クアルサスの計略

 ロアジンの中心部近くから煙が上がっている。ホルツレイン陣営から見れば、それはトレバ体制の終わりを告げる狼煙だ。

 そう時間は掛からず街門が開かれ、押し出されてくるだろう。市民に見放された国の主導者達が。


 後は彼らを守る兵を撃破すればこの戦争は終わりだ。


   ◇      ◇      ◇


 城壁内は大混乱に陥っている。

 城門を開放してなだれ込んだ市民は、手当たり次第に貴族の邸宅を襲っていく。警護の私兵も居る事には居るが、その大波に抗する術も無く倒されるか逃げ出すかしていく。

 暴動を起こした市民の目的は食料だ。家探しして貴族達が隠し持っていた食料を争うように奪っていく。中には家人に暴行を働くような行為も有ったようだが、それは一部に過ぎない。とにかく自分と家族の胃袋を満たさねばという思いが彼らを突き動かしている。

 食料や金品を奪い尽すと腹いせに火を放っていく行為も散見された。各所からきな臭い煙が漂う中、その大波は次第に皇城へと迫っていく。


 市民暴動が城門を突破したとの報が皇城に届いてからは、周辺で待機していた国軍兵三万は警戒態勢に移行している。物見台に上がったクアルサスは皇城を中心にした各大通り埋め尽くして徐々に迫り来る市民達を見て、抵抗の無駄を知った。王の間に駆け戻ったクアルサスの目には、醜態を演じる重臣たちの姿しか映らない。


「陛下! 早く攻撃命令を!」

「そうです! 奴らに殺される前に皆殺しに!」

「民草など放っておけばどこからか湧いてくるものです! 逆らう者には死を!」

「軍務卿はどこに行った? さっさと軍に命令を!」

 情けないとしか言えない姿だ。


(俺はこんな奴らを守らねばならないのか?)

 クアルサスの胸を虚しさが満たす。


「クアルサス!! 何をしている! 朕に逆らう者どもに神の鉄槌を下せ! 早くしろっ!」

 彼の姿を認めた皇王ルファンが顔を真っ赤にして怒鳴り散らす。そんな姿を見ていると心がどんどん冷えていくのをクアルサスは感じる。

「無駄にございます、陛下」

「何を抜かすか! 神命ぞ!」

「無駄と言ったら無駄なのです。皇城に迫る民衆は既に二十万近くに及ぼうかという状況です。それを三万でどうせよと?」

「あ……、あう……。す、済まなんだ、クアルサス。どうか朕を守ってくれ」

 明らかにいつもと違う雰囲気を宿したクアルサスに異常事態を察し、虚勢をかなぐり捨てて懇願してくるルファン。

「御意。今は私にはそれしか出来ませぬ。馬車の準備を」

「ば、馬車をどうするつもりなのだ?」

「皇城を放棄して逃げます。どちらかの城塞にでも籠って再起を誓うしか道は有りませぬ」


 クアルサスはもう腹を決めていた。今のロアジンには自分達の居場所がない。とにかくホルツレイン軍だけでも破ってどこかに逃げ込むしかない。そこでまた地方の兵を糾合して体勢を立て直すのだ。


「そんな! これは朕の城ぞ。民草に明け渡せというのか?」

「では、ここで民衆に飲まれるが宜しい。私は逃げさせてもらいます」

「ああっ! 解った! 解ったから朕を救ってくれ。言う事を聞くから」

「では早急に出立の準備を。卿らも。死にたくなければな」

 皆がバタバタと皇城放棄の準備に走る。


(役立たずの足手纏い共でも捨てていくわけにはいくまい。馬車に詰め込んでおけば邪魔する事も無いだろう)

 そんな風に思いながら彼自身も武装を整える算段をするべく、近侍に命令する。


 皇城前庭まで引いて守るトレバ軍は、市民達と睨み合っている。暴動を起こしたとはいえ、まともな装備も無い市民は完全武装の兵達を前にすれば容易には仕掛けられない。それでも続々と押しかけて来つつある同志達の力が有ればその均衡はじきに破られるだろう。その時は刻一刻と近付いてきているのが肌で感じられる。

