沐浴


 縦断主幹街道に戻った一行は、一路北に向かう。当然だが都市や宿場町はほとんどが街道沿いにあり、宿を取りつつ都市の視察を進めていく。各都市とも復興は順調に進んでいる。むしろロアジンから離れるほど荒廃の具合は軽いように見受けられた。

 それはおそらく中央の目の届かない地方ほど各地の領主貴族が自領の損耗を抑えつつも、限界まで産品を吐き出しているかのように装っていた所為だろう。当たり前だ。誰だって自分の収入減を痛めつけたりしたくはない。


 各地に派遣している代官は住民の意見に耳を傾けつつ復興に全力を傾けている様子が窺えた。この調子であれば、今は免除している租税も二輪後にねんごくらいには通常水準まで段階的に引き上げていっても問題無いと思える。


 途中、ベイスンの居た鉱山街ツルミエットの視察も有ったのだが、ここだけは四人は遠慮して近辺で待機していた。何しろ強制労働者の脱出の為とは云え、物資を勝手に取り上げて持って行ったのだ。命からがら逃げ出して近傍の街に避難し、やっと戻ってきた住民も居よう。

 顔が知れている彼らがずかずかと立ち入り、無駄に刺激する必要など欠片も無い。せっかく復興援助に出し惜しんでいないホルツレイン王国の努力を汲んで、各都市の住民感情は良好だと言うのに。


 北に行くほどに平均気温は上がっていく。それと共に宿場町の間隔は広まっていき、反比例して人口密度は下がっていく。暑いだけで取れ高に支障が無いなら問題無いが、暑熱で耕作作業に苦難する中、魔獣の出現率まで上がるとあっては、地下資源でもない限りは住環境として不適の烙印を押すしかない。

 最北端の都市までの視察が必要なのかと問われれば特に必要無いのかもしれないが、そこまでの行程が見えてきた今、クラインは意地を貫き通す心持ちだった。


 しかし、そこで問題が出てくるのが女性陣である。馬車の中に有っても汗とは無縁でいられず、宿場町まで辿り着けないも増えてくれば彼女らの不満は募っていく。貴人であればそう忍耐は利かない。


   ◇      ◇      ◇


「よろしくね、カイ」

「一番に音を上げたのは姉ぇだったかぁ」


 確かにカイに弱音を吐いたのはエレノアであるが、これは意識して聞かせる為の遣り取りである。彼女自身は意外と忍耐強く、若い頃からそれほど身だしなみに頓着はしない。

 王宮に在っては貴人女性の代表として無頓着ではいられないが、人目の無い旅先では気にする必要はない。だが一行の中で最も地位の高い彼女が我慢しているように見えては、他の女性が不平を漏らす訳にはいかない。エレノアは彼女らの様子を窺って意図的に不平を言い、カイに解消を依頼したのである。


「はいはい、水場を探してきますよ」


 カイはマルチガントレットを装着すると、広域サーチで当たりを付ける。筋状に反応が有ればそれは河川である可能性は高いし、広く集中していれば湖沼である可能性がある。生命に乏しい湧き水の泉だと見落としがちになるが、北部近傍であれば最も望みが高いのは河川なので構わないだろう。北部の大河の上流がこの辺りで見られる筈なのだ。

 案の定、筋状の反応がカイの頭に浮かび上がる。魚の反応を捉えているのだろう。


「確認して来るね」

 単騎離れた彼は出掛けていった。


 それほど時間を掛けず戻って来て良い返事を伝える。それでも道々の危険そうな魔獣は排除しているのだから手早いものだ。

 一行は街道を外れてカイの示した方向に進むと割と幅の広い河川が横たわっているのが見えてきた。お誂え向きに、河岸には目隠しになるちょっとした木立も点在している。その一つを選んで手前まで進み、馬車は停止した。


「じゃ、いつものよろしく」

 チャムがそう言えば例によって見張り番のお役目の任命だ。度重なればカイの聞き分けも良い。いや、諦めが良いと言うべきか。


「あら、フィノ。本当に立派ねぇ」

「生は迫力あるでしょう?」

「わたくしだって将来は……」

「ちりっちゅちー」

「止めてくださいぃー」


 漏れ聞こえてくるキャッキャウフフな声にも心が動かないと言えば嘘になるが、忍耐力は強化されている。習慣的にマルチガントレットを装着すると再び広域サーチを掛けた。この時、周囲の警戒を兼ねてはいるが注視しているのは地下だ。見張り中は発掘時間でもある。


