王妃の庭園(2)
シークリフテ伯爵家の長女として生まれたニケアは、幼い頃から剣にのめり込んでいった。
そうなる材料が幾らでも有ったのは事実だ。武門の名家であるシークリフテ伯爵家には、多くの武芸者が指南に訪れる。男子に恵まれる彼の家には鍛えるべき将来の騎士候補や将軍候補も多く、彼らが必要としていたのは指導者だったからである。
そんな環境下でニケアは立ち歩きを始める頃から、窓から見える光景は兄達が指導を受ける姿ばかり。彼女が剣に興味を持つのも無理からぬ事だろう。
開花したのはニケアが6歳になろうかという頃。
悪戯に木剣を玩んでいた彼女は、9歳の兄カンクタスに挑みその剣を払い飛ばして一本を奪ってしまう。その後、怒気と体力任せにカンクタスはニケアを打ち据えたが、それは当時のシークリフテ伯爵である祖父の憤気を買い、廃嫡の憂き目に遭う。
騎士を目指そうかと云う者が弱き者を虐げるとは何事かという意味だ。伯爵は彼が身を改めれば復嫡を考えていたのだが、カンクタスは不服を露わにしてそのまま何もかもを投げ出し自暴自棄になり出奔した為、今はいずこの空の下という結果になった。
それはシークリフテ伯爵家にとっては憂慮すべき事態では有ったが、伯爵本人はどこ吹く風だった。当初から王宮での栄達など望んでもいない伯爵は、ニケアを縁故の形にする必要性を全く感じておらず、才を示した彼女に剣と指導者を与える。見目麗しく、当主が愛情を傾けていた彼女の希望を叶えようとしたのだ。
慌てたのは家族や縁戚達だ。武門とは言え伯爵家の令嬢ともあろう者が剣を振り回して喜んでいるなど聞こえが悪い。驚嘆した彼らは伯爵を諫めようとするが聞く耳を持たない。泣きつく彼らのせめての希望を叶える事で、ニケアの剣の修業は極秘事項として扱われる次第となった。
驚いた事に、ニケアに剣の基本を教授すべく呼ばれた指導者には仕事が無かった。彼女はずっと見続けていた基本の剣の型を模倣し、身体に染み込ませるという離れ業をやってのけていたのだ。それは伯爵を感嘆させ、大いに喜ばせた。
それからも剣の修行を続け、ニケアが12歳になった
そのまま何事も無ければ、誰も困らせる事の無い隠された趣味として終わっていた筈だった。ところがシークリフテ伯爵家を恐るべき要請が襲う。
あまり顔を見せない社交界では取り繕い、剣に明け暮れる生活を送るニケアを、誰もが貞淑で慎ましい伯爵令嬢だと思っていた。更に誇れるほどの美貌の持ち主であった彼女は国の重鎮の目に留まり、当時の王太子アルバートへの輿入れの話が持ち上がってしまう。その話は当事者である伯爵が制止の声を上げる間もなくあれよあれよという感じで進み、程なく既定路線になってしまった。
それでもひた隠しにしようとすれば出来ない事は無かった筈なのだ。一番の問題はニケア本人がなかなかに破天荒な性格の持ち主である事だった。
王太子の婚礼はホルムトの一大行事であり人を集めるには十分ではあったが、更に経済のテコ入れに利用する為に一つの行事が企画される。それは『王太子婚礼記念大武闘大会』だった。
それは参加者が闘技場の武舞台で武技を競い合うもの。そして一人の武芸者が、武舞台に波乱を巻き起こす。
その女剣士は、口元以外を覆う仮面を着けドレスを纏って武舞台に舞い降りた。彼女は並みいる剛腕武芸者をばったばったと薙ぎ倒していく。その様は人々を熱狂させ、登録名からいつの間にやらこう呼ばれる事となる。
剣姫ニア、と。
記念大会なのだから観覧席には貴賓席も設けられている。そこでひきつった笑みを浮かべて汗を流し続けているのはアルバートだった。
