カイの言い訳

 今更語るまでも無いが、彼が突飛な行動を見せる事は少なくない。だが、その時はそれなりに周囲に目配りをしているものだ。これほどうわの空になるのは珍しいように思える。


「どうしたの? ボーっとして」

 一方を見て他に注意の出来ていないカイを見てチャムは優しげに問い掛けた。彼女にしてみれば、こういう風に人間らしさを覗かせる彼を微笑ましく思えるのだ。

「うん、ちょっと。なんというか内心の葛藤に苦しめられてる、かな?」

「悩み事なの? 私じゃあまり役に立たないかもしれないけど、話せるなら聞くわ」

 カイがそれほど大袈裟に言うなら難しい問題なのかと思い、遠慮気味に訊いてみる。

「チャムの許しが貰えるなら僕も少しは自信が持てるんだけど」

 そう言って彼が指差した先を見る。そこには『牛』が群れていた。


 今陽きょうはフリギア王国をお忍び訪問した翌々。主幹街道を外れて国境沿いに西進していた一行は、北東寄りに進路を変えて縦断主幹街道に戻るべく、道無き草原を踏破中であった。


 同行していたフリギアのセネル鳥せねるちょう御者キーゼには昨陽きのう、クラインが臨時に発行した通行許可証と身分証明書、運搬委任状、城門通行許可証など必要書類全てを持たせて、ホルムトに向けて送り出していた。

 受け取ったキーゼは五十羽の通常セネルを連れて東に向けて駆けていった。こういう時、セネル鳥は楽である。群れの頭首リーダーを設定すれば必ず着いていく性質を持っている。通常セネル達はキーゼの駆る属性セネルを頭首と認めて集団を乱す事無く東を目指していった。


 カリクを始めとした五羽の属性セネル達は、カイの勧めで一行に随行している。それを言い始めた時は一斉に集まって来て彼に頭を擦り付けるという出来事があった。よほど一緒に来たかったらしいと見える。

 セイナも彼らと馴染みたいと思い、好都合だと思っている。現実問題、セネル鳥の性質上、彼らの信頼を得られれば通常セネルを含めた群れを掌握出来ると思っても良いだろう。今後のお願い事を彼らに協力してもらおうと思えば、必須過程かもしれない。


「牛がどうしたの?」

 チャムの目は少し冷めてきている。

 ここは街道を外れた草原なのだ。魔獣の姿もちらほらと見られるし、それに数倍する野生動物の姿が当然の様に視界に在る。牛や鹿、羊の群れなど珍しくもない。正直、それがどうした、というところである。

「食べたい……」

「え、なあに?」

 呟くようにポツリと言うカイの台詞は近くに居るチャムにかろうじて聞こえるようなものだった。

「いやだって普段から人に仇なす獣だからこそ狩るとか公言してるしさ、ただ食べたいからって狩っちゃいけないって思うんだけど、この何と言うか身の内から湧き上がって来るような牛を食べたいっていう衝動が抑えきれなくなっても来ても、彼らは決して人に被害は与えていない訳で、狩っちゃいけないって事は食べられない訳だからこうモヤモヤとするものをどこに持って行けばいいのか困っているん……」

「狩れば?」

 言い訳するように捲し立てるカイに苦笑いしつつチャムは結論をズバリと言ってしまう。

「別に命を粗末にする訳じゃないでしょ? あなたなら全部無駄にする事無くきちんと糧にするのだから問題無いと思うわよ。所詮、人間だって命の輪からは逃れられない生き物なんだから」

「い、良いのかな? じゃあ一頭だけ」

 そう言うと彼は周囲を見回して人数を確認する。

「……申し訳無いけど三頭だけ」

「キュルルルルルゥ」

「ちゅるちゅい?」

「……ごめん、大切に食べるから十頭だけ」


 自己主張に負けたカイだった。


   ◇      ◇      ◇


 味に勝るとは云え将来の有る子牛は狩らない。群れを維持するのに必要な牝牛も狩らない。必然、積極的に抵抗してくる雄牛を狩る。味で劣るがそのくらいの配慮を重ねなければカイは自分に言い訳が利かない。