(ミスリルは平均的。その他も普通だけど、希少金属は豊富なほうか。拾い集めよう。オリハルコンは相変わらず反応無し)


 奇妙な事にどこに行ってもオリハルコンの鉱脈には出会えない。無論産出量が微少だから極めて高価なのだが、それにしては鉱山の産出記録と市井での流通量が釣り合わない。明らかに裏の流通路の存在を示唆している。しかし大規模になる採掘施設を隠し通すのは困難だ。そこがどうにも不可思議である。カイの予想では、どこかにオリハルコンの大鉱脈が存在する筈なのだ。

 少なくともそれはここではないので大人しく希少金属を拾って回る。水が跳ねる音や「冷たくて気持ちいい」という声が妄想を掻き立てるが、必死に頭から閉め出す。


(これはクロムか。割と纏まった量)


 河岸との距離感を保ってはいるが少し近い。サーチに反応が無いのを確認して、間違いが無いよう背を向けて意識を地中深くに向ける。クロムの含まれる鉱石を掴んだら、下から押し上げる感覚で持ち上げる。


「お?」

 鉱石も持ち上がっているが、自分の身体も持ち上がっている感触。そのままズルズルと引っ張られている。

(マズい!)

 そっちは河岸だ。

「きゃっ!」「やっ!」「あらぁ」

 異口同音の悲鳴が耳を衝く。

「イエローさん、イエローさん、ご勘弁を。僕はまだ死にたくありません」

 後ろ襟を咥えて引き摺っているのは彼女だ。こういう悪戯をするのは、一緒に洗ってもらっている筈のイエローしか居ない。

「死因は鼻血による失血死という汚点を歴史に刻みたくないんです」

 手で目を覆い、見ていないのをアピール。

「何でマルチガントレット装備な訳?」

「いえ、ちょっと採掘中で……」

 チャムの声が少々冷たい。だがカイの発掘風景を知っている彼女は「ふぅ」と息を吐き、仕方ないと言わんばかり。

「不可抗力は認めるわ。速やかに退場」

「いやそれがどうにも……。方向は大体想像は付いても立木の位置までは把握していなくて……」

「仕方ないわね。手を引いてあげるから」

「にゃっ! チャムさん、せめて何か羽織っては!」

「面倒臭いから良いわ。放り出して来るだけよ」


 見えていない状況にカイはゴクリと唾を飲む。マルチガントレットを格納する事さえ出来ない。空いた隙間から見えてはいけないものが見えてしまう。肘を取られて林のほうだと思われる方向に引っ張られていく。


「あっ!」


 重なった不運は下生えに隠されていた木の根の出っ張りだ。足を取られたチャムがバランスを崩し、そのままカイの肘を引っ張る。反射的に彼は転びそうになるチャムを庇おうとする。

 平静ならその程度の事でチャムも転びはしない。しかし全裸でカイの手を引いているという意識がどこかうわの空にさせていたのだろう。

 咄嗟にカイは手を放してチャムを抱き留め、自分が下になるようクルリと反転する。結果、彼がクッションとなり地面との衝撃は免れるが、違う衝撃が待っていた。

 全裸でカイを押し倒す格好となったチャム。


「つっ!」

「怪我は無いかな? 大丈夫?」

 カイも平静では無く、無意識に彼女の身体を観察する。あくまで怪我の確認だ。

「いっ!」

「…ふぅ。これも不可抗力だと認めるわ」

 すぐさまギュッと目を閉じたカイの上で身を起こす。

「しっかり見たわね? 見ていないとは言わせないわよ?」

「はい、見えました。どうか裁きは後ほど。僕はもう限界です」

 チャムの柔らかい身体の感触に、カイは首筋まで真っ赤になっている。

「せっかくなんだからその記憶、大事になさい。ご褒美よ」

「いいの?」

 それはチャムの照れ隠しでもある。

「その価値が有るとあなたが思う限りはね」

「そりゃもうすっごく大事にする」

「ばか…」


 その夜の野営には、炎にいつもより赤く照らされる二人の姿が有った。

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