王妃の庭園(3)
王妃付きメイドが差し出したのは両手剣型の木剣。対してチャムは盾を装備する。両者とも本気モードだ。
醸し出す雰囲気からして違う。間にある空気が圧力を浴びて軋む。剣気はまるで熱を帯びたかのようにゆらりと立ち昇る。それでいて視線は凍り付くがごとく冷静だ。
まともな精神の持ち主ならそこへ踏み入る事など出来はしない。立ち入ったが最後、身体の端から欠片にまで斬り刻まれてしまうような感覚を覚えてしまう事だろう。
凡庸な使い手なら、ニケアの振り下ろす大剣の剣閃の美しさに見入り、痛みも感じないまま命を投げ出してしまうかもしれない。それほどまでに洗練された剣筋だ。
落される刃はチャムの盾に吸い込まれるように進み、軽い音を立てて抜けていく。僅かながらの手応えを感じながらも何かを斬ったような感じはしない。そこに在った筈の存在は霧か霞を斬ったかのように色彩ごと溶け消えていく。気付いた時には刹那の距離にまで相手の剣閃が迫っている。
軸足を残したまま強引に右足を擦り出し、体重移動だけで腕を振り回す。後から伸びてくるニケアの剣は恐ろしいほどに加速されていたというのに、斬ったと思えばまた掻き消える。どれほどの速度で動けばそんな風に見えるのか彼女にも想像が付かない。
しかもその速度の中で繰り出される攻撃なのに、鋭さも重さも失われていない。掠めただけでビリビリと衝撃を感じる。今もどうやって躱したのかも記憶にない。反射的に身体が反応しただけだろう。それほどまでに危機感を覚えているのだ。
女性が振ったとは思えない剣圧がドスンと落ちてくる。すかさず盾で受けようとするが、まともに受ければ反動で身体が固まってしまう。
盾に角度を付けて擦るように剣閃をずらす。その剣圧を利用して身体を回転させ、右手の剣を相手の脇に滑り込ませる。躱せる距離と速度ではなかったのに、僅かに身を退いたニケアに切っ先が掠めただけだ。それどころか身を退く動きをそのまま捻りに変換して彼女の腕が前に出てくる。その腕の向こうには当然あの恐るべき剣圧が潜んでいるのだ。
堪らずチャムは意図的に膝から力を抜いてストンと上半身を落とす。地面ギリギリで踏ん張り、そのまま平行移動して反対側へ抜ける。そこでは背中合わせになっている筈だが、振り向く刹那の時間がこの攻防では命取りになり兼ねない。見えないままに頭の中で描いた想定位置に回転しながら剣を送り込んでいく。
もし相手が同じ事を考えていたとしたら、そこで終わりだ。剣同士がぶつかり合えば、打ち負けるのは間違いなくチャムのほう。それほどの危機感を彼女は覚えている。
◇ ◇ ◇
一瞬の攻防の後に両者の剣閃が空を斬り、弾けるように飛び退いて距離を取る。とてつもなく濃密な攻防だった。王妃付きメイド達は息を飲んでいる。滅多に見られるような代物ではない。なのにあの青髪の美貌を自分達の主人にけしかけた男は、絶妙な距離を置いて朗らかに笑っている。
両者が使っているのは確かに木剣だ。対峙するお互いがお互いの剣閃を見ていればそうとは言い切れないほどの脅威と感じられるだろうが、それでも当たったところで人体を斬り裂くのは難しい。だが、当たれば只事では済まないのは素人目にも分かってしまう。
王妃付きメイド達とてその男の事は良く知っている。彼があの魔闘拳士だ。
盾の上を木剣が滑る音、切っ先が衣服を掠める音、後は剣が空を斬る音しか聞き取れない。そこで二人がどんな攻防をしているのか素人には見切れない。
そんな圧縮された世界の中で、果たして二人の攻撃を受ける止める事など可能なのだろうか? そんな不安が彼女らの脳裏をよぎる。
主人はこの国でも最高の部類に入る貴人なのだ。大事になると解っているのを見過ごし、主人に何かが有れば彼女らにも何らかの沙汰は有るだろう。貴族の列に並ぶ彼女らでも、残りの一生を地方の田舎で魔獣の脅威に怯えつつ暮らして行かねばならないかもしれない。
