かいのゆ(2)
基本的には女性専用浴場とされた『かいのゆ』の使用には
これは殺到する利用希望者を抑制し整理するのを目的としていたのだが、女性陣の衛生に対する執念を見くびっていたと思わざるを得なかった。『かいのゆ』を包囲する女性の輪は解ける事も無く、結局順番待ちの列を作るしか方法が無いのだった。
そうなれば必然、欠かざるべき存在となるのが管理者である。本来であればその任命は司令官であるクラインや副官ガラテアが行うものなのだが、本人の知らない内にいつの間にかの流れで製作者であるカイがその任に就く事に定まっている。
「なにゆえ!?」
「そうねぇ、利用者である女性の総意かしら?」
「はい、皆さんがそれが良いっておっしゃってましたので」
提案者権限で一番風呂の権利を得ているチャムとフィノにそう言われて納得出来たような出来ないような顔をするカイ。
困っている女性が自由に使ってくれればいいぐらいの心持ちで使い捨てにするつもりは無かった彼ではあったが、そんなものに祭り上げられるとは思ってもいなかったのだ。
「あら、不満?」
「喜んでもらえるのは良いんだけどね、こんなに大袈裟になってしまうといつになったら僕が使えるんだろうと不安になっちゃうよ」
「確かにそれはそうね。その辺りは意見を調整してみるわ。私達も使い終わったら手伝うから待ってなさいね」
「うん……」
カイはもう事態が自分の手の届く範囲を越えてしまいつつあるのを感じる。それでも浴場として成立するよう、十分な湯量の確保の為にはガラテアに頼んで魔法士部隊からの水系魔法士の派遣を要請しなければならないと考えていた。入浴料はその魔法士への報酬とすれば彼らも小遣い稼ぎくらいにはなる。
そんなこんなで『かいのゆ』は営業を開始した。
『かいのゆ』入り口に向けて形成されている女性の列は、カイの座る椅子と小机に向かっている。利用者が入浴を終えて出てくる都度、新たな利用希望者から
「ありがとうございます、魔闘拳士様」
「感謝しています、魔闘拳士様」
そんな挨拶を何とも言えない笑顔で受け取っていたカイなのだが、それが段々と変化していっているのには困っていた。
「大好きです、魔闘拳士様」
「愛してます、魔闘拳士様」
そんな事を言ってくるものまで混ざって来るに至っては、それをどう受け取っていいのか解らなくなってしまう。
どうしようもない戸惑いをチャムやフィノに相談してみると、苦笑いを浮かべつつも調査に向かってくれる。その結果は二人も納得は出来たのだがカイには理解し切れないものだった。
「戦場に一人立つあなたの寂しそうな背中に、母性本能が刺激されたんだそうよ」
「抱きしめてあげたいって思ったんだそうです」
実はもっと生々しい意見も有るには有ったのだが、それは二人の所で止められていた。どうにもカイには聞かせられない類のガールズトークだったのである。
何はともあれ、『かいのゆ』は大繁盛しているのであった。
◇ ◇ ◇
湯上りの上気した頬。濡髪。入浴で程良く脱力した身体が生み出す艶っぽい仕草。爽快感から自然に浮かび上がる笑顔。
女性達のそれが男の目を惹かない訳が無い。
『かいのゆ』を遠巻きにする男性陣は、長きに渡る軍営暮らしで女性に飢えている者がほとんどだ。戻れば妻の居る者、恋人の居る者ならば操を立てると言う精神的歯止めが有るものだが、軍営に恋人の居る者を除いてそれ以外の者に有るのは理性という歯止めだけになる。
遠目に見える光景は彼らを刺激して止まない。それでもそこが女性達の聖域であれば、そうそう踏み込んでいけるものではない。そんな事をすればとんでもないしっぺ返しを覚悟せねばならないからだ。特にこんな、女性が極めて少数派となる状況での彼女らの連帯感は決して侮れないものになる。そんな彼女らの反感を買えば総スカンを食らう羽目になるのは想像に難くない。
しかし、ただ一人、彼女らの好感を一身に浴びている男が居る。彼女らの湯上りを一人堪能している男が居る。それがどうにも彼らの癇に障るのだが、問題は当人が名高い英雄であり、今回の戦乱でも誰もが認める最大の功労者だという事だ。真っ正面から非難するには憚られる存在である。
こういった状況の場合、同等の存在を旗頭を立てて対抗するのが常套手段になるのだが、全体の実質的指揮官は女性であるガラテアで当然彼女らの味方になるのは動かないだろう。事実、客として向こう側に在り、
