祝勝晩餐会(3)

「その美姫を侍らせておれば妾はもう用無しかえ? つれないのう」

「に、ニケア。カイにも色々と有るのだ。許してやれ」

「申し訳ございません、ニケア様。今は僕もホルムトに定住しておりませんので無沙汰をしておりました。折を見て伺わせていただきます。お土産も用意いたしますのでお許しを」


 この遣り取りを聞いて唖然としたのはチャムだ。彼女の知る王妃は、いつもアルバートの横で婉然と微笑んでいた。だからチャムは、王妃ニケアは差し出口をしない控え目な女性だと思っていたのだ。

 その為人を勘違いしていたのだと気付き、カイと親し気である様子を見て取ると、どうにも不満が募ってくる。


「私がお邪魔なら遠慮するわよ? お二人でどうぞごゆっくり」

「そういうんじゃないんだけどね」


 以前、ホルムトに立ち寄った時も、カイがふと所用だと言って消える事が有ったのを思い出す。その行き先がニケアの所だったとしてもおかしくない。ただ、アルバートが、カイとニケアが親しくしているのを知っているところを見ると艶っぽい話ではないのだと分かる。


「ごめんなさい。あてつけがましい事を言ってしまったわ」

「良いよ。何も話していなかったからね」

 少し辛そうにしているチャムを見て、フィノは一つの決意を胸に仕舞いこむ。

「ここまでは義務みたいなものだから付き合ったけど、この後はホルツレインの都合に合わせる必要は無いからね。明後陽あさってくらいには釣りに行こうか? 僕が良く行っていた釣り場に連れて行ってあげるよ」

「本当!? 必ずよ! 大好き」


 嵌っているものの話になるとチョロいチャムなのであった。


   ◇      ◇      ◇


「カイお兄ちゃん、こんばんわ」


 お手本のようなお辞儀をして見せたのはタニアだった。

 王太子の御用商人であるバーデン商会の令嬢である彼女は社交界デビューも果たしている。最近では王孫セイナの親しい友人でもあるタニアは、王宮の社交界でも有名になりつつあった。

 それだと幼年層の貴族子女の妬み嫉みに晒されそうなものだが、平民の彼女をあからさまに冷遇するのは矜持が許さないようだ。何よりバーデン商会そのものが飛ぶ鳥落とす勢いで大きくなりつつある商会であるし、魔闘拳士が懇意にしている商人だという噂も彼女に良からぬものを寄せ付けないでいる。


「もう夜も更けてきたけど大丈夫かい、タニア?」

 挨拶を返して頭を撫でながら心配事を投げ掛けると、彼女は気丈に返してくる。

「まだセイナ様も頑張ってるもん。タニアだって出来るとこ見せるの」

「頼もしいですね、オーリーさん」

「そりゃ確かにそうなんだがな。ちょっと忙しくなりそうでこういう時でないとゆっくり側に居てやれなくて私も辛いんだよ」

「それは困りものね」

「お前さんの相棒の所為だよ、チャム」


 カイが反転リングを持ち込んだのはもちろんオーリーの所だ。彼も当然、細工師や刻印士とも付き合いはあるし『倉庫持ち』は主たる従業員である。反転リングの製造販売に不足はない。

 持ち込まれた段階でその真価を見抜いていたものの、実際に試作製品を幾つか揃えて実演会を開いたが最後、とてつもない反響に忙殺されているのだった。

 それもその筈、この反転リングを使えば輸送コストは激減する。主な人件費を占める『倉庫持ち』の専属雇用を最低限に抑えられるのだ。その気になれば一人行商というのも可能になる。製品単価の高さを先行投資と割り切れるならばこれほど便利なものは無い。


 唯一と言える欠点は、長所でもある「誰でも使える」点になる。セキュリティに問題が出てくるのだ。『倉庫持ち』ならば、脅されて命の危機を感じない限りは、雇用主の指示無しで商品を放出する事は無い。ところが反転リングは誰でもお手軽に商品を取り出せる。『倉庫持ち』を拉致するより反転リングを盗むほうが、襲う側も少人数で済んでしまう。

