市民扇動

 カイの献策に対しては幾つかの懸念が上がったものだ。

 彼が提案したのはロアジン市民を扇動して叛逆させ、城壁内に居るトレバ皇国現体制首脳部及び軍を城塞都市内から追放させる案だった。望んでいるのはトレバの消滅であり、体制を崩壊させて国家運営を放棄させる事なのだ。決してトレバ国民の殲滅ではない。

 トレバの消滅を現実にするには敗戦を認めさせ、講和の席で一方的な条件を提示するだけでは不十分。それだと講和の条件を飲むのは現体制であり、履行させるためにはその維持が必要になるからである。


「カイ、君の言う方法も最終目標も解らん事は無い。だがそれだと市民が非常に危険に晒されるのではないか?」

 クラインは顔を顰めて一番の懸念を口にする。

「戦闘訓練を受けている訳ではない市民では職業軍人に勝てる訳が無い。市民に死傷者ばかりが増えて苦しめるだけの結果になるように感じてしまう」

「クライン様は大きな勘違いをされているのです。それは貴方がいつもホルムト市民から受けているのが喝采だからですよ」

「どういう事だ?」

「もし、ホルムト百万市民が簡素とは言え手に手に武器を取って貴方に迫ってくる様子を想像してみてください」


 素直に想像の翼を広げたクラインの顔は徐々に青ざめてくる。

 それはいつも彼を讃え敬愛を捧げてくれる市民が、手に棍棒や調理用刃物、農具などを手にしてひたひたと押し寄せてくる図だ。いくら万単位の兵を掌握していたとてとても防げるものではない。横並びに軍幹部達の顔色も悪くなる。ガラテアだけはニヤニヤとしていたのだが、それは彼女が早々にカイの意図を読み取っていたからだろう。

 これを見ればやはりクラインが甘ちゃんなのが解る。帝王学を学ぶ彼は市民の叛乱の危険性を知識として知ってはいるが、現実として受け入れるほどに理解している訳ではない。対してカイは、歴史上大規模な市民革命のほとんどが成功してきている事を知っている。市民運動の恐ろしさを正しく学んでいるお陰だと言っていいかもしれない。


「無理だ! それは無理だ! 耐えきれない!」

 クラインは現実にそんな目に遭ったかのように、呼吸も儘ならないかのように苦しげな様子を見せる。


(ちょっと刺激が強過ぎたか)

 カイは思ってしまった。


「もちろん市民にも犠牲は出てしまうかと思います」

 カイはクラインの言う事が全く的外れではないと断っておく。

「ですが彼らにとってそれは大きな財産になると思っています」

「財産?」

「我らホルツレイン軍がトレバ体制を討ち破り与えられた平和と、彼らが痛みを感じつつもその手で体制を放逐して得た平和と、どちらが貴重だとロアジン市民は考えるでしょう? 僕は後者だと思っています。後に今ある平和は自分達が勝ち取ったものだと思い、生活に充実感を感じるのは当然の事でしょう?」

「なるほど、それが市民の心の財産になるというのだな?」

「その通りです」


 そこにはホルツレイン軍の城塞攻めによって生まれる市民の犠牲と、叛乱によって生じる市民の犠牲を天秤に掛ける計算がある。だがそれをカイはわざわざ指摘はしない。それは軍幹部の心理的負荷の軽減を意図した配慮だ。


 だが半目で見つめてくるガラテアだけは誤魔化せなかったようだ。内心では(この腹黒が)と思われているんだろうな、とカイは思う。


   ◇      ◇      ◇


 告知活動を始めたその、東西第二陣の騎馬分隊及び告知要員には、ガラテアから特別な指示があった。これまでは少ない指示だけで運用されてきて、今陽きょうも同じ事をするのだと思っていた彼らは少々面食らう。

 それもその筈、ガラテアは午後にはもうトレバ側が告知の意図に気付き対応してくるだろうと思っている。そうなれば最も危険に晒されるのは告知要員だ。この場合はまず黙らせるのが一番手っ取り早い。彼らは攻撃を受けると思っていたほうが良いだろう。

