愚挙の応報
バルッカ・テレメンツが城門をくぐったのは妻・ファルシャに焚き付けられたからだ。彼女が託児孤児院で受けた扱いを不服とし、魔闘拳士の傲慢を訴え排斥を望む妻の希望を伝えるべく、とある屋敷を訪れる。
バルッカが妻に聞いた事情は彼女による脚色が加えられており、まるで一方的に糾弾され暴力をもって追い出されたかのように語られていた。
それはバルッカの聞く魔闘拳士の人物像とはかけ離れており、妻に誇大妄想癖が有るのも心得てはいたが、耳元でまくし立てられれば動かない訳にもいかない。それに今から向かう屋敷の主には十分な付け届けもしてあり、多少の無理なら聞いてくれる筈であった。
別に、本当に魔闘拳士をホルツレインから排斥しようとまでは考えておらず、彼が立場有る人間から叱責の一つでも受ければファルシャの留飲も下がるだろうと思っていたのだ。
家令に訪問を伝えてもらい執務室に通されたバルッカは、大机の前に立つ。
「
ファルシャの語った魔闘拳士の行動を頭を垂れたまま無念そうに切々と訴える。領地の決裁事項の処理を進めているのか、ステイル・マータナリー伯爵は顔も上げずに皮紙にペンを走らせ続けている。反応を窺いつつも言葉を繋げていたバルッカは、ステイルが顔を上げる気配を感じてチラリと目線を向ける。
「つきましては…」
ところが更に言い募ろうとする彼に向けて、ペン立てが飛んできた。それはそう重たい物ではなくバルッカの頭でゴンと音を立てただけだったが、痛みと驚きで彼はたたらを踏み尻餅を突いてしまう。
「愚か者が!!」
「伯爵さま! な、何を…」
「あの魔闘拳士がその程度の事で激するものか。そんな隙の多い男ならとうに王宮から追い出しておるわ」
ステイルは権威を鼻にも掛けない魔闘拳士を煙たく感じている一派の一人だ。バルッカもそれを薄々感じていた為、彼に話を持っていったのだがそれが裏目に出る。
「あの若造め、いかなる論戦を仕掛けようとどこ吹く風と受け流しおって、全くもって忌々しい!」
腹立たし気にドンと地団太が聞こえる。
「その上に、王太子殿下に取り入っただけでなく陛下の覚えも目出度い。食えない政務卿とも繋がっているとあっては手が付けられぬわ。今の王宮で奴をどうにかしようなど無謀に過ぎる。貴様、この儂を失脚させようとでも考えておるのか?」
「まさか! そのような事など……」
「どちらにせよ時流も読めぬ商人になど用は無い! 二度と顔を見せるな! 誰か! 此奴を放り出せ!」
バルッカがステイルの逆鱗に触れたと思った時には既に手遅れだった。彼は屈強な家人の手によって摘み出され、扉に縋って訴え掛けても二度とその扉が開けれる事は無かった。
今まで積み上げた信用も投資も全てが一瞬で無駄に終わる。
◇ ◇ ◇
「旦那様、大変でございます!」
ファルシャに散々小言を言われて寝覚めの悪い朝を迎えたバルッカの下に、更に悪い報せが舞い込んでくる。既に不機嫌であった彼は耳を塞ぎたくなる思いで問い掛ける。
「何事だ?」
「バーデン商会がっ! 突然契約の終了を伝えてきました」
「何ぃ! 馬鹿な!」
「それが、今朝の入荷分のバーデン商会『倉庫持ち』従業員から言伝が有りまして、
テレメンツ商会は、バーデン商会から反転リングとモノリコートを入荷している。商会で使用する反転リングはほぼバーデン商会の専売であるし、モノリコートも権利者である王家から販売元として取り扱う許可を得られているのは一部の商会に限られている。その他の商会は、その一部の販売元商会からの入荷を受けて転売を行っているのだ。
それはモノリコートの価格の高騰を防止する施策として措置である。販売元商会は王家の指示で単価を公表しているのだ。もし、その単価とかけ離れた高い価格で販売されていたとしたら、それはその商会が暴利を貪ろうとしている証拠となってしまう。
商業の発展に寄与する自由競争の思想とは大きく離れた施策であるが、供給の覚束ない中での苦肉の策として用いられている。
「何故だ?理由は?」
「それが、尋ねてもただ契約終了だとの一点張りで…」
そのままでは埒が明かないと考えたバルッカはバーデン商会に馬車で乗り付け面会を申し込む。これまで取引を続けていたテレメンツ商会主の来訪とあって、忙しいオーリーも対応せざるを得ない。
「何でしょうかな、テレメンツの?」
バルッカは、このオーリーのぞんざいな言い回しが好きになれない。栄えあるホルムト商人ともあろう者が、下賤な物言いをするのが癇に障る。
「覚えがないとおっしゃるか? 一方的な不義理を働いておいて」
「不義理と言われましてもな」
対してオーリーも、バルッカの鼻持ちならないところが正直大嫌いだった。歴史ある商会だか何だか知らないが、自分を高く置いて売ってやる的な態度が商人にあるまじきものだと感じられるからだ。
「契約は契約。継続するもしないも双方の自由じゃありませんかね? こっちは契約通り
「それはそうだが信用の問題だろう? これまで普通に取引を続けて契約も自動更新してきたっていうのに、何の伺いも無く解除は無いだろうと言っている。それでは信頼を失っても仕方がないとは思わないかね?」
「テレメンツの。私が何も知らないとでも思ってらっしゃるんですかねぇ」
「何の話だね?」
「私は貴殿の言う冒険者風情、魔闘拳士カイ・ルドウと深い付き合いが有るのですよ」
ファルシャが起こした騒動の噂は密かにホルムトを駆け巡っている。
情報源は託児孤児院の職員だった。憤懣やるかたない彼らは、何が起こったかを近隣の者に漏らしていた。彼らが院の子供達を連れて近隣清掃などの貢献を熱心に行い好感を得ていただけに、その噂は歪められる事無く院に好意的に伝わり広められて人の口に上っていたのだった。
「言うなれば、今のバーデン商会が有るのはあいつのお陰みたいなもんなんです。その魔闘拳士を見下すようなお人を私はどうやって信頼すりゃいいんです? そりゃ無理ってもんでしょう?」
「そ、そんな事でだと? オーリー殿は商人の信頼をどう思っていらっしゃる。それでは商会同士の信頼関係など成り立たず、経営も儘なりませんぞ?」
「私はそうとは思いませんがね。貴殿が他の商会に働きかけてバーデン商会を潰そうってんならお好きにしてください。私は
「愚かな……。今の地位を放り出すと言うのか」
バルッカは苦々しい顔でオーリーを睨みつける。
「さすがぽっと出の成り上がりは気楽で宜しいですな。そうまで言うのなら覚悟しているといい。郷に従わぬと言うなら沙汰が有ると思い知りますぞ」
「どうぞどうぞ。私も忙しい身なのでお引き取り願ってもよろしいですかね?」
バルッカは鼻を一つ鳴らして去っていく。
歴史ある大都市の膿を見た思いのオーリーであった。
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