敗走者達

 トレバのフリギア侵攻軍の撤退を指揮しているのは千兵長のハイクムという男だ。彼は平民出身の叩き上げで家名を持たない。なぜ彼が二万もの兵を指揮しているかと言えばもちろん理由が有る。


 フリギア軍の突撃を受けて自軍は瓦解し、コンクレット将軍は戦死した。副官は捕縛されたという情報もあるが、確かなものではなく行方不明だ。補佐に就いていた他の千兵長達は有力貴族の子弟の箔付けに出征してきた者がほとんどであった。彼らは敗走を始めると、供回りの者を連れて一人また一人と離脱していった。


「領地で大変な事が起こった。私は父を補佐するために戻らなければならない」

 勝手に離脱しようとする一人をハイクムが問い詰めるとそんな事を言い放つ。

「誰がそんな報せを持ってきたんですか? 伝令の到着を自分は確認しておりませんが?」

「そんな気がするのだ! 行かねばならん!」


(いつからそんな器用な魔法が使えるようになったんだ? それならフリギア迎撃軍の存在を感知してくれても良かったじゃないか)


 そんな皮肉が頭に浮かんでいるハイクムだが、相手が貴族ではそれ以上の追及も出来ない。(黙って消える奴よりマシか)と思うしかない。そんな事が続いて結局、一番高い指揮権を持つのが自分になってしまった。

 逆に敗走兵達にとっては彼が指揮官になってくれたのは僥倖だった。残り少ない兵量を公平に分配するよう腐心し、折れそうになる兵達の心を叱咤激励してここまで連れて来てくれたのがハイクムだ。


 しかし、その行程も彼らの希望を打ち砕く形で終わる。

 やっと逃げ込めると思っていたロアジンは街壁の一部が崩壊しており機能しているように見えない。開放された街門でもその崩壊した狭間からも武器を手にした市民が睨み付けてくるだけで入れてくれる気配は無い。ハイクムの苦悩はどうしようもなく深かった。そのままでは兵を休ませる事も出来ない。僅かな希望を持って南に転進し、ロアジンを回り込むように東部平原を臨むと、そこにはホルツレイン軍と対峙する国軍の姿が見えた。彼も何がどうなってこういう構図になったのかは解らない。ただ救援を求める相手としては国軍の一択しか無いのは確かだ。


 ホルツレイン軍の動きを警戒しつつ合流を果たすとハイクムはすぐに食料を融通してもらえるよう要請する。

「そんなものは無い。我らも取る物もとりあえず逃げ……、戦いに赴いたのだ」

 彼らを受け入れた指揮官はすげなく断ってくる。いくら食い下がっても取り付く島もない。

「それでは我らは戦えませぬ!」

「ならば盾くらいにはなれ。貴様らは負けて戻った。どうせ神に裁かれる立場だと知るがいい」


 蔑むような視線を切り、立ち去っていく指揮官をハイクムは呆然と見送った。

 彼は近場の兵を捕まえてこの構図に至った経緯を聞き出す。その結果、自分達が決して冷遇されているのではなく、無い袖は振れない状況なのだと知った。

 目の前にはホルツレイン軍。後方にはフリギア軍。街壁内にも敵。まさに四面楚歌である。その状態で兵量も無く、飢えた兵を抱えている。ハイクムは絶望の本当の意味を知った様な気がした。

 徴用した農兵達はもう帰りたそうにしている。彼らはまだいいかもしれない。逃げ帰る場所がある。だが彼に付き従ってきた正規兵達の行き場所だけでも何とかしてやりたいと思う。苦しみだけを共有してきたのだが、それだけに連帯感も強くなってきている。残る力を振り絞って逃げ出すべきか。そんな思いがハイクムの脳裏をよぎり、近くの兵達と目配せを交わす。声を潜めて相談する。戦闘が開始されたら機を見て離脱・逃亡を図る方向で意見の一致を見る。今は忍耐の時だ。そう皆に言い含めて機会を待つ。


