げる。


「わたし個人は、貴方が望まれるのであればどこにでも行きましょう。返し切れないほどのご恩を少しでも返せるのならば何の躊躇いもありません。ただごう全体の事となれば、そう言う訳にはいかないとご理解いただきたいと思います」

【もちろん。手紙に書いたのは単なる僕の望みであってお願い事以上のものではありません。貴女自身も現在の生活を捨てるのに僅かでも不安が有るならば、拒んでくださったほうが良いと思っています】

「いえ、わたしはカイさんが獣人郷を救ってくださった時から、貴方の望みには必ず応えようと決めていました。その決心は今でも変わりません。貴方がわたし一人では不足だと言わない限りは出向くつもりです」

【……解りました。貴女のお気持ち、とても嬉しいですよ。もし仮にあなた個人がいらっしゃる事となっても、手伝っていただきたい仕事は山ほどあります。ですが基本的には集団での移住が最善だと思っています。話してみていただけますか?】

「はい、明朝、必ず」


 そのはそれで通話を終わり、皆にどう話すか考えつつ眠りについたレレムだった。


   ◇      ◇      ◇


 翌朝、郷民を集めてカイからのお願いと自分の気持ちを告げたレレムに対して意外な反応が返ってきた。


 彼女は時間が必要だと思っていたのだが、シロネコ連は一も二も無く彼女に着いて行くと口を揃えて言う。彼ら曰く「レレム以外の長は考えられない。レレムの行くところに行く」との事だ。そこまで信頼を得られていたのかと、レレムは涙ぐみそうになる。


 ヤマシマネコ連も賛意を示した。彼らもレレムがあの冒険者達を信用して行った郷改革の成果を重視し、郷を率いていく力は彼女こそに有ると言い、同行を申し出る。彼女の判断に従えば一時的に今の生活を捨てたとしても、すぐに取り返せるだろうと考えているようだ。


 キイロオナガネコ連は不服を口にした。既に確立している生活を捨ててまで新天地を求める必要を感じない。今の生活を守るべきなのではないかとの主張だ。


「では、ゴワント。デデンテ郷を貴方にお任せします。善く率いていってください」

 シロネコ連とヤマシマネコ連の意思を十分に確認した後で、レレムはお願いする。

「お前は流れ獣人になるというのか? それは無謀ではないのか?」

「二つの連が私を信じてくださると言うのなら、わたしはカイさんを頼る事とします。その先に希望が有ると信じて」

 ゴワントが言わんとするところも解らない事は無い。獣人の常識としては、ホルツレインは未だに敬遠すべき地だと思える。そこに希望を抱けないのは仕方ないだろう。

「ならば受けよう」

「レレム! 僕は……」

「トリマイ、貴方はゴワントを助けて郷を率いていきなさい。その力はもう十分に有ります。皆で育てたナーフス園の事、お願いしますね?」

「はい、お任せください。必ずやご期待に添いたいと思います」

 レレムの補佐として付き従って長の勉強をしていたトリマイは、将来を嘱望する彼女の思いに従う決意をして頷く。


「この後の取引はトリマイと行ってください。彼は全てを承知しておりますし、不足は無い筈です」

 朝の集会で決定した事をキルティスに告げる。

「そうですか。ホルツレインに行ってしまうのですね? 残念です。貴女は非常に安心出来る取引相手だったのですが」

「我々が抜けたとしてもトリマイはきちんと遣り繰りするでしょうし、ナーフスの出荷量は変わらないと思いますよ」


 ナーフス園の管理はそれほど困難ではないし、世話に人手も掛からない。収穫に力を入れれば出荷量の維持は難しくない。

 ゴワントは今朝の話し合いで、デデンテ郷が現有する財産を人頭割りすると申し出てくれた。それだけでも結構な額になるのだが、昨夜の通話で聞いた反転リングを作動させると中には驚くほどの額の硬貨が入っていたのだ。彼女が、自分が拒んだらどうするつもりだったのかと尋ねるとカイは軽く「差し上げます」と言ってきた。そういうところが彼の困ったところだと思う。

 ともあれ路銀には困らない。長旅に必要な物資をキルティスに大量にお願いしなければならない。旅に不慣れなレレムは彼に相談しながらその割り出しを急ぐ。


   ◇      ◇      ◇


【話は纏まりましたか。それは良かったです】

 結果報告をするレレムからの発信を受けたカイは当然であるかのように言う。

【レレム、貴女は少々自分を低く評価していらっしゃいますよ。強い狩人が長になる習慣なのかもしれませんが、郷の切り盛りが上手かどうかは別の問題ですし、それは皆も見ているものです。貴女は自分が思っているよりずっと信頼されていますよ】

「それはつくづく実感しています。わたしは幸せ者ですね。愛する人は早くに失ってしまいましたが、皆に愛され、貴方との良い出会いにも恵まれました。これ以上を望むのは贅沢なのかもしれません」

【ダメですよ。貴女にはもっと幸せになっていただきます。僕が欲しているのはそのお零れなんです】

「そうですね。わたしが幸せを望まなければ、皆を幸せにする事など出来ませんね。もっと我儘になりましょう」

 冗談半分、本心半分でらしくもない事を言う。


【つきましては、もう一つお願いが有るんですけど……】


   ◇      ◇      ◇


 謁見の間は言葉も無く静まり返っている。居並ぶ近臣の中には呆けた顔を晒している者も少なくない。こいつは何を言い出したのかという思いなのだろう。苦笑いを浮かべているのはグラウドとガラテアくらいだ。ニケアが微笑んでいるのは普段通りなので誰も気にしない。そう装っているのが、この時ばかりは功を奏している。本心が隠せるのだ。


「う、うむ。しかるにそなたはその者らに与える土地を望むと言うのだな?」

「招いておいて、あなた方に行き場所が有りませんとは言えないでしょう? 僕の勝手なので下さいとは言いません。売ってください」

 だからと言って、それじゃあ仕方ないとはいかない。

「望めば領地も与えると言うたと思うが」

「お言葉は有難いのですが、いかんせんそれに漏れなく付いてくる爵位というのが、僕にはどうにも厄介で」

 なので土地を買い込んでルドウ基金の管理地にしたいと言っているのだ。

「ならばこうせよ。その獣人郷の者達を移民として王国で受け入れよう。どこに住むかはその者らの自由だ」

「それは無理です。こちらから望んで来てもらっておいて、地税まで取り上げるのはずいぶんな待遇です。あくまでルドウ基金の職員として働いていただかねば、税の肩代わりの名目も立ちません」

「…………」

「直轄地とは言えどうせ誰も住めない土地。損はしないではありませんか?」


 それに関しては調べてあった。誰も領民が居ない地を名目上の領地として、騎士爵などに下賜している可能性も有るからだ。さすがにそこを売れとは言えない。

 だがそこに民地が出来るとなると話が変わってくる。王国の制御出来ない土地が王国の目の届かない場所に生まれるのが問題だ。その前例を作ってはならない。あそこは良いのにこちらは駄目なのかと言われれば認めざるを得なくなる。それが乱立すれば、どこが犯罪の温床に化けてしまうか解らない。


 悩ましげなアルバートにスススとグラウドが近付いてきて耳打ちする。

「これはもう動きませんぞ。押し切るなり引くなり御決断を」

 期待した彼の耳に意味の無い言葉が囁かれた。

「献策せんか!」


 隣から、噴き出すのを堪えるニケアが、奥歯を噛みしめるギリリという音が微かに聞こえてきた。

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