 ガラテアは告知要員を増員。大盾騎士二名・告知騎士一名・拡声用魔法士一名・防御用魔法士一名とし、彼らに攻撃を受けた場合の指示を出す。


「速やかに退避し、反撃しない」

「攻撃を受けている旨の告知に切り替え、訴え続ける」

「騎馬分隊と合流したら告知を終え、騎馬分隊長の指示で再進出するまで待機する」

「自らの身の安全を最優先とする」


 更に騎馬分隊に指揮官を配置し、かなり自由な裁量を与える。その最優先事項は告知隊の警護だ。トレバ部隊が攻撃を開始したら速やかに進出して保護し後退する。もし敵が街壁を踏み越えて追撃してくるようなら反撃し、これを撃退する。その場合、撃破も可とする。これらの基本を遵守した上で、反撃に用いる攻撃方法や強度は現場の判断に一任される。


 つまり街壁外で行われる戦闘に関しては分隊長の自由裁量となっている。

 これはかなり危険な判断だ。その戦闘が口火となり、なし崩しな大規模戦闘に突入する可能性は捨てきれない。それはガラテアの本意ではなくとも、告知隊の保護を優先するには必要な措置だと考えていた。


 そして案の定、衝突は起こる。東側では告知を始めた早々に要員は攻撃を受ける。最初は矢を射掛けられた。

「我々は攻撃を受けている! 我々は攻撃を受けている! トレバの体制は我々の語る真実を恐れているのだ! 市民の皆さんに攻撃の意図のない我々を侵略者に仕立てようとしているのだ! だが我らは屈しない! 自衛手段として反撃を行う! 理解して欲しい!」


 大盾によって守られながら後退する告知隊は拡声状態で現状を訴える。これも予め用意されていた文言だ。魔法攻撃も加えられたが魔法散乱レジストで防御し、騎馬分隊と合流、保護される。

 睨み合いが続くが、高い緊張状態の維持は長時間に及ぶ事は無く、再びの対峙状態になる。ここで東側第二隊の指揮官は、告知隊のみの再進出を不可能と判断する。トレバ警備隊は想定よりも過剰な反応をしている。予定通りの再進出を指示すれば、告知隊に損害が出る可能性が高すぎる旨を、伝令を飛ばして上申した。その判断は認められ、告知は騎馬分隊全体を進出させた上で行うよう方針転換の指示が入る。

 その後の告知は、騎馬四千を相手するだけあって散発的な妨害に終わった。


 その状態が三続いた後、西側でそれは起こった。

 そのも遠距離攻撃による妨害が行われていたのだが攻撃の応酬が激化し、一発の魔法がトレバ警備隊を掠めて近くの民家が被弾し半壊する。幸い、人的被害は無かったようだが、その事実は市民を震撼させるには十分だった。

 先制攻撃を行っているのは必ずトレバ側なのだが、小競り合いをしているのは両隊なので市民からの見た目に差は出ていない。ただ、その後の対応で差が出てしまう。


 報告を受けたガラテアはすぐさま緊急の軍議を招集する。その場ではまずクラインからしばらくは反撃を控えるか反撃方法を限定して、市民への刺激を抑制する方向で提案が為される。

「殿下がそうおっしゃるならそうするさね」

「うーん、じゃあこうしません?」

 そのカイの一言が完全に方向を決める。


 翌陽よくじつ、西側に陣取った騎馬分隊からは新たな告知が為された。

「不幸にも民家に損害を受けた市民の方へ。我らホルツレイン派遣軍司令官にして王太子、クライン殿下からのお言葉である。『被害を与えてしまった事は遺憾の意を表し、賠償の準備をしている。だが、我らは街壁を乗り越え、戦闘が激化してしまうのを善しとしない。拠って賠償金の支払いはトレバ体制を取り除いた後にして欲しい』そう仰せである。該当者は了解して欲しい。以上だ」

 その言葉に嘘はない。クラインも、カイの提案に乗って賠償をしても構わないと思っている。だが、この言葉を額面通りに受け取る者は少ないだろう。

 ホルツレイン軍は真摯にロアジン市民の被害は望んでいない。体制の排除のみを望んでいるのだと。

 そして市民は考える。


 自分達はホルツレイン軍と同じ相手を邪魔だと感じている、と。

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