 しかし、状況はそれを許してくれなかった。


   ◇      ◇      ◇


 その提案は唐突であったが、彼らしいと言えば彼らしいものだった。


「ロアジンに食料を届けたほうが良いでしょう。兵糧攻めでかなり消耗しているはずです」

「確かにな。どのくらい出せる、軍務卿?」

「割と余裕は有るさね。結構出せるよ」

「可能な限り出そう。何なら補給の増量を指示しても良い」

「そこまで長引かせるつもりはありませんので、程々で構いませんよ。トレバの国内状況を考えれば、人道支援の必要は出てくるかもしれませんが」

「うむ、その辺も打診しておく」


 そんな相談が行われる傍らで冒険者達は素朴な疑問を感じていた。

「ホルツレインってのはそこまで景気が良いのか?」

「思い当たる節は有るわね。モノリコートとか蓄魔器マジカルバッテリーとか。どっちの権利も元を正せばカイだけど」

「凄いんですね、カイさんって」

「あの人の頭の中ってどうなってるんだか解らないから」

「だからチャムさんも目が離せないんでしょう?」

「まあそうね。とは言えそこまで好況ってのは他にも原因が有ると思うけど」

「実はそうなんです」


 それまで黙って聞いていた男が発言する。彼の名はルッテス。普段はガラテアの副官をやっているのだが、今回の遠征では彼女自身が副官扱いなので、ルッテスは副官補佐という名目になっている。

 彼が言うには、先の二つが要因になって物価の上昇が見られたらしい。作れば儲かるとあっては農民達も意気込んで働くというもの。そこへ更に昨輪さくねん来より増えてきたトレバからの越境難民の増加が拍車を掛ける。受け入れた彼らに開墾させた農地も機能し始め、今やホルツレイン国内は極めて豊かな状態になっているようだ。逆にこの出兵で食料消費量が増えて、生産調整に頭を悩ます必要が無くなったとまで言う。


「それはそれで問題なんじゃないのか? 食料がダブつき始めたら面倒な事になるぜ」

「人的資源には限界が有るのよ。どこかで飽和点を迎えるわ。そういうものよ」

「はい、農務卿閣下もそうおっしゃられていたようです」

 全部がそうではないとは言え、人を襲う魔獣という天敵が存在する環境では、種の繁栄には限界が生じてくるのである。それは自然界のバランスと言っていいのかもしれない。


 とんとん拍子に決まった食料支援は準備されたが、問題は輸送だ。運搬そのものは『倉庫持ち』に頼れば良いのだが、警護が必要。あまり大部隊を動かせば無用に敵軍を刺激してしまう。目的が攻撃でない部隊を襲撃されるのは司令官としては許容は出来ない。


「言い出しっぺがやりますよ」

「それしか無いだろうな。頼む」

 出発準備を始めようとした冒険者達だが、それをカイが止める。

「敵軍に嫌な感じがするんです。僕一人で行くのでこっちを守ってもらえませんか?」

「そうなの? 解ったわ」

「気を付けてくださいね」

「もしもの時は、全員でさっさと逃げるよ。命を賭けるような任務じゃないから」

 フィノは心配そうにするが、カイはそう言って安心させる。


 現地で行うのは配給だ。兵站部隊の小隊を借り受けてロアジンに向かう。使者や衛生部隊が表示する、攻撃無用を示す青旗を掲示して行進する。街門側はトレバ軍が陣取っているので、街壁崩壊現場のほうだ。

 パープルに騎乗したカイは念の為に、マルチガントレットを装着してこれ見よがしに誇示しつつ移動する。敵兵に襲う気を起こさせないためだ。


 その彼を見つめる異質な視線には気付いていなかったが。


   ◇      ◇      ◇


(あれがきっと噂の銀爪の魔人だ。あんなのまで居るのか)


 ハイクムは絶望を深めるだけの存在に諦めの境地を見る気分になる。

 市民暴動を扇動したのはホルツレイン軍だ。再び連携する算段なのかもしれない。本当なら阻止するべきなのかもしれないが、今の彼の部隊にはそんな力はない。そのまま街壁内へ消えていくのを見送るだけにした。

 そこへ伝令が飛ばしてやって来た。


「指令である! 再び銀爪の魔人が現れれば兵を率いてこれを討ち果たせ! 以上!」

「拝命致しました」

 冗談じゃないとは思ったがそう言う訳にはいかない。苦悩するしかない状況だが、彼の顔に(ん?)という表情が浮かぶ。


 普通なら無謀ともいえるその考えにハイクムの頭は埋め尽くされているのだった。

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