「三百頭くらいは居る群れよ。十頭の雄牛を狩ったくらい、すぐに元通り。雄牛なんて一頭居れば何頭もの牝牛に子牛を産ませられるんだから」

「なんか存在意義レゾンデートルを問われているような気分になってるのは俺だけか?」

 男性陣は軒並みげんなりしているところを見ると、それはトゥリオだけの感想ではないらしい。


 ともあれ十頭の雄牛が彼らの手に掛かって、ざっくりと解体されるとカイの『倉庫』に納まった。


 拾ってきた石で二桁近い竈が形作られ金網が掛けられた。火の熾された網の上では牛肉がジュージューと良い音を立て、皆が舌鼓を打っている。

 だが一つの竈の側では少し違う光景も展開されていた。背や腹の脂の乗った部位をチャムやフィノが手早く切り分けて金網に乗せているのは普通だ。それにトゥリオと姉弟が群がり、王太子夫妻もフランに取り分けてもらい口に運んでいる。

 カイはセネル鳥達に一通り切り分けてやった後は、様々な部位を取り出してはこね回していた。彼は料理も出来るようになったし味にも拘るが、肉の部位にまで詳しい訳ではない。食べた時の記憶を頼りに、肉質を確認しているのだ。


(意外と少ないな)

 カイが求める部位は前足の付け根やお尻の上のほうに一部分だけ認められた。その部位の塊を薄く削いで皿に切り出す。


「また何かやってやがんな。俺達にも食わせろよ」

「見つかっちゃったかぁ。思ったよりちょっとしか無かったからこっそり食べようかと思ったのに」

 それは冗談である。あまりこそこそとはしていない。

 切り出した薄切りに魚醤を軽く垂らす。それだけで彼はフォークを突き立てて口に運ぶ。

「ん。悪くない。これだね」

「久しぶりだな。そのパターン」

「魔獣肉だと火を通さない冒険はし辛いけど、野生動物なら寄生虫だけ気にすればいいだけだし」


 魔獣の肉には残留魔力があるので火を通して魔力を抜かないで取り込むと、人間の物とは質の異なる魔力で魔力酔いを起こす可能性が高い。酩酊や狂乱を起こす魔力酔いは避けたいものだ。

 魔獣があたり構わず人を襲うのも、他の魔獣を食料とした魔力酔いが要因ではないかとの一説がある。しかし、他の魔獣を食料とする魔獣にも魔力酔いの症状が出ない種も存在する。風鼬ウインドフェレットやセネル鳥もそうだ。それらの種が免疫があるのか、人間だけが起こす症状なのか解らないこの説は、不確かな説と扱われて定説とは成り得ないでいるのだ。


「きたなー、美味ぇじゃねえか、これも」

「赤身ってスープの具くらいかと思ってたけど、こんなに柔らかい所も有るのね」

「深い味ですぅ。噛めば噛むほど出てくるというか」

 彼らにはもう生食に関する忌避感は無い。完全にカイに感化されている。だが慣れていない王太子一家は完全に及び腰だ。

「大丈夫なのか、それは?」

「無理するほどではないわよ。本当に趣味の世界だから」

 確かに無理せずとも肉は肉だ。だが、こう言われると興味をそそられるのも事実。

「待て。私が行く」

 カイに信頼を置く姉弟のフォークは既に動きつつあったが、家長の威厳を示すべく前に出る。

「お、おお、美味いぞ」

 この反応でセイナとゼインを止められる者は居なくなった。


「フィノ、ここに固定継続の高熱小火球を作れる?」

「ふぁい!」

 モグモグしつつ答えたフィノに火球を作ってもらうと、霜降りの肉を切り分け表面をジュッと焙るだけで姉弟の皿に置く。

「慣れない普通の人にはこっちのほうが向いてるよ」

「美味しー!」

「お肉が甘いですわぁ」

 二人を感動に打ち震わせる。一家は次々に手を伸ばしていく。


(恐るべし。生食文化!)


 トゥリオは文化侵食の脅威を感じるのだった。

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