アトラシアの弾劾
治癒魔法士がクスガンの容態を確認している。息は有るようだが予断は許さないだろう。速やかに運び出されていった。
この頃になって観衆はやっと歓声を上げているが、少々遠慮がちだ。戦いの異様な雰囲気や結末の歯切れの悪さに飲まれているのだと思える。
戻ってきたカイに王孫姉弟が抱き付いていく。ゼインは彼の服に涙の染みを付けていた。
「カイ」
チャムは彼の頬に残る血の跡に指を這わせて拭き取る。その指先は僅かな震えを伝えてきた。彼女は明らかに動揺している。
「あれは……、その……。私も信じられないの。有り得ない……、有ってはいけない……」
カイは彼女の唇に指を当て、それ以上の言葉を許さない。軽く首を振って必要無いという意思を伝える。その続きを口にすれば、訊かずには済まなくなってしまいそうだったから。
チャムの悲痛な顔を見ると怒りが顔をもたげてくる。
(つまらない仕掛けをするなら、こちらも考えさせてもらいますよ?)
天をねめつけてカイは強く思い浮かべる。
まるで心をも読める存在に見せつけるかのように。
◇ ◇ ◇
この騒動の顛末は王宮でも大きな問題になった。
「フォルディート大司教殿。貴殿は王国に騒乱を持ち込んだだけではなく、叛乱の容疑も掛けられている。貴殿の召喚したアトラシアの騎士はゼイン王孫殿下に剣を向けたばかりか、名誉騎士ルドウとの決闘に於いて異常な戦闘能力を示し、違法な薬物使用の疑いもある。申し開きが有れば聞こう」
一命は取り留めたものの未だ臥せっているクスガンを除いた渦中の人物が集まる王の間。議事進行の役目を賜った法務大臣ウィルギス・バーンフット侯爵はアトラシア教会大司教弾劾の声を上げる。
「お待ちあれ、法務卿閣下。騒乱に関してはそう意図して行ったものでなく、方々に我が主張を申し上げたまでの事。それ以外に関しては全くの冤罪でございますぞ」
「では貴殿はゼイン殿下が虚言を弄しているとおっしゃるか?」
その発言には重臣の列から次々と非難の声が飛ぶ。やはり大司教の叛意を問うべきだとの声もある。
「そうではございません。騎士クスガンはホルツレインに到着したばかりで殿下の御尊顔を拝する機会も得られず、知らぬままにその行動に及んだまで。存じ上げておればそのような不敬など考えもしなかった筈であろうかと」
「ほう、では貴殿の騎士は相手が身分無き者であれば王宮内に於いても剣を抜く程度の倫理観しか持ち得ぬという意味であるな」
「その認識に齟齬が有るのです。クスガンが剣を抜こうとした対象はそちらのルドウ殿の連れ歩く魔獣に対しての事。彼は教義に従い人類の敵を排しようとしたまで。決して人身に害意を抱いていた訳ではありませぬぞ」
彼は慎重に言を進める。クスガンの事を「教会の」「自分が招いた」などの表現を避けて責任の所在を明確にしないよう配慮している。
法務卿がカイに視線を送り、フォルディートの主張に対しての反論を確認してくる。だが彼はこの魔獣論争を再燃させるつもりは無かった。どれだけ議論しようと両者の道は交わらないと思っている。
「では次に違法薬物使用疑惑についての弁明を述べよ」
「それこそ全く覚えがござらぬ。指示もしておらねば、そのような薬物の存在さえ私は存じ上げない」
フォルディートの表情は硬い。この件に関しては追及される事さえ業腹だと感じているようだ。
「おそらくそれは本当だと思われます」
意外な所から援護の声が上がる。
「対戦中に薬物を使用するような素振りは見られませんでした。そもそもそのような準備が有れば、もっと早い段階からの使用に踏み切っていたと思います」
「当事者の証言であれば信憑性は高いであろうな」
