王妃の庭園(5)

 王妃ニケアがカイ・ルドウという人物に初めて触れる機会は、王子クラインの相談からだった。


 クラインは剣姫とまで呼ばれた彼女が腹を痛めたにも関わらず、剣にはほとんど興味を示さない。将来、武門の貴族達に舐められたりしないよう仕込んでやろうと剣を押し付けたりもしたのだが、渋い顔を隠そうともしなかった。それは彼女を落胆させたが、情の深い彼女は突き放したりはせず市井の者がするように息子を愛した。


 ところが或る、その王子が自分に剣の教授を懇願してきたのだ。

 あまりに奇妙なその一事に事情を質すと、彼は姫を得る為に強くならねばならないという。そんな童話の王子様のようなものに憧れるような歳では無いと鼻で嗤ってしまいそうな気分にはなったが、彼女とて魔闘拳士の噂は耳に入っている。それに参戦するというのなら確かにそれなりの剣技を欲したとしても変な話ではない。


 それならばと少々厳しめに鍛えてやるのだが、クラインは音を上げたりせず黙々と剣に取り組み腕を上げていった。

 多少の基本は仕込んであったので上達も程々の速度だった彼なのに、彼女の庭園を尋ねた折にグンとその技量を高めている時がある。問い質すとその時は必ず彼の魔闘拳士と対戦してきた後の事だった。

 ニケアが俄然、魔闘拳士に興味を持ち始めたのはそれが原因だ。


 それまで彼女は、魔闘拳士というのは武威を鼻に掛ける男が力自慢に走って、美姫の騎士を気取って演じているのだと思っていたのだ。

 だがそれだとクラインの上達に説明が付かない。一体、試合場で何が行われているのか知りたい。ニケアは王子に、魔闘拳士を彼女の下に連れてくるよう命じるのだった。


 ひと悶着はありながら、ニケアの前に連れてこられた魔闘拳士の姿を見て驚く。何せ相手は全く武張ったところが見られない黒髪の少年だ。

 最初は何の冗談かと息子を叱り飛ばしたものだ。しかしその少年が魔闘拳士だというのは間違いなく事実だという事で、ニケアはどんな顔をしていいものか解らなくなった。


 聞いてみると、彼は意図的にクラインの技量向上に尽力しているという。それはクラインとの友人付き合いの一環であり、本人に言わせれば「もののついで」らしい。

 元よりそんな試合などで彼の美姫の結婚相手を決められる訳が無い。何せあのアセッドゴーン侯爵家の令嬢なのだ。それでも人の噂というのは恐ろしいもので、彼に挑みかかってくる者は後を絶たない。そんな戯れの中で彼は王子と出会って、話し込む内に親密になっていったのだと言う。


 どれほどのものかと思い、一手組ませてもらって更に驚かされた。散々あしらわれてこちらの腕を読み取られた後に簡単に一本取られた。幾度挑んでも敵わない。それこそ実戦なら何度殺されたか解らない。まさに圧倒された。

 ニケアはあまりに愉快で少年に、自分に仕えるよう命じる。しかし彼は固辞する。事情が有って誰かに仕えることは出来ないのだと言う。アセッドゴーン侯爵家との血縁は無く、彼の家への貢献は単なる恩返しであって、金銭的な関係も無いらしい。

 ニケアは尚更少年が欲しくなったが、どんなに掻き口説こうが高圧的に命じようが頑として首を縦に振らなかった。だが彼女の庭園を訪れる事は了承してくれる。それからは時折りカイは庭園を訪れてくれた。彼女はカイの来訪を心待ちにするようになった。


 その後に魔闘拳士は国王との謁見も果たし、公的な場所でもニケアと顔を合わせるようになったが、彼女らの関係が変わる事は無いのだった。


   ◇      ◇      ◇


 リドを膝に抱えて果物を与えながら、ニケアは昔語りをした。


「結局、姉ぇの義理の母になっちゃったから、今は親戚みたいなものなんだけどね」

「うむ。セイナ達もそなたを兄と慕っておるようじゃのう。エレノアの姉気取りも治らんしな」

「姉気取りって」

 チャムも失笑するしかない。

「さもありなん。あの巧言と二枚舌だけが取り柄の一族から、このような武神が生まれる訳無いじゃろう? エレノアあれに泣かれては敵わんから言わぬがえ」

「それは止めてくださいね」

 夫の右腕を捕まえて実に辛辣な物言いをする。だがそんな居丈高な様子もこの本性を曝け出した国最高峰の貴婦人の口には似合っているように感じてしまう。

「こんな感じの困った御仁なんだよ」


「殿下、魔闘拳士様のお土産をお出しいたしますか?」

「おお、危うく忘れるとこであったえ。早う」

 お茶と一緒にテーブルに現れたのは、銀盆の上に盛られた高さ7メック8.4cm直径25メック30cmほどの円筒形の青い物体であった。

「でかいな」

 そう言ってトゥリオは苦い顔をする。それがモノリコートの塊だと思っているのだろう。

「外れ。これはニケア様に喜んでもらう為に作ったケーキだから」

「おおう、妾の為とな! そなたらも知らぬものかえ?」

「初めて見ますぅ」

 早くもフィノの目は釘付けになっている。

「お切りいたしますね?」


 メイドの一人がケーキにナイフを入れると、一気に香りが溢れ出る。鼻を刺激する豊かな酒精に甘さが絡みつくように香ってくる。その香りはニケアの目の色を変えさせた。彼女はその豪胆振りに似合って、酒精をこよなく愛している。目が無いと言っても良いだろう。


「おおお、素晴らしい。そなた、なんと凶悪な貢物をするのじゃ。このような物、病み付きになってしまうではないかえ」


 フォークでひと口切り取って、口に運んだニケアは顔を蕩けさせて最大の賛辞を贈る。

 カイが用意したお土産はブランデーケーキのようなものだった。蒸留酒を生地に練り込み焼き上げた後に、たっぷりの蒸留酒を加えたシロップをしっかりと染み込ませ、表面をモノリコートでコーティングして香りを封じ込めたケーキだ。だからナイフを入れると共にその本領を発揮して、香りで人を魅了する。口に運べば酒精が舌を刺激すると同時に、モノリコートのコクのある深い甘みと程良い苦みが、えも言われぬハーモニーを醸し出すのである。


 酒精を嗜まないカイだが、この種のケーキは好んで食べる。モノリコートを使ってアレンジしてあるが、既存の物だと言えばそうだろう。しかしこの異世界にはまだ無い物なのは確かで、ニケアの好みにも合致している筈だった。


「これは美味いな。モノリコート使った物じゃ一番好きだな」

 やはり酒精を好むトゥリオは食いつきが良い。

「はぁー、この甘いのにツンとくるような刺激が堪らないですぅ」

「なるほどねぇ、これは人によっては虜にしちゃうでしょうね」

 実際に約一名、虜になっているものが居る。

「これを菓子職人に渡して再現させよ! 出来ぬというなら妾の前に現れる事は許さぬと言え! 馘じゃ!」

「はい、承りました」

 メイドの一人が、一切れのケーキを持って下がっていく。ニケア本人は既に二切れ目に掛かっている。

「いや、そこまでしなくても……」

「ただの冗談だよ。王宮の菓子職人を信頼しているからこんな事を言うのさ。この方は王家の中でも一番配下の者を大事にされる方だから」

 トゥリオが慌てて制止しようとするが、彼らにとっては戯れのようなものだ。

「やめよ。恥ずかしいぞえ」


 冒険者達は、恥じ入る王妃を可愛いと思ってしまうのだった。

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