帰国へ
ホルツレイン軍は出発を
その指揮を任されたモールディ将軍は主に独身者で編成された五千を率いて進発する。それに合わせて軍事物資集積地も移動する手筈になっている。後は、引き続きロアジンで国境協議及びその他諸項目の協議を行う外事政務官の警護に三百が残され、他は全軍が帰還の途を辿る。
それに合わせて『かいのゆ』は閉鎖・解体しなければならない。だが、惜しむ声が非常に多数寄せられたために出発前日の夕刻まで営業継続される結果になった。
結局、その製作者にして管理者たる人物がその湯で
しかし、全営業日程を終えた現在ならば彼もゆっくりと体を温めるのも可能だ。
「大きなお風呂でゆっくり手足を伸ばせるのは気持ち良いね」
「そうね、こんな贅沢なかなか無いわよ」
横から聞こえるチャムの声にドキドキすべきシチュエーションなのに、カイの声は冷めている。
「どうせなら綺麗な女の子と混浴が良かったんだけど……」
「悪かったな。むくつけき大男と混浴でよ」
「全くだよ」
残念ながらチャムは着衣である。これまで『かいのゆ』を営業してきた彼の苦労をねぎらって、背中を流してもらえる栄誉を授かったカイなのだ。先ほどまで身体を洗っていた彼だが今は浴槽に浸かって寛ぎ、浴槽縁に座るチャムと話しているのだ。
「失礼ですよ、カイさん。こんなに可愛い女の子と混浴しているのに」
「そうだね」
その可愛い子はずっとザブザブと浴槽内を泳ぎ回っている。
「僕は君の腰のラインにもうメロメロだよ、リド」
「ちゅちゅっ!」
バシャバシャと方向転換してカイに近寄ってきたリドはカイの腕に尻尾を絡めてプカーっと浮く。
「気持ち良いかい?」
「ちゅーいっ!」
役割という意味では声を掛けてきたフィノのほうが大変だっただろう。彼女の担当のトゥリオは、カイとは比較にならないくらい背中の面積が広い。最初はかなり恥ずかしがっていた彼女だったが、いざ背中を流し始めるとそれどころでは無いのに気付き、せっせと任務を遂行していた。
そして今はチャムと同じく縁に腰掛けて会話を楽しんでいる。男性陣は腰に巻いた洗い布を取る事は厳禁とされているが。
「行っておいで」
カイがお腹を掻いてやって押しやると、リドはまたザブザブと泳ぎ回り始める。
野生動物はあまり好まない入浴や水泳だが、彼女は嫌がらないばかりか好んでそれをする。チャム達が沐浴する時は必ず着いていくほどにだ。
身体を洗った後に、フィノに魔法の温風で乾かしてもらってすぐはもっさりと膨れるリドなのだが、しばらくすると皮脂が分泌されるのかすっきりスマートに戻る。腹側の毛はいつでももふもふなのだが、それが押し付けられている時間はほぼカイが独占しているので、他の皆が堪能する事は少ない。
「あなたの黒い髪って濡れてても綺麗なのよねぇ」
チャムがカイの髪を後ろに撫で付けながら言う。
「君の青髪はどんな時も綺麗だよ?」
((またそういう事を臆面も無く……))
外野の意見は一致している。
それはチャムとて察してはいるのだが、出会いからしてはっきりと「美人だから一緒に居たい」と言われた身にとっては今更何と言われようが気にならなくなりつつある。実際のところ、自惚れてもおかしくない美貌の持ち主だけ有って突っこみづらいと言えばそれまでだが。
「ありがとう。でも、色髪って濡れると色が深まってくすんで見えちゃうのよ。その点、カイの髪は濡れるほど光沢が増すのよ。不思議」
西方ではあまり見られない黒髪だが皆無ではない。それでも希少だと言えるほどで、最も多い金赤髪と赤髪、良く見られる金髪、銀髪、茶髪にチャムと同じ青髪や紫髪も少数だが見られる。
「でも、この世界にも黒髪の人って居るんだよね? 前に君が言ってたんじゃなかったっけ?」
「東の帝国人ね。確かに彼らは七割方が黒髪だけれど、少し藍がかっているのよ。濡れるとそれが強く出るからまた違う感じになるの。あなたみたいに漆黒じゃないのよ」
「ふうん、そうなんだ。そういえば少し放置気味だね。ホルムトに到着して落ち着いたら切ってくれる?」
「そこまで待たなくても、道中時間がある時に切ってあげるわ」
カイはチャムと出会ってからは彼女に髪を切ってもらっている。大きめの街にならば理髪を生業とする者も居るのでそ頼れば良いのだが、これに関してはチャムのほうから言い出したのである。彼女はカイの髪に触れるのは好きらしい。
最近ではトゥリオの髪も切っているが、赤い剛毛の持ち主である彼の髪は好みでは無いらしい。まるで
「俺のも頼むわ」
「はぁ……、ついでによ」
「すいません。フィノがもっと器用なら良いんですけど」
頭脳労働なら多方面に非凡さを発揮するフィノなのに、悲しいかな手先は少し不器用だった。
「全く、バルトロ氏は波打った柔らかそうな赤髪だってのに、あんたときたら」
「悪いな」
「フリギアの王家絡みの人ってみんな赤髪だったね」
「フリグネル辺境伯は燃え立つような赤だったらしいぜ。その流れみたいだな。固いのはともかく」
そう言って洗いざらしの頭をバリバリと掻く。
「俺もフィノみたいな細くて柔らかい髪だったら伸ばしても良いんだけどな」
「そんな……」
「こら、不用意に女の子の髪に触れないの! この不調法者」
「う! でも、結構喜ばれたんだがな」
「ベッドの中の話をしない! 距離感を考えなさい、距離感を!」
フィノはムスッとした顔をして出て行ってしまった。
「あ! ちょっと! 待ってくれ!」
「それと変な物見せんな!」
ザバリと湯から上がった拍子に腰布を落としてしまったトゥリオは後頭部に流し桶の洗礼を受ける。
◇ ◇ ◇
一夜明けたロアジン東部平原には整然とホルツレイン軍が列を成していた。
百人隊長がそれぞれに号令を掛け、列を乱さないよう監督している。行進を始めたら各々で適当に私語も出てくる筈だが、今は静粛にしている。司令官の号令を待っているからだ。
朝の内に冒険者達はフリギア軍営に挨拶に行っている。彼らもじきに撤収命令が下る筈だが、ここロアジンはもうフリギアと言ってもいいので落ち着いたものだ。
「それじゃあね、メイネ。その内、ホルムトにも遊びに来なさい。私達が居る時にね」
「はい、チャム。いずれ落ち着いたら、たまには我儘を言ってみますわ。自由の身でいられる内に」
「そうなさい」
女性陣はそれぞれに抱き合って別れを惜しんでいる。
「まだ当分死ぬんじゃねえぞ、ドリスデン。里帰りはかなり先になりそうだからな」
「解りましたぞ、エントゥリオ様。またご立派に成長した姿をこの爺に見せて下され」
「ああ、達者でな」
今は彼らは近衛隊の列の端辺りで
そしてクラインが大声を張る。
「では出発する! 我らが愛する故国へ!」
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