その命

 ナガルはロアジン生まれのロアジン育ち、実家はタレ焼肉包み平パン『スクラ』販売の店舗を営み生活していた。

 彼自身は八つの時には身体強化が常駐発現しており、国軍又は衛士隊への道が開けていたが冒険者への道を選ぶ。それには幼馴染の親友の存在が影響していた。

 フレガという名のその親友は火系を得意とする魔法士への道を選んでいたが、十五年前のフリギア侵攻に徴兵され帰って来なかった。ナガルは彼の遺髪の一筋にさえ会う事も叶わなかった。

 無茶な作戦に動員されたと後に聞き、お国への不信感を募らせた彼は、国務に携わろうとはとても思えなかったのだ。


 実家の家業を手伝いながら近所の退役軍人の老爺に剣を習っていたナガルは十五で冒険者ギルドに登録し、冒険者としての生活を始める。冒険者として名の売れ始めた十七の時に、酒場の給仕をしていたルメイダと出会い、交際の末に十八で結婚する。彼はその後も冒険者として活躍していたが、ルメイダが三人目を身籠ったのを機に、脂の乗ってくる二十五歳にしてすっぱりと冒険者を引退する。

 育児の手伝いと安定した生活を求めての事だ。二、実家で正式に修行をし、暖簾分けの形で違う街区に新店舗を開く。それから三、香辛料を工夫したり、新たな薬味を使う事で順調に固定客を増やしたナガルの店だったが、圧し掛かる重税で経営は厳しい状態が続いてきた。


 そこへフリギア侵攻敗戦とホルツレイン軍による包囲、籠城である。街に流通する物資は陽々ひび減少の一途で、ナガルの店も小麦粉の在庫は心許なくなりつつあり、肉は伝手を頼って掻き集めなければならず、香辛料や薬味は選択肢が少なくなってきている。このままでは早晩、営業も儘ならなくなるのは必至だ。

 それでもナガルは家族の生活を守らなければならない。自力で肉の調達や菜類の採集が出来る技能が有ると言っても、街門が開かねばそれも不可能だ。街門に通っては、通用門の通行だけでも許可を訴えたのだが、門衛は頑としてそこを譲ってくれない。皇城からの指示で虫一匹通す事適わずの一点張り。


 状況は悪化するばかりでここ数陽すうじつは、金は有っても食料さえ手に入らない。彼の家には三人の育ち盛りの子供がいる。

 ナガルは苦悩する。家族を飢えさせるようでは何で家長と云えようか。ホルツレイン軍は市民活動の妨害はしないと告知してきているではないか? 街壁は一部崩壊している。そんな状態で街門を閉ざす事にどれだけの意味がある? 皇城は市民が餓死しても構わないと考えているのか? そんな思いばかりが募ってくる。


「どうだ、ナガル。お前んとこは?」

 隣の衣料店の親父が言ってくる。

「見ての通り、もう店を開けるのは無理だ。子供達にも在庫の小麦粉で焼いたパンしか食わしてやれないでいる。情けねえぜ」

「どこも似たり寄ったりだ。食料の在庫なんか無いウチなんか親戚に頼って分けてもらっている」

「全く冗談じゃねえ。このままじゃ本当に餓死者が出るぞ。皇城はまだ配給を出さないのか?」

 実際には皇城に放出できる備蓄は無い。ほとんどは侵攻軍の糧食に消え、現状、城門内の兵に食わせる分だけでも困窮している。普通に食事が出来ているのは一部の上の人間だけだ。

「そう言えば、流れ魔法を食らったのはガルトンの野郎のとこだろ? ホルツレイン軍が賠償してくれるって言ってきてたがどうなったんだ?」

「ああ、ガルトンが現物支給で受け取ろうと崩壊箇所から外に出ようとしたらしいんだが、警備兵に捕まって摘み出されたらしい。泣いて懇願したが取り合ってもらえなかったって」

「もうヤベえかもしんねえな……」

「何とかならないもんかな」

 ナガルは逃げる算段をしなければならないかと考え始める。夜間の警備兵が少ない時に突破して、ホルツレイン軍に保護を求めるか?