輿入れ先の相手に隠し続けるのはどうあっても不可能に近く、内々に彼にはニケアの趣味は知らされている。そして言うまでもなく、武舞台で舞うように剣を振るっているのが自分の妃になる人本人である事も。
彼も最初は目を疑った。表向きは武張った事を好まない新たな王太子妃は欠席となっていたが、それは彼女の趣味を隠す為の欺瞞行動だとされていた。ところが当人が武闘大会に参加しているではないか。騙されていたのは市民だけでなくアルバートも同様だったのだ。
そしてニケア改め剣姫ニアはどんどん勝ち上がっていき、決勝の舞台で敗れ去った。それさえも半ば目立ち過ぎるのを避ける欺瞞行動だったのかもしれない。
その夜、彼の寝屋に現れたニケアは言ったものだ。
「わたくしの活躍、見ていただけたかえ?」
アルバートは泣きそうな顔をしていたという。
◇ ◇ ◇
トゥリオはその後も組手を続けたが、結局ニケアから一本も奪う事は適わなかった。
それは芽生えつつあった彼の自信を打ち崩すには十分の一時である。しばらくは呆然と立ち尽くしていた彼だが、フィノに腕を引かれるとフラフラと四阿に導かれ座らされる。しかし、トゥリオの意識が現世に戻ってくるにはいささかの時間が必要になりそうだ。
「まだ腕を上げてきますか?」
カイに問われるとニケアはニヤリと笑う。黒髪の青年に言われて実力の確認が出来たからだ。
「そなたに追い縋るには急ぎ足でなければならぬのじゃ。妾ももう若くない故」
「若くないと本当に思っているなら諦めてくださいよ。僕の仲間が潰されてしまいます」
「あれか? あれは単に修業が足らぬからぞえ」
「だからその伸びしろを完全に潰さないで欲しいと言っているのです。まあ今回は良い薬になったと思いますけど」
青年も少々辛辣に返す。
「そなたの相方は
「発展途上の若者を虐めないでいただけません?」
「その顔で言うても説得力などないぞえ」
◇ ◇ ◇
二人の付き合いは、空白の六
「ここは変わらぬが妾は老いていく。ここぞは孫らが可愛くて敵わん。そなたくらいは若さをくれても良かろ?」
王妃の庭園と呼ばれるここはニケアの趣味の為に設けられた場所だ。ここでのみ彼女は剣を振れる。その事実を知ったカイは折を見てはこの四阿に通ってニケアの相手を務めてきた。
思いもしなかった立場に祭り上げられたのは彼女もカイも同様の事。同病相憐れむでないが、彼女の辛さを少しでも和らげてあげられたらと続けてきた。
「そなたらは良い。トレバで鬼畜どもを相手に思う存分暴れてきたのじゃろ? ガラテアめもそうじゃ。妾だけが取り残されてここに閉じ込められておる。はぁ……、妾も戦場で暴れたかったぞえ」
「またそんな物騒な事を。トレバを牛耳っていたのは貴女が手に掛けるような価値も無い輩がほとんどでしたよ」
「ふむ、どうせそなたに敵う者など数えるほども居らんかったのだろうて。そうでなければ妾の立つ瀬が無い」
ガラテア軍務卿もこの庭園の常連客であり、ニケアの本性を知っている一人である。二人は親友なのだ。
元より武門同士の知らないではない関係。ここで言葉と剣で親交を温めているのだ。
「一息ついた。そろそろ良かろ?」
「そうですね。別に構いませんが、ここは一つ彼女と組み合ってみませんか? 決して貴女を落胆させる事は無いと思いますよ?」
そう言ってカイはチャムを指し示す。
「ほう、そなたがそこまで言うとは、楽しみじゃの」
ニケアの笑みは獣のそれだ。トゥリオが軽くあしらわれてもいる。一度目を閉じて集中力を高める。
そしてチャムは木剣を構え、真剣な目で王妃に対峙するのだった。
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