 そういったリスクに関しても実演会では繰り返し注意したのだが、商業界を駆け巡ったこの反転リングの衝撃を抑えきれるものではなかった。


「購入依頼と引き合いと製造法の問い合わせとなんだかんだの対応だけで一陽いちにちが終わっちまう。とても私一人の手に負えないんだ」

 そう言うオーリーは大きな大きな溜息を一つ吐く。

「さっきだって私の前に大店の会頭達が列を作りやがってよ、そんなん陛下の前に並べっつーんだよ。私に言ったって生産数は増やせないってんだ」

「制限のほうに問題が?」

「そうじゃなくてな」


 反転リングに用いる『倉庫』魔法は、カイが生み出した記述刻印でしか起動できない。その記述刻印もミスリル棒の内部に変形魔法を使用して書き込まれている。表に引いた起動線に魔力を込めれば起動はするが、模写は出来ない仕組みにしてある。

 製造者を買収したとしても、記述内容を盗み出すのは不可能だ。これによって彼は独占製造販売の仕組みを作り上げたのだ。


「お前に貰った刻印棒は二本だけだろ? 反転刻印だって、刻印士に言わせりゃ相当集中力を必要とするもんらしい。どうやったって簡単には量産できないのさ」

「あー、なるほど。お誂え向きでしたか」

「しかし、権利料は本当に五割で良いのか? そりゃ、あんな利益率の良い商品、私も助かるっちゃ助かるんだが、申し訳無い気分にもなってくるんだよ」

「それは問題ありません。ルドウ基金の財源にするだけですから、組織の性質上あまり儲け過ぎるのも色々と風聞が悪くて。まあ、儲かって困る事は無いんだし、頑張っているタニアに可愛い服でも買ってあげて下さい」

 そう言って手を繋いでいるタニアと笑顔を交わす。

「そんなもん、幾らでも買えるってもんだ」


「代表、父がご挨拶をと言うので少々よろしいでしょうか?」

 イーラが壮年紳士を連れてきている。

「あ、申し訳ありません。こちらから伺おうと思っていたのですが」

「いやいや、娘がお世話になっておるのですからこちらから。ムリュエル・クラッパスです。よろしくお願い申し上げる、カイ・ルドウ殿」

 優男風に見えるが、目の奥の光には油断ならないものを感じさせる。

「これはバーデンのオーリー殿。お邪魔してしまいましたかな?」

「ちょっと張本人に愚痴の一つも零してやっていたところですよ」

「例の件ですかな?」

「ご想像の通り」

 大店のクラッパスが情報に疎い筈もなく、オーリーの困り事など言うまでもない。

「クラッパス会頭殿、少し相談に乗っていただいても構いませんでしょうか?」

「ムリュエルで結構ですよ、カイ殿。私で良ければ」

 反転リングの普及の制限と、バーデン商会の現状に関して説明する。

「商品の性質上、信用出来る方にしか製造販売をお任せ出来ません。オーリーさんに少し手を貸してもらえませんでしょうか?」

「ほう、初対面の私を信用すると? 娘を人質に取っているから、滅多な事など出来ないとお思いか?」

「父様!」

 イーラが咎めるように声を上げるが、当人はどこ吹く風だ。こういう所で役者の違いを感じてしまう。

「奇妙に感じるでしょうね。説明します。長年、御用商人を務めるような大店ならばご令嬢は縁を繋げる手駒でしょう? ところが貴方は娘さんの適性を見抜いてきちんとした教育をしています。あまつさえ商会の経理にまで携わらせていました。本人の希望を汲み取り必要なものを与えるその度量、十分に足る人物だと思えます。信用させていただけますよね?」

 カイは探るような視線を外さない。その圧力は、相手にとっては堪ったものではないだろう。

「意地の悪い言い方をされますな」

「お互い様でしょう?」

「陛下が貴殿の言葉を重用する意味が解ってきましたぞ。なるほど単なる武人ではない」


 ムリュエルの視線が、商売敵ライバルと対するのと変わらないものに変わった。

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