アセッドゴーン邸の午後
「侯爵様。何です、テルメックって?」
久しぶりのアセッドゴーン侯爵邸の居間で、休養
「何は無いだろう。お前の所為だぞ?」
「身に覚えが無いことで責められるほど辛いものは無いのですよ? ネタばらししてくださいよ」
辛辣な物言いに聞こえるが、この程度の遣り取りは二人にとって定番の応酬みたいなものだ。
「
「それがなぜ僕の所為なんです?」
「
この世界の工業製品は当然だが職人の手によって生み出されている。それは徒弟制度の中で口伝もしくは模倣で継承されるもので、明確な寸法の規格など無いに等しい。
有ったとしてもそれは覚え書き程度のもので、個々人が保有する型紙や冶具などを用いて作られている。カイが設計図として渡す物も図解や簡単な説明が主で、微に入り細を穿つ基準など記してはいない。
ところがそれが通じなかったのが
ひれの部分やその隙間など、明確な寸法を決定し公差を設定しなければ出来形寸法が一定にならないのだ。換装して用いる部品に近いその性質上、出来形寸法が安定しなければ話にならない。しかも大量生産が必要ときている。
当然それを行おうとした訳だが、ここで問題になったのが記述上の難点だ。最小単位は
当初は
その頃、フリギアで巨大
「なるほど。確かにそれは僕に起因していますね」
その言にグラウドはニヤリとする。
「罪を認めたか?」
「それが罪かどうかはともかく……」
その時、カイの隠しで遠話器が「ピュイイィーーン」と音を立てた。彼は断りを入れて席を立つ。
「こんにちは、ムリュエル殿」
まだ昼過ぎという時間から厄介事を持ち込んできたムリュエルだったが、カイは丁寧に自分の意思を伝えた。
「ムリュエル殿でした」
席に戻ったカイが開口一番相手を告げてきたのを見て、話題にしていい内容だったようだ。
「ふむ。反転リング製造図面程度でお前が不具合を出すとは思えんな。さしずめ院の騒動の件か? テレメンツだったか」
(そんな事まで把握してるのか? この方にとっては些事だろうに)
さすがにカイも舌を巻く。事情説明から入らねばならないかと思っていた彼は、それは必要無いのだと知った。
「オーリーさんが腹に据えかねたみたいで切り捨てたみたいです。それで泣きついた相手がムリュエル殿で……、対応を委ねてきたので救済をお願いしておきました」
「そうか。それで構わんなら何も言わんが」
カイは心の中で顔を顰める。少し言い淀んだだけでもグラウドには読まれてしまったようだ。
「良いんですよ。そんなにあっちこっちに顔を突っ込むほど酔狂じゃありません」
「マータナリー伯爵が首を突っ込んできたら取り除く事も出来たものを。この程度じゃ尻尾を掴ませんか。変に鼻が利くだけ面倒な連中だ」
「だから、そういうのに僕を巻き込まないでください」
グラウドは薄笑いを浮かべて半目を向けてくる。下手に乗っかると、踏み潰す役目を押し付けられ兼ねない。ホルツレインの発展の為なら手段を選ばない彼にとって、反魔闘拳士派と重なる保守派は邪魔な事この上ないようだ。
「院のほうは極めて順調なようだな。助かっている」
「職員集めに砕心してくださった侯爵様のお陰ですよ。あとは子供達が頑張ってくれているからです」
「見捨てられていると思わせずに、社会の一員であると自覚するようお前が馴致して回っているのもあるぞ」
本来であれば孤児対策も王宮の頭を悩ませる問題になる筈なのだが、託児孤児院の存在が全てを解消しているのでグラウドも本心から礼を言う。更にはそこが将来、人材の宝庫になるのは彼には容易に予想出来ているところが申し分無い。
ちょっとした発想の転換が、一石二鳥どころで無い効果を生み出しているのだ。グラウドにとっては礼を言うくらい安いものだ。
「その調子で大人のほうも面倒見てくれんか?」
「嫌です。そちらは王国の仕事ですよ。僕は手を出しませんからね」
自立するには難しい子供になら幾らでも救いの手を伸ばす。下手に放置すれば、食い物にしようと考える大人が出て来兼ねないので出来るだけ手広くやる。
だが大人は別だ。その気になれば自分の面倒は自分で見れるのだ。無闇に救済しようと考えれば甘えてくるだけ。その気になれば幾つかの救済手段は思いつかない事は無いが、カイは意図的に手を出さないでいる。
やっているとすれば各地での炊き出しくらいだが、それも路頭に迷っている子供を引き寄せる手段に過ぎない。
「保安関連事業を主に、公共事業を増やしているからかなり改善されている筈だが、根本的な解決にはなっていないだろう。まあ院の世代まで誤魔化し誤魔化しいけば何とかなろう」
「良いんですか? あの子達が本気で前面に出る頃になったら、今度は路頭に迷う貴族が出て来始めちゃいますよ」
「その程度で潰れるような家なら潰れてくれたほうが良い。歴史の分だけ貴族が増え過ぎているのだ。これ以上、お荷物を抱えられるほど王国の懐は深くない」
カイが言ったのは半分冗談だったのだが、グラウドにはふるいに掛ける丁度良い機会だと感じられているらしい。
中世の貴族であれば、領地争いなどで勝手に栄枯盛衰を繰り返し淘汰されていく。しかしこの世界の貴族は魔獣との勢力争いで汲々とし、領地争いなどやっている場合ではない。余程力が無ければ消えても行くが、基本的には増やしただけ増えていくのだ。
「ところでお仲間はどうした? 冒険者としては怠惰すぎて見捨てられたか?」
「たまには森に出てますって。
トゥリオを始めとした三人は今朝からそのキハ村に向かっている。
「僕はルドウ基金の決裁事項とか有ったのでそちらに手を取られていましたし、僕が行ったら行ったで騒ぎになりそうなので遠慮しました」
「キハ村か。モノリコの産地だな」
「何でもよくご存じで」
「この一
「それはご迷惑を」
「お前が暇つぶしの相手に私を選んだほうが迷惑だ」
午後のアセッドゴーン邸の居間には笑い声が響いているのだった。
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