 ところがその瞬間が訪れる前に、その状態を引っ繰り返す事態が起きる。進軍ラッパが鳴り響いたのだ。豪奢な鎧を纏ったクアルサスは進み出てきて大音声を上げる。


「トレバの民よ! 我らは壁外のホルツレイン軍に挑むべく進発する! 道を開けよ! 街門を開け!」

 ロアジン市民は何を言われたのか解らなかった。だが、国軍がそこから移動するのと街門が開かれるのは理解出来た。それは彼らにとって待ちに待った情報だ。それならば邪魔する必要は無いとばかりにのろのろと道を開け始める。


 クアルサスはその様を冷や汗で背中をぐっしょり濡らしながら眺めていた。

(気付いてくれるなよ)

 今のところ、彼の目算は狂っていない。「逃げ出すから道を開けろ」と言えば市民は絶対に許してくれないだろう。だが、戦闘に赴くと言えばわざわざ自分達が戦わなくとも良いと考える可能性が高い。そこへ街門を開けるという、彼らが熱望する報せを織り交ぜたのだ。彼らを通さねばその望みが叶わないと思い込ませるには十分だろう。

 激発して押し寄せてきただけの群衆。冷静に判断出来る者など一握りにも満たない筈だ。時間を与えず速やかに移動を済ませれば、この場はやり過ごせるだろう。


 トレバ軍は、市民が空けた道を静々と進む。無駄に刺激しないように静粛に。その中央に、武装を乗せていると見せかけた簡素な貨物馬車を孕んだまま。もちろんその貨物は皇城に詰めていた貴族達だ。乗り込む時は不平不満を漏らさずにおれない彼らだったが、それ以外に命の保証は出来ないと言うと大人しくなった。

 皇王ルファンだけはさすがに貨物扱いする訳に行かず、クアルサスが仁王立ちしている指揮用戦車に乗り込ませてある。荷台をチラリと覗くと、ルファンは頭を抱えてブルブルと震えており、無駄に騒ぎ出す事も無かろうと思わせた。


 そしてトレバ軍は何とか街門まで到達し、潜り抜ける事が出来た。クアルサスは無事、第一関門を突破した。彼は賭けに勝ったのだ。


   ◇      ◇      ◇


「来たよ来たよ。奴ら燻り出されてきたさね」

 突如として開いた街門を注視していたガラテアは舌なめずりして言う。

「さあ、出番だよ。お前達」


 ロアジン中心部に煙が上がり、市民暴動が起こったのを確認したガラテアは速やかに東西騎馬分隊を撤収させた。戻ってきた彼らに休息を取らせ、その他の兵には戦闘準備を整えさせる。

 敵軍を確認したからには、休息を取らせていた兵も加えて野戦の準備のために編成を急がせなければならない。矢継ぎ早に伝令を飛ばして編成に入ったガラテアだが、申し訳無さそうに待ったをかける者が居た。


「すみません、ガラテアさん。時間を掛け過ぎてしまったみたいです」

「何さ何さ、せっかく良いところなんだから厄介事は止めておくれさね」

 ガラテアは非常に不満気だが黙っておく訳にもいかず、カイは続ける。

「少し前に広域サーチを掛けたらトレバのフリギア侵攻軍の姿が見えてしまいました。そろそろ南側を回り込んで来る頃だと思います。数は概算で二万前後。合流すれば五万になるので、その想定で編成を考えていただけます?」


 脳裏に投影されている万単位の兵の数を数えるなんて出来ない。だから、軍団の幅と長さをトゥリオに教えて算出してもらった推定値をガラテアに伝える。

 それを聞いたガラテアは両手で顔を覆ってさめざめと泣くフリをする。


「ずっとずーっと我慢してやっと本来の仕事が出来ると思ったのにさ、この仕打ちは何さね?」

「恨み言はトレバ軍にお願いします。それより二万の後方10ルッツ12kmにフリギア軍の姿も見えます。どうせなら頭数が揃ってからにしません?」

「このつれない男に何とか言っておくれよ、チャム」

「諦めて。こんな人よ」


 それでもガラテアの欲求不満が爆発する前にフォローくらいはするつもりのチャムだった。

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