王妃の庭園(4)
「素晴らしい! 素晴らしいぞえ! 妾に土を付けたのは、
自分に剣を突き付けていたチャムを抱き締めてニケアは歓喜の声を上げる。
「妾の下へ来い。俸給は思いのままに用意するのじゃ。位が欲しければ聞くぞえ?」
「止めてくれない? 負けておいて下に付けは無いでしょう?」
一度の組手で納得したのか更なる勝負は挑んでこない。技量の差をハッキリと認識したのだろう。
「どうしてこの国の人は僕の仲間を欲しがるんです? 困ったものです」
カイはゆっくりと歩み寄るとチャムの腕を取って引き寄せる。抱き留められた腕の中で彼女は悪戯な笑いを浮かべた。
「自分を取り合って争う者が居るなんて無為だと思っていたけど、実際にそうなると悪い気はしないものね。さあ、どうするのかしら?」
「奪わせたりすると思う?」
珍しくニヒルな笑みがカイの顔面に張り付いている。
「そなたに勝てばくれるのかえ?」
「無理です。貴女では僕に勝てませんし、彼女は貴女のものになんかさせません。さあ、メインディッシュの始まりですよ?」
チャムを後ろに下がらせたカイは濃密な闘気を纏い始める。
「ゆっくりどうぞ。連戦の所為になんてして欲しくないですからね」
◇ ◇ ◇
その姿はまさに伝説の魔闘拳士だ。静かに佇んでいるだけなのに近付くにはそれ相当の覚悟を必要とするほどの圧力を感じる。
「良い! それじゃ! 妾の欲する強き力よ!」
並の者なら委縮しそうな闘気に、自らの剣気を漲らせてニケアは高らかに笑う。それもまた一人の戦闘狂の姿にしか見えない。王妃付きのメイドだから慣れている光景だが、他の者には到底見せられない。
ニケアは四阿に立て掛けてあった大剣を引き抜く。それはもちろん真剣だ。刃を潰してなどありはしない。
「い、いくらなんでもそれは嘘でしょう、殿下?」
ようやく復帰しつつあるトゥリオが仰天の声を上げる。
「何を言う。妾がカイと
「そうだよ。心配要らないから」
トゥリオの杞憂を気軽に受けるとカイはトリガーを呟いてマルチガントレットを装着する。
「ちゅるりっちゅりっちゅー!」
「ありがとう、リド。そこで応援しててね」
「ちゅい」
四阿のテーブルの上でメイドに出してもらったナッツをコリコリしていた
カイの言葉に甘えてニケアは大きく深呼吸をして呼吸を整え、大剣の握りを確かめつつ彼の前に進んでいく。両手持ち大剣の間合いを大きく外して対峙した二人。ニケアの顔はぐっと引き締まり、目だけが爛々と輝く。
カイはいつもの左半身の構え。ニケアは正眼に構えて、じりじりとにじり寄っていく。彼女とて無敵の銀爪を前にして、不用意に突っ込んで行ったりはしない。
一定の距離まで近付いたところで不意に大剣の切っ先が軽い金属音を奏でる。目を見張ったニケアだが、すぐさま飛び退いて大きく距離を開けた。
何が起こったのかニケアには解らなかった。ただ無視できない危険を感じる。カイが動いたようには見えなかった。それは見えなかっただけとも言える。見えなかったから動いてないと断ずるのは戦士としては失格だ。十分な命取りになる。剣姫とまで呼ばれた彼女がそれを見逃す筈がない。
しかし見えなかったのは事実で対策の立てようがない。もちろんカイはニケアとの組手で魔法を使う事は無い。切っ先を揺らしたその力は魔法を伴わない物理的な力の筈だ。
再びニケアは摺り足で距離を詰めていくが、同じ場所で金属音が響き、握る手にも振動を感じる。カイは薄く微笑んだまま立ち位置を変えていない。
「そなたはまた面妖な技を使うの?」
「贈り物です。向上心を忘れない貴女のような方に出し惜しむのは申し訳無いと思ったので」
その言葉はニケアにとって最大の賛辞だろう。
