狂信者の凶刃
リドはしょげ返っている。叱られた訳でもないし咎められてもいない。
ただ、無理せず速やかにゼインを引っ張ってでも連れ帰るべきだったと注意されただけだ。彼女は全くその通りであると思う。
リドの軽挙とまでは言わないその行動がゼインを危険に晒したのは間違いない。どうせなら、せめて後先考えずに「本気」になるべきだったと思える。後悔が彼女を打ちのめしているのだ。
「気にしても仕方ないわ。どうせこの勝負で終わりよ」
チャムはもちろん、リドもあの程度の相手にカイが負けるとは思っていない。問題が有るとすれば彼がどこまでやる気かというところくらいか。カイが
「断っておきますよ、大司教殿。貴方がわざわざ呼び寄せた騎士を失うことになろうと僕は関知しません。はっきり言って大義はこちらに有ります。後々陰謀だの何だのと騒ぎ立てないでくださいよ」
王宮練兵場の中央に陣取って二人は対峙し、遠巻きに周りを人垣が埋めている。
「解っておるわ! だが貴様が打ち倒された場合は素直に負けを認め、これまでの我らが教義への暴言、謝罪して取り消してもらうぞ。良いな?」
「良いでしょう。構いませんよ」
フォルディートにとって、もう拾える物は教義の正当性くらいしかない。ホルツレインに於ける地盤はもう失われていると言っていい。
魔闘拳士の手に輝く銀爪を認めたアトラシアの神聖騎士は鞘からゆっくりと剣を抜く。
「神に捧げしこの剣、我が祈りを以って
短く祈りを唱えたクスガンは一気に距離を詰め、その剣閃が宙に円弧を刻む。明らかな殺意の宿るその剣は、しかしてカイには届いていない。最小限の動きで見切っている。
「本気じゃないみたいね。そうだったら、あいつもう死んでるわ」
心配気に見上げてくるゼインの両肩を軽く握り、安心させるように言って聞かせる。自分にも責任が有ると思って辛そうにしている彼を元気づけるように付け加える。
「見てなさい。カイがこてんぱんにやっつけてくれるから」
祈るように手を組み、固唾を飲んで見守っているセイナの心配をよそに、カイは上半身をしならせ巧みな足裁きで円を描きながら躱し続けている。
「逃げるな! 神の剣を畏れるなら我が前に立つでない!」
「良いんですか? 終わりますよ?」
左下段から迫る剣を右腕の甲で滑らせ跳ね上げると、そのままクスガンの懐にもぐり込んで左肩で体を当てる。十分に体重の乗った体当たりは、騎士の軸足をも浮かせて尻餅を突かせた。黒い瞳は何の感情も宿しておらず、ただ冷然と見下ろしてくる。
目を血走らせて立ち上がり様に突き込んでくる切っ先は身体をずらしたカイの左の空を裂くのみ。代わりにカウンターで突き出された右のマルチガントレットが正面に出現し、顔面をしたたかに打ち付けられる。傍目にはクスガンが勝手に手甲に突っ込んで行ったように見えてしまうだろう。観衆から失笑が漏れている。
ここまでやれば彼我の力の差は歴然である。カイには嬲るつもりなど無い。十分に実力差を解らせ、負けを認めさせればいいのだ。
しかし見誤ったとすれば実力ではなく矜持の高さだった。クスガンはどれだけ打ち据えられようとも剣を引かない。倒れては立ち上がりとしている内にボロボロになっていく。これ以上の醜態を衆目に晒せば彼はどうあっても降参しないだろう。カイは仕方なく意識を奪う戦法に切り替える。
左足を摺り出して剣の間合いに入るとクスガンも踏み込んで鋭く振り下ろしてくる。上体を左に振って躱し、剣側を左の掌で打って逸らすと共に踏み込んできた右足に左足を掛けてつんのめらせる。がら空きの後頭部に右の手刀を打ち付ける。神聖騎士の瞳は焦点を失い、そのまま頽れる。
魔闘拳士の勝利を確信して観衆は湧き上がり、その歓声がフォルディートの舌打ちの音を搔き消した。倒れたままにしたクスガンを背にしてその場を離れようと歩み始めたカイはビクリとして立ち止まる。気を失っている筈の神聖騎士が揺らぐように立ち上がった。異様な気配を漂わせている。
(そんな! うそ…)
立ち上がろうとするクスガンの態勢は禍々しささえ感じられるのに、周囲は清浄な空気が満ち始めている。チャムにはその一角だけ静謐な気配に包まれ、何か大きな力が降り注いでいるかのように見えた。
それに気付いているのは彼女だけだったわけではなさそうで、黒髪の青年も振り向いて様子を窺っているのに気付いた。
「何だ、この身の内から湧き上がる力は! おお、この全能感! 我は最強である!」
立ち上がった神聖騎士は咆哮を上げる。
「我は神の騎士なり! 今こそ神敵を下す時!」
言うなり地を蹴ったクスガンは恐ろしい程の加速を見せて迫ってきた。油断はしていなかったカイだが、あまりの速度の変化に対応が遅れて剣閃が頬を掠めた。騎士の剣の切っ先が血の尾を引き、観衆から悲鳴が上がる。
連撃がカイを襲い、連続する金属音がまるで一続きの金切り音のように響いた。冒険者達も、本気の彼が一本の剣相手に両手を使って捌いているのを初めて見る。
「
対処にゆとりを失った彼は身体強化を重ね掛けして自らの速度も高める。こういう場合にカイは絶対に無理はしない。切れる手札は切っていき、優位性を手放さないよう努める。
袈裟に斬り下ろされた剣を左のマルチガントレットで受けると右拳で顎を打ち抜く。クスガンの顔は斜め上に跳ね上がったが、視線はカイを見据えたままだ。完全に決まった筈の一撃をものともしない騎士に、彼は違和感が拭えない。普通ならば脳を衝撃が襲い、一瞬で気絶するほどの一撃だったのだ。どう見ても相手は正常な状態ではない。
ひと蹴りで
紙一重で躱すと、今度はこめかみに加減したフックを入れると吹き飛んでいく。流れで何となく殺めてはいけない気がして手控えた攻撃をしているが、それでは危険かもしれないと思えてきた。
何せ先ほどから一撃で仕留められる急所ばかりを狙っているのに、効いた風もなく立ち上がってくるのだ。
再び人間離れした速度で駆け寄ってくるクスガンの突きを身を沈めて躱すと、後ろ髪をバッサリと持っていかれた。その代りとばかりに、鳩尾に本気の拳をお見舞いする。さすがに動きが止まったところで、左右の拳を目にも留まらぬ速さで数十発も腹部に打ち込み、倒れてくる身体を搔い潜って背後に回ると後頭部に肘を落として顔面から地に沈める。
すぐに跳ね起きて間合いを取り、様子を窺うカイ。普通なら命に関わらないまでも、後遺症は残りかねないほどの攻撃だった。これでも立ち上がってくるようなら考えものだ。
しかしクスガンは何事も無かったようにゆらりと立ち上がる。
「
驚きに片眉を上げたカイだが、それでも次の手を打とうとする。
「ぐはぁっ!」
しかし幾度でも立ち上がるかのように感じられた騎士が、大量の血を吐き散らすと同時に両膝を突く。上半身をガックンガックンと大きく揺らしながら血を吐き続けると、突然ドウと俯せに倒れてピクリとも動かなくなった。
「当然ですね。人間の限界を軽く越えています。身体が持つ訳ありません」
勝負は決まったのに、その場は不気味に静まり返っているのだった。
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