魔闘拳士の提案
「待て! いやいや待て、カイ!」
あまりに動揺したアルバートはそこが公式の場である事を一瞬忘れている。
「あー、ごほん。我が名誉騎士よ。そなたは何を言い出すのだ。そのような事は容易には決められぬぞ」
「解っています。ですから僕からのお願いに過ぎません」
「まずは何故にそう思うたのか説明せよ。単なる思い付きとは言うまい?」
時々突飛な事を言い出す英雄にはいつも驚かされるが、今回はとびきりの事案である。当のゼインさえ目を丸くして背後を見上げ、呆けた様子を見せている。
「もちろん以前から考えていた事です。時折り彼の見せる物を見る目人を見る目には感銘を受けてきました。陛下の血の素晴らしさを実感させていただいてますよ」
珍しくリップサービスをする彼に国王は何とも言えぬ表情をする。乗せられて堪るものかと構えているのだろう。
「だからこそ民と深く接する機会を持つ事が彼の将来に大きく影響すると思えました。その機会をいただきたくお願い申し上げています」
「しかし彼の地は未だ火種が燻る危険地帯。ホルツレインの将来を担う者を連れ歩くには不向きであろう?」
「確かに事実上の占領から
不安気な表情に変わりつつある王孫の頭を優しく撫で、安心させるように続ける。
「彼の身の安全は僕が保証します。僕と仲間達が全力を以って守りたいと考えています。どうかな?」
振り返って問い掛けるカイに、チャムとフィノは微笑んで頷き、トゥリオは親指を立ててニヤリと笑う。
「ご一考いただけませんでしょうか?」
「う……む、そなたの考えは理解出来た。しかし事が事ゆえ、この場に於いて余一人で決断する事は適わぬ。会議で臣の忌憚なき意見を聞いて判断をしよう」
「カイ兄様!」
一応の決着を見せようとしたところで異論を唱える声が上がる。
「なぜゼインだけなのですか? わたくしも連れて行ってくださいまし!」
「陛下の仰せの通り、向こうはまだ危険も多い。散策には不向きな土地なんだよ?」
「足手纏いなのは重々承知しております。それでも学べる事が多いのではありませんか?」
「正直に言おう。僕は君にはそこまで必要無いと思っている。ゼインと違って君は将来その双肩にこの国を担う訳じゃないんだ」
口先の誤魔化しでは彼女を説得できないと思ったカイは理由を語り始める。
「新領の領民にとって君達は元敵国の支配者の家系なんだよ。人それぞれだとは思うけど、恨みを抱いている者もきっと少なくはない。口汚く罵られる事も多分有るんだ。ましてや僕はもしかしたら親兄弟の仇である可能性もある。いきなり襲われたとしても変じゃない。そんな現実は、優しい君を深く深く傷付けてしまうかもしれない。それが予想出来るから、君も連れていこうとは思わなかったんだ。ゼインには一つの経験になっても、セイナ、君には毒にしかならないかもしれないから」
「…………」
「解って、セイナ」
猫撫で声も彼女の心には響かないか。
「わたくしは期待されていないのですね? ホルツレインの将来にも、カイ兄様にも」
「それは違うよ。君には君の役割がある。その為に必要なものと不用なものがあるんだ」
「待ってくれ、カイ」
それまで静観していたクラインは沈痛なセイナの顔を見ていられず割り込んでくる。
「まだ何も決まっていないのだ。この事は御前会議に掛けて、国の頭脳が皆で協議し結論を出す。ここで結論を出す必要は無い」
「そうですね。ゼインの事に関しても相当難しいと思っています。陛下がお心を定められてからにすべきでしょうね」
四人の事ならすぐに決められる。だがそこにゼインまで絡むとなると一筋縄ではない。アルバートもまだ判断に至るほど整理は出来ていない筈では、彼に出来るのは待つ事のみであろう。
◇ ◇ ◇
当然のことながら御前会議は紛糾している。
魔闘拳士の語った理由に関しては一考の余地はある。だがそれはあまりに冒険が過ぎて否定の材料のほうが多いのも事実。実際に現状で多数決を取ればすぐに否決されてしまうだろう。
それでもこれまで魔闘拳士が王国に与えてきた利益の事を考慮すれば、彼の発言を一言の下に却下出来る者が少ないのも事実なのだ。だからこそ
「あまりに危険過ぎると考えまする。ゼイン殿下の玉体に万が一の事が有れば王国の受ける損失は計り知れない」
「お身体の事だけではありません。魔闘拳士も指摘していたではありませんか? ゼイン殿下が心に傷を負われて政務を厭われる様になったらどうなされるのです?
「しかし、殿下の視察が現実になった場合、現地で学び取れるものが多いのも確かと言えましょう。陛下の、民に添う施政方針を継承されるべき殿下の事を考えますれば、今この時期を逃すのは惜しいと思えます。護衛に十分配慮した上で実施する価値は有るのではありませんか?」
意見は紛糾する。
「ではもしもの時は貴殿が責任を取られるのですな?」
「そこまでは申しておりませんぞ。ただ利点は多いと……」
「一つ宜しいか?」
それまで沈黙を保っていたグラウドが挙手する。国王の懐刀と言える重鎮がどう判断したのか、皆が息を飲んで静聴する姿勢だ。
「私が後見する者でありますが、カイ・ルドウという人間は厳しい環境こそ人を成長させると信じ込んでいる節があるのです。実際にはそうではないでしょう? 失敗に失敗を重ねてこそ大成する者も居る。ですが厳し過ぎる環境は失敗を許さない。成長出来る環境も十人十色です」
カイの意見に賛同するであろうと誰もが考えていた政務卿が批判する側に回ったのは、その場の皆にとってあまりに予想外で驚きを隠せなかった。ただ座して続きを待つしかない。
「あれとて生まれつき強かった訳ではないのです。師と呼ぶ者と組みあい、鍛錬の
グラウドの語るカイの過去を聞くにつけ、出席者のほとんどが文官であれば想像を絶する環境だと思えた。
「ゆえに私はこの案件に関しては、一概に彼の提案に賛同は出来かねるのですよ。ゼイン殿下の身に危険が及ぶとは思っておりません。それくらいにカイの武勇には信を置いております。ですが殿下が彼の地で何を感じられるかはまた別でありましょう?」
「ふむ、彼の為人を良く知る政務卿ならではの意見であるな」
「陛下、ただ……、利点としては別の視点も有りまして」
顎に手を当て熟考する姿勢から政務卿が新たな視点を展開する。
「現地の治安が懸念される今、人心も乱れている事でありましょう。そこへホルツレイン王家の者が長駆現れ、新領の民の心も憂い、その安寧を望むと知らしめれば、民心の王家への信奉を勝ち得らるのではないかとも考えてしまうのです。ゆえに私としましてはどちらが国益となるか断じ得ずにおりますれば、陛下の裁定にお任せしたいと」
「そなたの意見は尤もである。参考になった。余からも聞いてもらいたい儀がある」
アルバートはその心の内を語り始めるのだった。
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