ニケアは思い切って踏み込み、大剣を振り下ろす。そこはまだ彼女の間合いでは無いというのにだ。しかしてその軌道は激しい激突音と共に大きく変えられる。今度は彼女にも微かに見えた。カイは爪先で間違いなく剣の腹を叩いている。
それは事実なのだがそうそう真似出来るものではない。剣筋を見切って剣や盾で受けるのは誰でもやる。軌道上に持っていけばいいだけだ。だが斬り下ろすという最大の速度が出ている状態の剣の側面を叩くというのは、どれだけの動体視力と拳速が必要なのか想像も付かない。
逆に言えば、一瞬に踏み込まれその速度の拳打を打ち込まれようなら一撃でお終いである。ニケアの背を冷や汗が伝う。この黒髪の青年はいつも自分の一段上の力で対してきてくれる。絶対に届かない訳ではないのに届かないところ。ずっとそこに居るのだ。
ならば自分は駆け上らねばならないと、そう思わせてくれる。ニケアに暇を与えず、飢えを満たしてくれる。カイはそういう存在だ。
それならばと、彼女は大きく振りかぶり思いのままに力をぶつける。大剣を担いで身を投げ出すように斬り下ろす。踏み出した右足を踏ん張って限界まで身体を捻って斬り払う。上体を折り曲げてまで腰に溜め、全力を込めて斬り上げる。左手の掌底を柄に添えて押し出すように突き込む。
その全てが彼の身体に達する事無く、かなり手前で打ち落とされてしまう。ニケアは歯を食いしばって持てる全開の力を以って剣を振るうのに、カイの涼しい顔は崩れない。
◇ ◇ ◇
チャムはその一種異様な攻防を目の当たりにして苦い思いを禁じ得ない。この技は確かに力押しをしてくる相手に特に有効だろう。だから自分相手に使って来なかったのかもしれない。
しかしながら彼の力を引き出しきれていない自分を歯痒く思うのはどうにも止められない。カイは、速度重視のチャムのようなタイプの剣士に対処する技も持っているのかもしれない。
そして今必要なのはその技を目に焼き付ける事だ。
この技は並外れた剣速を必要とするのだから彼女にも向いている筈なのだ。拳でなく、剣ならば更に広い間合いを自分の絶対圏にする事が可能になる。おそらくカイはそれも計算の上で彼女に見せてくれている。
ならば我がものとするよう、目を皿にして見極めなくてはならない。
◇ ◇ ◇
汗が飛び散り、筋肉が休息を求めて痛みを送り込んでくる。だがニケアは止まれない。彼女にとってこんなに楽しい瞬間はそうは無いからだ。
剣を握る手に痺れを覚えて無理に握り込みたくなる。ただそれをすると剣速は落ちて相手を落胆させてしまうだろう事は難くない。息はとうに上がって、空気を求める胸は焼け付くように痛い。
「ふおお!」
渾身の力を込めた斬り下ろしの剣は打ち落とされずに大地に突き立つ。柄を握る手を無骨な手甲が押し留める。いつの間にか、間近にカイの顔がある。
「
これ以上は危険だ。ここを乗り越えると身体の痛みは引いてくるかもしれない。しかしそれは脳内物質の過剰分泌の合図で、それを続けると身体の各所に異常を来し兼ねない。だから諫める様にニケアの手を押し留める。ただの組手で貴人女性の身体を痛めつけるのは忍びない。もう十分に発散した筈だ。
「うむ、済まぬの。限界のようじゃ。そなたには物足りんかの?」
「とんでもない。貴女が楽しそうに剣を振るうのを見てると、僕も嬉しいのですよ」
「そなたは優しいの」
もたれ掛かるニケアの身体を抱き上げて四阿の椅子に座らせると、王妃付きメイドが寄って集って汗を拭き風を送りして彼女を労わる。
一息吐いたニケアは爽やかな疲労感を満喫しているようだった。
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