「僕の予想では、あれは特殊魔法の類ではないかと。肉体の損傷が限度を超えた時に自動起動する魔法か、或いは使用後の反動を度外視して起動に踏み切ったかどちらかだと考えます」
これはカイの虚言。チャムが感じたように、彼も外的要因による変化だと感じ取っている。しかしそれに言及する訳にはいかないので、誰もが納得出来そうなそれらしい理由を提示して見せたのだった。
「騎士ルドウは人体を加速させるような魔法を使用したと言われるか?」
「僕が試合中に使った『
「しかし貴殿の身体には問題が出ていないようだが?」
当然の疑問が上がる
「身体に支障を来すようでは諸刃の剣であり、実用には耐えません。僕は魔法使用下の鍛錬で身体を慣らせてあるのです」
「なるほど。真相究明には本人の聴取しか無いようであるな。これ以上の追及は不毛でありましょうな。いかがでしょう、陛下?」
「うむ、そなたの判断、間違いないと余も思う。進めよ」
一度玉座に問い掛けたウィルギスは国王の許可を貰い、裁定に移るべく一同を見回す。
「では裁定に移る。フォルディート大司教は並びに騎士クスガン・アルカントはその罪科の責を問い国外追放とする」
フォルディートは苦渋の表情を見せ項垂れる。予想されていたものとは言え、実際に宣告されれば堪えたものと見える。
「アトラシア教会本部は退去の後に打ち壊しとする」
「そこまでもか!」
驚愕する大司教の発言を目で制してウィルギスは続ける。
「国内のアトラシア教会のほとんどの明け渡しを請求。当面の布教を禁じ、活動の自粛を要求する」
「終わりだ。帰還しても居場所などあるまい……」
頽れた彼は顔を覆って呻く。
「待って! あの、待ってください……」
甲高い少年の声が制定を遮る。
「廊下で遊んでいた僕の責任もあるから……、その、あまり……」
「ゼイン殿下、これは罪に対する裁きなのであります。王国の権威を軽視させてはなりません」
「法務卿殿、僕にもリドの監督責任があるのです。こちらの非も有る事。一つ、彼の言葉も聞いてくださいませんか?」
「ルドウ殿がそこまでおっしゃるのであれば」
法務卿も、王家の守護に働き、事態を収拾した功労者の言を無下には出来ない。
ゼインの背後に膝を突いて視線を合わせ促すように頷いて見せたカイに、彼は力を得たように話し始める。
「お互いの誤解で起こってしまった騒ぎなんです。そんなに重い罰は要らないと思います」
次第にゼインの瞳には強い意志の輝きが見え始めた。
「ホルムト市民にもまだ多くのアトラシア教信者が居ると思います。その人達を悲しませたり、不利益が起こるのは僕は嫌です。だからお願いです。せめて教会はそのままにしてあげて下さい」
「殿下……」
大司教はゼインの慈悲心に感謝し、首を垂れる。
「良かろう」
アルバートは立ち上がって王錫を振って宣する。
「ゼインに免じ、本部の打ち壊し及び教会の明け渡し、布教の禁止は取り消す。今後も国内での活動も許可する。ただし、本部の地税は本
「ありがとうございます、お爺様……! じゃなかった、陛下」
「構わぬ。そなたの民を思う心に余の心も動かされた」
アルバートは孫を慈しむ目で伝えた。
「感謝いたします、陛下」
カイは国王に一礼すると、ゼインの頭を撫で回し「偉かったね」と褒める。
「兄様のお陰で勇気が出ました」
「いいや、全部君が成し遂げたんだよ。誇っていい」
「はい!」
立ち上がってゼインの両肩に手を置いたカイはアルバートに向いて笑みを崩さず語り掛ける。
「ついでと言っては何ですが、一つお願いがあります、陛下。ゼインを僕に預けてくれませんか? 新領を巡って来ようかと思っているのです」
とんでもない事を言い出した英雄に、アルバートも目を瞠るのだった。
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