 その夜、ナガルは街壁崩壊箇所を偵察する。しかし、彼と似たような考えを実行した者が出たのか、警備の手は増えていた。とても子供連れで突破出来そうにはない。諦めざるを得ないようだ。だが、それならば違う方法の模索が必要だ。


   ◇      ◇      ◇


 もう市民の我慢は限界に達している。城門前には大勢の市民が押しかけ、食料の配給を訴え掛けている。

「食料を出せー!」

「餓死させる気かー!」

「配給を寄越せー!」

「せめて街門を開放しろー!」

「そうだそうだー!」

 その声に引き寄せられるように市民の数は刻々と増えてきている。その中にはナガルの姿も有った。


 門衛は総員を動員して対応に追われる。だが、市民の数は増える一方で全く追い付いていない。彼らは自分達が市民に押し潰されるのではないかという恐怖と戦っていた。ギリギリの攻防が一刻72分余り続いた。

 そして、それが綻ぶ瞬間がやって来た。


 それはたった一個の投石だった。まさに一石が投じられたのである。

 その一人の男は前方で衛兵と市民が押し合いをしている状況など解らない後方に居た。ただ不満だけは燻らせていた彼は道端の石ころを拾って投げつけただけだ。放物線を描いて飛んだ石は一人の衛兵の兜に当たって軽い音を立てる。激発するにはそれだけで十分だった。

 彼は眼前の目を血走らせて迫って来る市民に剣を抜いて斬り付けた。倒れ伏し、血を流し始める市民に皆が注目する。次の瞬間には誰彼構わず怒号が飛び交い始め、棍棒や包丁が振り上げられ、それに応じて剣が抜かれた。激突が始まる。


 ナガルは、それだけは錆び付かせる事の無かった剣を携えていた。追い詰められた人々の居る街中は危険を感じられて、自衛用に持ち出してきたのだ。しかし今、剣を自分に向けてきているのは、本来市民を守るべき衛兵達だ。ナガルには自衛出来るだけの能力がある。だが衛兵が剣を向けているのは自分だけではない。反射的に市民を守らなければならないと思った。

 斬り掛かってきた衛兵の剣をいなし、腕を軽く切り裂く事で取り落とさせた。ところがその剣を拾った男がその衛兵を力任せに斬り殺す。それでもうナガルは明確な敵だと判断されてしまった。殺到してくる衛兵達を傷付けずに捌ききるほどの技量はなく、已む無く斬り捨てていく。その後はもう悪循環しかない。


 城門内からは市民の暴動を鎮圧すべく、陸続と衛兵が吐き出されてくる。前面に押し出されてそれを受け止め続けるナガル。彼は市民を守る為に剣を振るうが、その兵の武器が市民の新たな力となって暴動は拡大していく。その流れは既に止められる事は出来ないところまでいっていた。

 ナガルは自分がいつの間にか暴動の中心人物に祭り上げられているとは気付いている。それでも手を止めた瞬間に殺されると解っていれば引くに引けない。彼には守るべき家族が居るのだ。


 市民の一部が衛兵が出てくる小門を制圧すると中に入り、城門を開放した。ナガルも周りに押されるようにその境界を踏み越える。その瞬間、脇腹に灼熱が生じた。そこにはナイフが突き立っている。愕然として見回すと周囲を覆面をした四人の男達に囲まれている。その身体を何度もナイフが貫く。


(暗殺部隊ダイン!)

 噂に聞く、トレバの暗部を象徴するその名がナガルの脳裏をよぎった。

 その四人は気配を感じさせないまま群衆の中に消えていく。他の暴動を先導している者の処分に動くのだろうか? それは分からないが、ただ彼は自分の死が近い事だけは分かった。


(俺は死ぬのか? 家族も守れずに。くそ! 冗談じゃない! どうせ死ぬならぶちまけてやる!!)

 込み上げる血に耐えて大きく息を吸うと声を振り絞る。


「聞け、皇王ルファン! なぜ民を飢えさせる! なぜ民を殺す! なぜ貴様を崇める民を守らない! 民を単なる肉の盾ぐらいに考えているなら貴様はその玉座に座っている資格などない! ロアジンを疾く去れ、裏切りの王よ!!」


 その声がナガルに残された最後の力だった。全身を血に染めた彼はそのまま大の字にその場に倒れ、心の中で家族に詫びる。無情にも意識は暗闇に食い尽くされていく。


 後に市民を守った勇士として吟遊詩人にも唄われし一人の男の、その命が散った。


   ◇      ◇      ◇


 それから一


 義父の元に身を寄せていたルメイダを、『ルドウ基金』の職員を名乗る女性が尋ねてくる。

 多額の契約金と十分な賃金を約束して、ある都市に転居してそこのルドウ基金の施設に勤務する事を提案する女性。義父の負担を負い目に感じていたルメイダは了承し、三人の子供を連れて転居していった。


 後にルメイダから届いた、幸せを綴った手紙を紐解く義父の顔は綻んでいたという。

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