揺れる三対の視線にふと気付いたように男が視線を返す。その瞳が
不安を払拭するのは難しいが、この場はあの英雄に任せるしかない。彼女らはそう覚悟を決めるのだった。
◇ ◇ ◇
「やるのう、そなた。我が剣が掠る事さえままならぬとは」
それでも当たらないとは思ってもいないのだろう。ニケアの笑みは崩れない。
「それはお互い様。その細身からなんであの剣圧が生まれるのか想像も付かないわ」
「鍛錬の賜物ぞえ。か弱い女の身で剣を取るとはそういう事じゃないかえ?」
「それは否定しないわ。でも道はそれだけじゃない。模索したのは自分だけとは思わない事ね」
チャムに比べてニケアは女性では大柄な部類に入るだろう。カイより少し背が高いように見える。彼より僅かに背の低いチャムとの体重差はそれなりになる。それが選ぶ道を違える分水嶺だとしてもおかしくはない話だ。
「それは妾も今体感しておるわ。その技量、侮り難し」
「そう言ってもらえるなら光栄と言っておこうかしら」
ニケアの剣圧は手足の長さによるストロークが生み出している。対してチャムの剣は
今使っている木剣は直剣なので効果が少々薄れているが、いつも使っている愛剣の重心位置ならば最大限にその効果を発揮する。そういう風にカイが作ってくれたのだ。
今度はチャムから仕掛ける。
低く行くと押し潰され兼ねない。最初の攻防で思い知らされた。トゥリオとまともに打ち合った時点で予想しておくべきだったと歯噛みする。カイならば押し戻せる膂力が有るだろうが、チャムにはそれが欠けている。それでも彼女はカイとも組手になっているのだ。技量を屈指すれば劣るとは思えない。
とは言え正面から打ち合えはしない。突っ込んでいくと見せかけてサイドステップして斬り上げる。それはニケアも読んでいて、大剣で受ける。鍔迫り合いは危険なので、刃を滑らせるように流して
その手に盾を添えてグイと押し下げる。力負けで動いたのは僅かな量だが、その先に有る切っ先は地面近くまで下がっている。そこから斬り上げるまでの時間が稼げれば十分だ。地を蹴って距離を取ると、ニケアは斬り上げを躊躇い手を止める。振り抜いた時に出来る隙を嫌ったのだ。それは剣士の本能に近い。
チャムは一転して前に出る。彼女の足に掛かる負担も大きいが、一度止めた大剣を再始動させるニケアの腕に掛かる負担のほうが大きい。鈍く迫る剣閃を盾で弾き、チャムの切っ先はニケアの胸元に一直線に向かっている。已む無くニケアは上体を振って躱す。外されたと解るとチャムはすぐに離脱して次の仕掛けに態勢を整える。
打ち合うとしても数合に制限してチャムは一撃離脱を繰り返す。体技ではチャムに追いつけないと悟っているのかニケアは深追いしない。
そして再びチャムが正面から踏み込んでいく。ニケアはここまでくると、彼女がどちらにサイドステップするかの賭けのようなものだと思っていた。ところがその時だけはそのままチャムの身体が迫って来る。彼女に瞳に決意が宿っていると見て取ると、ニケアは大上段から真っ向に斬り下ろす。それをチャムは盾を持つ左腕に剣を持つ右腕を添えてクロスさせて受け止めた。受け止められたニケアの顔は驚愕に彩られている。この瞬間の為に、チャムは一撃離脱を飽きるほど繰り返してきたのだ。
刹那の力押しの末に、チャムはその場でクルリと回転した。拮抗していた力が逸らされ、ニケアの剣は地を削り、チャムの剣はニケアの首筋にそっと添えられていた。
息詰まる攻防はチャムの勝利で幕を閉じたのだった。
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