「え? 覗かれそうで怖い?」
『かいのゆ』利用者の女性兵からの訴えを聞いたチャムは、確かにこの周りにたむろする男達が増えているのに思い当たる。
「そう言えばあの連中、変な雰囲気漂わせているわね。ええ、解ったわ」
こういう時の彼女の対応は早い。速やかに男達の排除に向かう。
「あんた達! 意味も無くこの辺うろつかれると『かいのゆ』利用者の邪魔になるから解散してくれないかしら」
「いや、別に俺らは風呂に興味なんて無いから……」
露骨に挙動不審な様子を見せる男を見てチャムは彼らの目的が訴え通りなのではないかと推測する。
「そうねえ、でも私達の入浴風景を覗くのは無理なんじゃない? それには彼を倒さなきゃならないんだもの」
「何ぃ!?」
「倒したら覗いて良いのか!?」
「滾るぜ!」
「で、でも魔闘拳士だぞ」
「そうだよな、無敵の銀爪相手じゃ……」
「諦めるな! 同志達よ! あの垂れ幕の向こうにはめくるめく光景が!」
盛り上がる男達にチャムは呆れと軽蔑の視線を向ける。
「ちょっと待ってよ、チャム。それも僕の役目なの?」
「そうよ。あなたが『かいのゆ』の管理者にして守護者でしょ?」
「そんな当たり前の事かのように……」
カイは激しい
(なんで美人っていう人種は自分の言葉の影響力を軽視する傾向にあるんだろう? いつもその所為で僕が酷い目に遭っているのに)
逆に言えばカイがいつも美人の側に居る所為でもあるのだが、そこはすっぽり思考から抜け落ちている。
「何、大騒ぎしてんだ?」
そこへやって来たのはトゥリオだ。彼はチャムに『かいのゆ』の存在を聞いてやって来たメイネシアを案内してやって来たのだ。
「大したことじゃないのよ。この連中に『かいのゆ』を覗きたいならカイを倒してからにしなさいって言い聞かせていただけ。それともあんたもこいつらの肩持つ訳?」
「いや、そんなつもりは……」
この時、彼らは気付いた。対抗馬になり得る存在が居た事を。彼ら冒険者の仲間であり、周りから見れば同等に強いと感じさせる男がここに現れた事を。
「あ、兄貴! お願いします!」
「大盾の勇士殿! ここは一つお力を示してください!」
「頑張ってくれ!我らの代弁者!」
急に後押しを受けたトゥリオは戸惑うが、彼の中の男気が疼くのを感じる。こういうノリに簡単に乗ってしまうのが彼の悪い所でもある。
「へえ、あんたもフィノを覗いたりとかしたい訳?」
「そんな事、ある……、わけ……」
トゥリオの頭の中にはフィノの入浴風景が浮かんでいる。
「それならおあつらえ向きよ。フィノは今、中だわ」
「ち、違うぞ。そんな理由じゃない。俺は男の代表としてここに居る!」
「へえ、一番手はトゥリオなんだ。君は僕に勝てた事が有ったっけ?」
スッと立ち上がってカイが前に出てくる。
「そうだね。戦士の情けで、ここは素手で勝負してあげるよ」
「良いだろう。簡単に勝てると思うなよ? 俺は今、あれだけの男達の闘志をこの身に受けている!」
「じゃあ、行くよ?」
結果は日の目を見るより明らかだ。徒手格闘のエキスパートに素手で挑むなど無謀の極み。トゥリオは男達の群れの中に突き刺さっていた。
「他愛も無いわねー。これで連中も変な気は起こさないでしょ」
チャムは目論見通りに事が進んで満足気にしている。
「頑張った人にはご褒美が要るわよね? 何だったら混浴する、カイ?」
垂れ幕の影から様子を窺っていた利用者達から「きゃ ── !」と黄色い悲鳴が上がる。
「えーっ! なんでそんなやぶさかでないようなリアクションなの!?」
「みたいよ?」
チャムは冗談交じりにカイの手を引いて垂れ幕に手を掛けた。
「ダメですぅー! それはさすがにカイさんでも無理ですぅー!」
中から飛び出してきたのは拭き布を身体に巻き付けただけのフィノだ。辛抱堪らず阻止に出てきたらしい。しかし悲劇はこの時起きる。
「「あ!」」
両手を突っ張ってカイを押したフィノの巻き布がハラリと落ちてしまう。
「!!」
無言で蹲り、落ちた布を拾ったフィノは一目散に垂れ幕の中に消えていった。
後に残されたのは、鼻血を吹いて目を回しているカイだった。
「フィノは凄い
稀代の英雄『魔闘拳士』を唯一倒した女性として獣人少女フィノの名は後世に語り継がれた……、かどうかは知らない。
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